くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「非行少女」「私が棄てた女」「龍の子太郎」

kurawan2015-10-20

「非行少女」
浦山桐郎監督特集で見に来ました。全くこれは傑作である。和泉雅子一世一代の名演技というだけのことはある。和泉雅子扮する主人公がオープニング、バーのカウンターで酒をがぶ飲みするシーンから、ラストで、汽車に乗って窓を見つめる可憐な姿のラストシーンまで、圧倒的な迫力で物語を牽引する。しかも、相手役の浜田光夫も、目を奪われる名演技で応える。これぞ名作。

前作の「キューポラのある街」でも感じましたが、浦山桐郎監督の構図は実に美しいと思う。しかも、室内から外の景色をオーバーレイで飛ばさずに、ちゃんと借景のように捉えて画面に生かす。この絵作りも素晴らしい。

何をやっても裏目になり、父親は呑んだくれ、そんな環境の中で、非行娘のレッテルを貼られた主人公が、いかにも清廉潔白な兄に反発する一人の好青年と出会う。そして、燃え上がる恋もまた、彼女に降りかかる不運の中で、疎遠になり、そしてまた盛り上がる。

切ないほどに物悲しい空気で展開するストーリーは、時代色があるとはいえ、映画としての圧倒的なクオリティの高さで画面から迫ってくるのです。

冒頭の、川にかかる鉄橋を背景にした画面から、教護院での室内からガラスの向こうの松の景色が浮かぶシーン、浜辺に座る少女のシーンからオーバーラップして、母親の死のとこに画面が映る場面など、テクニカルな映像も巧みに取り入れ、映画全体のリズムをしっかりと描いていく演出手腕は、まったく素晴らしいものである。これが名作、傑作という証であろう。増村保造が描く女性像と一味違う女という意味でも、見事な映画でした。


「私が棄てた女」
ほぼ30年ぶりに見たが、ほとんど断片的にしか覚えていなかったし、多分、初めて見た頃の自分の鑑賞レベルだと、この映画の真価は理解しえなかっただろう。恐ろしいほどの傑作である。映像テクニックの翠を尽くした浦山桐郎監督の才能に脱帽する一本でした。

現代の主人公吉岡の姿から映画が始まる。勤め先の専務の姪ユリ子と恋人関係にある彼は、学生時代一人の純情な女性ミツと関係をもった。しかし、吉岡は現代の、やや打算的な気持ちもあっての恋愛をする一方で、学生時代の純粋な恋を忘れられない。

現代の吉岡の姿をモノクロで、学生時代を黄色に着色した画面で描き、クライマックスで、カラー映像を挿入するというテクニックを駆使していく。

やがてミツと現代で再会し、物語は大きくクライマックスへ進んでいく。そして、その女が自殺に近い形で死を迎え、吉岡は、一瞬自暴自棄の悪夢を見る。このシュールなシーンが突然現れるので度肝を抜かれる。その後、ユリ子との生活がカラー映像になり描かれる。直前の、まるで夢、幻影の如しシュールな画面と、その後の非現実のようなカラーシーンという演出に、思わずあっけにとられてしまうところが、この映画の凄さである。

タイトルバックの能面のアップで始まり、クライマックス、現代の妻ユリ子のアップでエンディング。この意味するものはまさに映画を感性で捉えるべしと迫ってくる迫力があるのである。まったく、この監督の才能の奥の深さを堪能できる一本でした。


「龍の子太郎」
浦山桐郎監督が自ら絵コンテを立て、制作にも深く関わったアニメ作品の名作である。原作は松谷みよ子の名作童話。

フィルムが色あせていて、公開当時の美しい色彩は見られなかったけれど、きっちりと作られた画面の構図が美しいし、動きのある展開はさすがに評価されるだけのことはあるアニメーションです。

物語は、今となっては廃れてしまった、人のために尽くすことがメッセージの作品ですが、懐かしさよりも、浦山桐郎監督の、ちょっと辛辣なメッセージが伺え、その意味では、単純な子供向け童話の世界に甘んじていないという感じがしました。