「レフト・ビハインド」
なるほど、最悪。
要するに宗教映画だった。「ノウイング」と同じ、神の御技による罰ですよ。ということだ。
映画はとにかくだらだら始まる。主人公のパイロットのレイ・スチールの娘が、父の誕生日のために戻ってくる。しかし、急な仕事で父はフライトへ。その上、レイはCAの恋人がいて、その姿を娘が目撃。ショックのまま家に帰り、母と会い、弟とショッピングセンターへ。一方父の飛行機は飛び立つ。ここまでやたら長い。しかも、何の伏線でもないのだ。
そして、なにかの衝撃の後、周りの何人かが消えてしまう。なぜ?後半、これは神が行ったことで、消えた人々は天国にいて、残った人々はこれからの苦難に立ち向かわないといけないのだそうだ。なんだそりゃ?しかも、世界中で起こってるって、神は一人か?
で、クライマックスは、消えた人のことはどうでもよくなって、無事に着陸できるかというパニックサスペンスになってハッピーエンド。もう、言葉がない。最悪。
「不良少年」(羽仁進監督版)
なるほど、1960年という時代に、この作品がでてきたなら、衝撃で一位になるであろう、ずば抜けたオリジナリティのある作品でした。
完全にドキュメンタリータッチで演出していく映像が独特で、一人の不良といわれる少年が、少年院に入り、そこでの生活と、それまでの生活を交互に挿入しながら、それでいて、それぞれが、まるで現実のドキュメンタリーを追っているように見せるカメラワークと演出刃、なるほど見事である。
つぶやくようなせりふ回し、雑踏のリアリティ、しかしそのドキュメントタッチに見事なリズムを生み出すのが武満徹の美しい旋律である。
この作品があれほどまでに評価されるのは、この映像と音楽のコラボレーションの美しさ、そこから生まれるオリジナリティによるものだろうと思います。
好みの映画というわけではありませんが、これは唯一無二の一本と呼べる作品として評価されるべき一本だったと思います。
「午前中の時間割」
玲子という少女の友達の草子が亡くなった。映画はそこから始まる。全体がモノクロームだが、彼女たちが旅行したときの8ミリフィルムがカラーで登場し、交互に現在と旅行シーンが描かれていく。
例によって、ドキュメンタリータッチで、つぶやくようなせりふと、手持ちカメラの映像が展開するが、今回の8ミリフィルムのホームムービー的な画面が、かえって、みずみずしさを生み出していく。
なぜ、草子が亡くなったのか、その真相を探すような展開に、男の存在が表にで、さらに、切ないような青春の恋物語が絡んでくる。個人的には、羽仁進監督の作品の中では一番好きな一本だった。
最後に、現像された8ミリフィルムに草子が画面から消えるシーン、草子がモノクロームの現代をとらえるカメラを構えるシーンでエンディング。
8ミリの世界が現実か、モノクロームの世界が現実か、このちょっとあざとい演出にはまってしまった感じである。