くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ピース オブ ケイク」「ハッピーボイス・キラー」「ともし

kurawan2015-09-21

「ピース オブ ケイク」
友達に勧められて見に行った映画ですが、これはとっても良かった。こういう恋愛、こういうラブストーリーもあるんだなぁ。

ウジウジと考えずに、何もかも思いつくままにストレートに気持ちを伝えて、ストレートに行動する主人公志乃が可愛いし、キュート。演じた多部未華子がメチャクチャにいいのです。彼女、こんなに変わったんやな、と嬉しい気持ちでハッピーになってしまいました。

それに、相手役京志郎を演じた綾野剛も、またとってもはまってるし、脇の
松坂桃李、菅田正樹もまたいい味を出している。監督は田口トモロヲです。

いかにもなDV彼氏と別れた主人公志乃が、新しい部屋に移ったところから映画が始まる。いつも観葉植物を買うのだが、すぐに枯らしてしまう彼女、志乃のつぶやきで物語が進んでいく。今回買ったのはイモの観葉植物。

ふと縁側に出ると隣に30歳の気の良さそうな京志郎が住んでいる。一目で、何か風を感じた志乃だが、DV彼氏と別れたばかりの彼女は、とにかく慎重にと自分に言い聞かせる。とは言いながら、友達とキスをしたり、体を求めたりする。この素直さが、志乃というキャラクターを際立たせる。

紹介してもらったビデオ屋で、その店長が京志郎だったことで、志乃は急速に接近する。

ある日、隣の一人の女性あかりを認め、京志郎には彼女がいることが知れる。それでも、遅番の時に京志郎と歩く15分が楽しく、ある日思いの丈を打ち明ける。この時の多部未華子の叫ぶシーンがとっても初々しいほどに可愛い。そしてやがてあかりが出て行ったのを機会に、京志郎と志乃はラブラブに。ここからのベタベタ感もまた多部未華子綾野剛の演技が光るのです。

実は、あかりは小説を書いていて、京志郎との日々を描いて、ベストセラーに、そのきっかけで、京志郎は何度かあかりと会い、それを志乃が知ることになる。

温泉で、京志郎の携帯を見て、風呂場に殴り込むシーンもとってもコミカルだが素敵。この一途感を貫き通すのがこの作品の最大の特徴で その一途感がとってもピュアなのです。

結局、志乃は京志郎と別れ、1年半が立つ。しかし、手伝っていた劇団の関係で出かけたカフェで京志郎と再会、悪態をつきながらも、京志郎が住む家に行くと、志乃が捨てていった芋の観葉植物が茂る。抱き合ってエンディング。

とにかく、松坂桃李のおかまのキャラクターにせよ、劇団座長の胡散臭いキャラクターにせよ、絶妙に楽しいし、冒頭のエロティックな服装から登場する多部未華子が抜群にキュート。テンポ良い音楽センスと映像のリズムに乗せられてしまう一本で、センスの良さで、配役が絶妙に素晴らしい。本当に、ラブストーリーとして堪能できるし、面白かった。


「ハッピーボイス・キラー」
ちょっと風変わりなミステリーホラー映画で、要するにサイコキラー映画である。監督はマルジャン・サトラビ。

水回りの品物を作るメーカーに勤めるジェリーは、大好きなフィオナをデートに誘うべく思っている。家に帰ると、飼っている猫や犬と会話をする。というより、声が聞こえる感じで、この辺りからこの男の異常さが漂ってくるし、その後のシーンで精神科に通うカットが入る。

こうして舞台が出来上がるが、大好きなフィオナとのデートをすっぽかされ、それでも偶然フィオナを車に乗せたはいいが事故を起こしてしまう。さらに、飛び込んできた鹿をナイフで殺した弾みに、逃げるフィオナを誤って刺し殺し、猫の声がいうままに、首を切り落として冷蔵庫へ。

生首や犬と猫と会話する主人公ジェリーのシーンが後半。やがて、フィオナの同僚のリサも殺してしまい、さらに同僚の女を殺したあたりで、怪しまれて警察に捕まる。

流れ的にはセオリー通りで、これという映画ではない。エンドクレジットがミュージカル風の陽気なダンスシーンというのが、この監督のこの映画に対する思いなのかと、複雑な気持ちで映画館を出た。

要するにサイコキラーの話ですが、コメディでもあるということなのだろう。そう解釈で見る映画かと思えるし、そのいみで、B級ホラーの面白さに触れる一本であったかなという感じです。アナ・ケンドリクス目当てでもあったのでこれでよかったです。


「ともしび」
山奥の貧しい農村の小学校を舞台に描かれるドラマですが、さすがにいけません。

一見、小学生と熱血先生の心の交流のような出だしで始まりますが、その先生が首になり、どんどん、教師の上層部から生徒たちに圧力がかかり、一瞬、生徒たちが自立に目覚めるも、それも壊されて、とにかく、将来頑張ろうというやや諦めのような展開で終わる。

それぞれ出てくるエピソードがしり切れとんぼで立ち消えになるし、自由の声はことごとく潰されていくし、本来、悪役的な存在の村長も何の問題もなく安泰で終わる。

日教組協力という肩書き通り、明らかに偏った思想押し付けに近い映画でした。監督は家城巳代治です。まいった。


「暴力の街」
暴力団と地元有力者に牛耳られ、警察権力さえも及ばない封建的な町を舞台に、ふとしたことで殴られた若い新聞記者の事件を発端に、ペンの力で、権力と多々軽く新聞社の物語である。監督は山本薩夫、物語は非常に重いのだが、さすがにその演出力は職人肌で見事、2時間以上をほとんど飽きさせないタッチで描いていく様は素晴らしい。

遠景で捉える景色のカット、町並みの構図、俯瞰で捉える大群衆のクライマックスなど、さすがに独立プロの映画とはいえ、大作の貫禄を見せてくれる。

とは言っても、権力が悪で、庶民が正義というオーソドックスな形でも、内容はかなり重い。

抵抗すればするほどに、地元ヤクザによる圧力や、不甲斐ない警察、名声だけで物を言わせる有力者などの描き方は、さすがにねちこいほどである。

一方の新聞記者側も、正義感に燃えるとはいえ、見るも鮮やかにやっつけるというわけではなく、最初の草の根運動的な展開の部分は、イライラするほどである。

しかし、ほんのわずかなきっかけからどんどん傷口を広げて権力を翻弄していくクライマックスは、ストーリーの進行に合わせて、画面が大きく広がっていくという演出で、豪快に締めくくる。

そして、町の屋根を俯瞰で這うように映しながら、まだまだ問題はこれからであるという継続的なナレーションでエンディング。これが社会派の雄山本薩夫の醍醐味かもしれない。