「悪党に粛正を」
マカロニウェスタンの秀作。とにかく、本家アメリカの西部劇ではないのだから、マカロニウェスタンと呼ぶべきだろう。
とにかく、絵づくりが抜群に美しい。荒涼とした大地、ぽつんと存在する宿場町、夜の闇に走る駅馬車、ゆっくりと奥に続く道を追いかけるカメラワーク。どれをとっても、一級品の構図である。監督はクリスチャン・レヴリング。
デンマークの元兵士のジョンは、本国の敗戦後アメリカに渡り、生活を安定させていた。そして七年、アメリカに妻と息子を呼んだのだが、乗り合わせた駅馬車のならず者に妻も息子も殺される。
何とかならず者を撃ち殺したジョンだが、園ならず者は町を支配するデラルーの弟だった。当然、デラルーは、町の人々を脅し、ジョンと、その兄ピーターを捕まえさせる。、
町の人々は、デラルーのいうことなら何でも聞き、さらに町長は、デラルーに荷担してこの付近の土地を買い占める手伝いをしている。この地域には油田があるのだ。
何とかピーターの助けで脱出したジョンだが、ピーターはおとりになって捕まり殺される。ジョンは一人、デラルーたちに戦いを挑むのがクライマックス。
懐かしい、西部劇の典型的な展開であるが、元兵士というジョンの背景が、リアルに強さを物語り、様々な場面で見せる、美しいカメラワークと、映像演出が秀逸で、並のアクションを越えた一級品の作品として完成されている。
見事、デラルーたちを倒したジョンは、デラルーたちに反感を持つデラルーの弟の妻を馬に乗せ、何処かへ去っていく。典型的な西部劇のラストシーンである。
果たして、西部劇が、これほど美しい作品であっていいのかという意見もあるかもしれないが、シンプルなストーリーを飾る映画としての美しさに酔いしれる一本で、これを秀作と呼ばずしてなにを秀作と呼ぶのかという見事な映画でした。
「野戦軍楽隊」
李香蘭特集を見に来た。
この作品は敗戦間近の戦意高揚映画で、李香蘭という名前で出演した彼女の最後の一本である。監督はマキノ正博である。
最前線の部隊で組織された軍楽隊の姿を通して、まだまだ日本は余裕があるところを見せたのか、戦う兵士を鼓舞するために、内地の人々も応援するよう求めたのか、さすがに、当時の時代でみないとその雰囲気はつかみづらいが、クライマックス、様々な場所で演奏する、軍楽隊のシーンを、時に斜めに、時にアーチの建物を通して、時にクレーン撮影でダイナミックにとらえるカメラは見事である。
たわいのない話で、特に中心になるものもないが、中国人として登場する李香蘭演じる女性が、楽隊と一緒になって歌う下りは、明らかな戦意高揚であるし、中国を巻き込んでいるのは、すべて米英に対抗するものであるという演説シーンまであるのだから、まさしく、戦中映画の典型。
これも、また歴史の一ページと呼べる一本でした。
「わが生涯のかがやける日」
李香蘭が山口淑子となって出演した戦後第一作。吉村公三郎の代表作の一本だが、なんともストーリーと演出の豪快さに圧倒されてしまう。
タイトルは、まるで「スターウォーズ」のようにテロップが向こうからこちらに流れる。それだけでも唖然とするが、続いて、町中が火事になっているシーン、それを見つめる男、そこに踏み込んでくる将校、時は終戦前夜となる。そしてその男が将校に撃ち殺され、それをみた主人公の節子が将校を刺して、時は戦後へ。
モルヒネ中毒の男沼崎(実はあのときの将校)が禁断症状にもがいている。カメラが二階の部屋に移ると入れ墨の男が女を抱いていて、と大胆に切り替わるカットから物語は本編へ流れる。
物語は入れ墨の男が、自分のバーで働いている節子を愛人にするが、節子と沼崎が愛し合うようになり、沼崎は入れ墨の男を殺して、自首するのがクライマックスになる。
新藤兼人の脚本はなかなか緻密で、本編の周辺に、節子の兄が戦中鬼検事で、彼が痛めつけた男がびっこを引いて現れたり、枝葉も実に細かい。
キネマ旬報第五位であるが、終盤、眠くなってしまった。さすがに、大胆な展開と演出が見事だが、ストーリーが最後のあたり、しんどくなった気がする。
クライマックスの森雅之と山口淑子のキスシーンが有名らしく、そのシーンの後、寄ったカメラで二人をとらえ、一人自首していく沼崎の後ろ姿を見送る節子のシーンでエンディング。
ある意味、豪快な一本と呼べる映画でした。