くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「オートマタ」「竹取物語」「天河伝説殺人事件」「私は二歳

kurawan2016-03-09

「オートマタ」
スペイン・ブルガリア映画ってのもレアですが、2013年作品がここにきてというのもレア、そんなSF映画を見に来ました。

さすがにアメリカ映画とはちょっと空気が違うムードのSF映画の秀作という感じで面白かった。内容がかなりハードというのも頷ける。監督はガペ・イバニェスという人です。

太陽風の影響で人類の大半が死滅した2044年近未来。人類存続のために、自ら修理しない、生命体を傷つけないというプロトコルを持ったロボット、オートマタが開発された。しかし、当初の思惑とは裏腹に、人類は様々な計画に失敗、スラム化した街、砂漠化した地球の衰退を止められなくなっている。映画は一人の刑事が、スラム街で自らを修理しているロボットを撃ち殺す場面に始まる。

組み入れたプロトコルが破られ、何者かによって改造されているオートマタを調査するため、開発会社のROC社のジャックが調査を始めるのが本編。

風俗嬢のように改造されたオートマタを見つけ、その修理場所をつけていったジャックはそこにいたドクターに、オートマタが次々と改造されている実態を説明される。ところが、そのドクターは何者かに殺され、ジャックはその場から逃げる。それを助けたのが風俗嬢のロボットで、彼女が追っ手を交わしながらカーチェイスをする。

すんでのところで逃げたものの、車は大破、ジャックは気を失う。気がつくと、女オートマタを中心に何体かのオートマタが、ジャックを引きずって、汚染された砂漠地帯に連れて行くところだった。一方ROC社幹部たちはジャックが裏切り者と判断し、殺し屋を送り込む。この日にROC社の思惑の説明が非常に雑で、なぜジャックを狙わないといけなくなっていったのか、オートマタ開発初期にあった何の制約もないオートマタが、知能の保管に何の意味があるのかが、よくわからない。

結局、女オートマタがジャックに言うには、かつて、人類が猿に代わってこの地球に存続したように、人類は終焉を迎えているのであり、続いてオートマタたちがこの地球に存続する時代がきたのだという。この説明がこの作品のテーマだと思われるのだが、わずかに、未完成な脚本が見え隠れするのが気になる。

結局、ジャックたちを追ってきたROC社の殺し屋たちも消され、ジャックはオートマタたちに別れを告げ、夢に見た海辺にたどり着いたような画面で映画は終わる。

結局、オートマタたちが新たな支配者となる必然の流れを予見させるエンディングなのだ。酸性雨が降り始めた理由も、オートマタはジャックには理解できないと説明をしない辺りの意味ありげなセリフも、物語のラストを語っている気がします。

やや、雑に処理したところもなきにしもあらずですが、ハードSFの面白さを表に出したちょっとした異色作だった気がします。


竹取物語
30数年ぶりに市川崑監督のSF映画を再見。

見た当時は、とにかく「未知との遭遇」のパクリイメージが印象的で、とにかく見下してみていたが、こうして年を経て見直すと、結構、しっかりと作っているし、特撮もしっかりしているので感心してしまいました。

物語は、いわゆる「かぐや姫」の物語で、全盛期の沢口靖子を主演に、重鎮三船敏郎若尾文子が脇を固める布陣は、当時の力の入れようを見せつけられますが、いかにも仰々しい演技の三船敏郎他周辺のキャストが滑稽なくらいに見えて、全く不思議なファンタジーです。

市川崑らしい演出のさえはそれほど見られないし、三松が協賛した衣装がとにかく美しい。

音楽が「細雪」の音楽に似ている気がするのは気のせいでしょうか。
いずれにせよ、解説に書かれるほどの傑作ではないという印象は、見直しても変わりませんでした。菊島隆三市川崑などが脚本に関わっていますが、いかんせん、ちょっとまとまりに欠ける。ストーリー展開にメリハリもない。

と言ってスタイリッシュな独特の演出も見られないのは、フジテレビ資本が絡んだというのもある気がします。

とはいえ、東宝特撮満載の楽しい映画でした。


天河伝説殺人事件
久しぶりに見直したけれど、さすがにこちらの作品は傑作である。市川崑らしい短いカットバック編集と、色彩を画面に配置したスタイリッシュな映像、的確に組み合わせた独特のストーリーテリングの面白さに最後まで引き込まれてしまいます。

大都会で起こった偶然の殺人から、天河村での様々なエピソードが同時多発的に起こり、そこに入り込んでくる主人公浅見光彦の登場、そして本編へ流れ込んでいくストーリー構成のうまさに脱帽する。明らかに原作を映像として昇華させている。これが映画です。

赤い車、交番のランプ、天河館の窓ガラス、能面の配置、写真、様々な色彩処理が美しいし、あちこちで起こる物語を細かい映像で同時に重ねていく編集も見事、ラストシーンの悲劇のエンディングから、オープニングの浅見光彦の絡みに始まるユーモアあるエピローグも最高。これが市川崑映画の真髄ですね。

30年ぶりぐらいでしたが、これは見直してその真価を納得しました。


「私は二歳」
キネマ旬報ベストテン一位に輝いた市川崑監督の代表作の一本。団地生活をするサラリーマン夫婦の間に生まれた男の子の視点で描く、独創的なホームドラマである。

主人公の男の子が生まれて間のない時の独り言から映画が始まる。そして、普通すぎる両親に一生懸命育てられながら、当時の日本の普通の家庭の物語がさりげなく描かれていく。

時にシニカルに、時にユーモア満点に、時に時代を映しながら語られるお話に、特にドラマティックな展開もない。やがて兄夫婦が大阪に転勤し、東京の夫の母親と同居するようになり、よくある嫁と姑の確執もさりげなく描き、姑の突然の死で物語は終盤を迎えるが、何気ないドラマを全く退屈させずに語る和田夏十の脚本と市川崑の演出が最後まで引き込んでくれるのです。

さりげない、本当にさりげない映画なのに、どこかほんのりと心が温かくなるラストの二歳のお誕生日のシーンに、ああ、家族っていいなと感じてしまう。

小津安二郎のドラマとまた一味違う感動を味わうことができました。