くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「少女」「逆襲大蛇丸」「忍術児雷也」「浪人八景」

kurawan2016-10-11

「少女」
因果応報に張り巡らされた世界を二人の少女の一夏の物語として描いた作品。原作は湊かなえである。しかし、原作が弱いのか脚本が弱いのか、シュールな映像で展開する三島有紀子監督の映像はどこかバラバラで、ちぐはぐになっている。全てが因果応報で繋がるはずがバラバラに見えるのは、何かが足りないのだ。しかも、由紀と敦子という二人の少女が別の人物に見えない。キャラクターが描写わけできていないのである。確かに、敦子はびっこをひいているし、髪も長い。しかし由紀と区別されないのだ。

映画はシュールな映像の繰り返しで始まる。教会の祭壇だろうか、少女たちがつぶやいている。そして、そのヘリまで進んで飛び降りる。水の中に落ちた少女の映像。由紀がやや痴呆気味の祖母に手に怪我を負わせられた過去が挿入される。敦子はびっこに成る原因になった剣道の試合の場面がフラッシュバックされる。しかし次のカットで、実は彼女の足は治っているのだ。

夏休みも間も無くの頃、一人の少女が転校してくる。紫織というこの少女は、友達が死んだ姿を見たという。フラッシュバックされる自殺した友達のカット。ところがこの紫織の不気味さが全くでていないし、死体を見たことの影の部分が見えない。この少女の登場で物語が動くはずなのに、特になく、ただ女子高生の痴漢恐喝というエピソードを見せるだけにとどまり、紫織はその後しばらく画面から消える。そして、ラストのシーンが終わってエピローグで突然現れる。このバラバラ感が、因果応報のつながりに見えないのである。

由紀は小説を書いているのだが、かきあげた時に、何者かに原稿を盗まれる。それは国語の先生だったようで、その先生はその原稿で新人賞を取る。当然、由紀は復讐のために先生のパソコンから生徒の情報をネットに流し、先生はクビに、さらに自殺して死んでしまう。

夏休みも、死を見たいという願望から敦子は老人ホームへ、由紀は余命いくばくもない少年たちが入院する施設にボランティアで行く。そこで由紀は二人の少年と親しくなり、敦子は一人の介護士の青年と親しく成る。この辺りから、映画の質がどんどん前半と変わって平凡になってくるし、ますます二人の少女の存在感が薄くなってくる。

由紀は知り合った少年の父親を探し、見つけた父親は敦子の入った施設で知り合った青年で、その青年はかつて、痴漢恐喝で女子高生と法的に戦ったために一家離散していて、由紀が子供の父親探しに情報をくれると言った親父は変質者で、最後の最後、この親父は紫織の父親だったというオチがつく。何もかもが絡まり、網の目に絡み合っているのに、それがどうもうまく鮮やかに繋がらない。

なんども出る水の中に落ちる映像、スローモーション、由紀と敦子の友情などなど、描きたいという気持ちは見えるが描けていない感じなのである。

ラスト、夏休みが終わり、由紀と敦子が仲良く自転車で楽しく走っている。生徒全員に届いた紫織からの遺書のメール。由紀たちにも届くが気がつかないまま走り去ってエンディング。

何かが足りないのだ。どうすればよかったのだろう。由紀が書いた小説は敦子へのものだったラストも甘い。三島有紀子監督は決して凡人ではないのだが、シュールさの中に少女たちの揺れるような危うさを描こうとした意図がうまく描写しきれなかったのだろうか。期待外れというより期待しすぎの結果、ちょっと残念な感想という映画でした。


「逆襲大蛇丸
古き古き、さらに古き特撮もの。監督は加藤泰。とにかく、話は単純なはずのに、結局何のことかわからず、ひたすら見せるチャンバラシーンと、可愛らいいほどのガマと大蛇の先生戦いシーンを楽しむ一本。

時は戦国時代、家を滅ぼされた一族の亡霊が、復讐をすると、寝所に現れるシーンに始まる。どっちが悪者でどっちが正義かわからないのだが、多分児雷也と仲間の方が正義なのだろう。

この児雷也は妖術でガマを呼び出し戦う。一方悪者集団は大蛇丸という悪党が大蛇を呼び出し、戦いをする。そこに、あらゆる妖術を封じ込める朝霧丸なる名刀が登場し、丁々発止のチャンバラが何度もなんども繰り返される。まさに少年冒険活劇の如し。

なぜかカタツムリが出てくる妖術もあるが、何でこのカタツムリが出てくると大蛇が引っ込むのか不明。まぁ、理屈ははるかかなたに放っておいて、いかにもピアノ線で吊り下げられた大蛇と、ただ煙を吐いているだけのガマの一騎打ちを楽しむのです。

今時のCGとは比べようもない幼稚な特撮ながら、その手作り感を必死で面白く見せようと頑張ってる演が、これぞ娯楽映画と思わせてくれるからいいですね。こういうのは大好きです。


「忍術児雷也
先ほど見た映画の前半の部分。監督は加藤泰です。
同じく、古き懐かしいチャンバラ時代劇。児雷也大蛇丸誕生の物語を描きながら、戦国時代の争いの物語を綴って行く。

ガマや大蛇、カタツムリなどが登場する楽しい娯楽活劇という感じの一本で、お話はわかるのですが、緩急のない話の展開で、何かにつけチャンバラシーンが出てきて混乱する。

当時は、こういう時代物は観客も慣れていたのだろうと思いますが、台詞回しや時代劇調の語り口に時折ついていけない時もある。

でも、見せ場の妖術合戦は微笑ましいほどに楽しいし、娯楽映画としては十分に楽しめるから、さすがに映画全盛期の息吹というのは大したものだと思います。


「浪人八景」
気楽な娯楽時代劇かと思って見ていたら、何のことはない、細かいところまで行き届いた演出がなされている上に、丁寧に書き込まれた脚本で、なかなか見せてくれる作品でした。監督は加藤泰です。

浪人者の主人公雪太郎が、江戸へ向かう途中で一人の腰元松江と出会うところから映画が始まる。そこで調子の良い旅役者と、腕はたつが金のない浪人と出会い、気楽な道中が始まる。この導入部だけだと、本当にお気楽映画である。

実はこの松江は跡目争いの問題で江戸へ急いでいて、それを阻止せんとする藩内の追っ手をかわしながら江戸に入る。

そこで、藩内の跡目争いの騒動に首を突っ込むのだが、実はその藩の姫は雪太郎がかつてお世話をした姫で、お互い惹かれていたが、藩のため身を引いたのだ。恋した若き日の切ない恋物語が絡んできて物語は展開。

追っ手たちと立ち回る時の雪太郎のシーンなど実に美しく、背後に三味線の歌が聞こえ、和傘を巧みに使った演出もうまい。

屋敷に入り、姫がいることを雪太郎が知る場面では、中庭を挟んで琴を弾く姫を見たり、最初の再会の時は姫が睡眠薬で眠らされていたり、きめ細かく脚本が練られている。

展開は勧善懲悪なので、全てめでたく治るが、エピローグで雪太郎は再度松江と道中で再会、オープニングと同じ展開でエンディングを迎える。これが映画の作り方である。

気楽な導入部、心に訴えてくるドラマティックな中盤、余韻を残し、未来になにかを予感させるエンディング。うまいというほかない。思いの外いい映画で、胸が切なくなったし、楽しく見終わることもできた。