くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「永い言い訳」「みかんの丘」「とうもろこしの島」

kurawan2016-10-14

永い言い訳
これほど繊細に描かれる人間ドラマ、いや人生の物語というのは、やはり才能がなければ無理だなと思う。監督は西川美和。自身の原作を映画化した作品ですが、なんとも言えないものが心に残る。それは感動とかいう単純なものではない感覚。これが映像というもので描かれる物語なのだろう。素晴らしかった。

主人公の幸男が妻に自宅で髪を切ってもらっているシーンから映画が始まる。作家で有名人でもある幸夫だが、自分の名前が気にいらないとかわけのわからない文句を妻の夏子にぶつけている。しかし、一見、冷めた夫婦のように見せるオープニングなのに、どこか幸夫は夏子になんらかの心を向けている。

夏子はこれから親友のゆきと旅行に出かけるのである。そして、夏子は出かける。誰もいなくなったところへ、幸夫の愛人の智尋がやってくる。そして二人はベッドで愛し合う。翌朝、一本の電話が入る。バス事故で、夏子とゆきが亡くなったというのだ。こうして物語が幕を開ける。

現地で荼毘に付し、自宅に帰る幸夫の前に、一人の男性が近づく。彼は幸夫の昔の知り合いだという。そして妻夏子の友達ゆきの夫だった。最初は疎んじていたが、大宮の息子が母親の死で、自分の目標を失っている姿を見て、子供の世話を買って出る。そして、二人の兄弟と幸夫の微笑ましいストーリーが展開する。

しかし、たまたま優子という女性が現れ、幸夫の役割が失われると知って、幸夫は彼らから身を引く。たちまち、大宮の生活は苦しくなり、子供も、塾を休みがちになり、つい父親に罵声を浴びせてしまう。そのことのせいかどうか、父は事故を起こす。駆けつける幸夫。そして、大宮の息子と大宮を迎えに行き、見送る幸夫。

自宅に戻った幸夫は乱雑になった部屋を片付け映画は幕を閉じる。立ち直りのラストか、何かを訴えかけるあざとさはないが、主人公幸夫の心が明らかに変わったと察するラストシーンでした。

ゆっくり走り去る列車や花火、東京タワーの夜景などなど、さりげないインサートカットになんとも言えない情感を作り出す映像演出が見事で、その静かなシーンで、登場人物の心の内を推し量ってしまう。

単純な心の再生ドラマに終わらせない、片隅にある何かを感じてしまう奥の深い物語で、そのさりげない描写が心の中に不思議な勇気を残してくれる。
感性のいい映画だったかと思う。


「みかんの丘」
人と人の争いとは何か、殺すということは何か、人種の問題、人間の愚かしさを、山奥の小さな村を背景にたった四人の物語として描いた傑作。何故にここまで胸に迫ってくるのか、全く知識のない国の民族間の争いの話なのに訴えかけてくるのだろう。素晴らしい人間ドラマでした。監督はザザ・ウルシャゼという人です。

一人の老人イヴォが製材をしているシーンから映画が始まる。彼が作っているのは近くで友人のマルゴスが収穫しているみかんを入れる箱である。チェチェン人とジョージア人の争いが起こり、村人は皆エストニアに移住しこの村には彼らしかいないのだ。

そこへ二人のチェチェン人の兵士がやってくる。そしてイヴォに食料をもらい去っていくが、間も無くして銃声。行ってみると、先ほどの兵士の一人アハメドが重症、彼らと争ったジョージア人の3人が死んでいた。イヴォはマルゴスとその兵士一人を助け、残りを埋葬しに行ったが、なんと死んだと思った一人の男、ニカは息をしていた。

敵同士を助けることになったイヴォだが、家の中で殺し合いは絶対するなと約束をさせる。次第に二人の傷も癒えてくる。そしていつの間にか四人は一緒に食事をし、語り合うようになるのだ。

ある日、イヴォの友人で兵士のアスランらが立ち寄るがうまくかわす。ところが後日、ロシア人がやってくる。そしてチェチェン人だというアハメドを撃ち殺そうとしたので、隠れていたニカが発砲、全員殺した。しかしその撃ち合いで、マルゴスが死に、ニカも撃たれてしまう。

二人の棺を作り、埋葬した後アハメドは旅立っていく。

山深い村に霞が降りた時の情景、突然の爆撃で一瞬で燃え尽きるみかん山、網の下がった窓から外を見つめる人物のショットなど絵作りも美しい作品で、そんな映像美の中に描かれる人間の心の変化はたまらない感動になって胸に迫ってくる。

第三国の民族問題や歴史を描いているので、本当の奥の深いメッセージは理解していないかもしれないけれど、見事な映画でした。


「とうもろこしの島」
こちらも素晴らしい傑作でした。ほとんどセリフがないにもかかわらず、カメラワークと風景の変化、人の出入りを繰り返すという映像のみで物語を語っていく。映像表現の原点を突き詰めた作品の迫力に圧倒される映画でした。監督はギオルギ・オヴァシュヴィリという人です。

「みかんの丘」同様、ジョージアアブハジアの戦争状態が背景にある。両岸に敵同士がいる間の川には毎年、冬の食料を栽培するために中洲にとどまるという風習がある。一人の老人がその中洲にやってきて、土を調べ、やがてそこに囲いを作り、とうもろこしを植える段取りを始めるところから映画が始まる。両親を亡くした孫娘を連れてきて少しづつとうもろこしを作る土作り、小屋づくりを描く。ほとんどと言っていいほどにセリフはない。

時折、ジョージア人の兵士やアブハジア側の兵士が船で通りかかる。その度に緊張感が走る。

ある日、トウモロコシ畑の中に一人の兵士が傷ついて倒れているのを発見。その兵士を看病し、彼は間も無く回復するが、年頃になってきた孫娘はその男に興味を持つ。そんな時、傷ついた兵士を追っているという兵士が通りかかり、ワインをご馳走になり老人の元を去る。そしてある日、兵士はいずこかへ去るのだ。

密かな想いを抱いていた孫娘はその別れに涙する。やがて、いつもの雨季がやってくる。思いの外早い雨季に、必死で収穫を続ける老人と孫。しかしみるみる水かさが増え、船に十分に積み込めないまま、老人は孫娘を船に乗せ、沖へ流す。そして自分は崩れていく砂州の中で、流される小屋もろとも川に飲まれる。

開けて一隻の船が砂州にやってくる。すでにほとんど砂州は残っていないが、その男は砂州の中から、かつて娘が持ってきた人形を掘り起こす。カメラはその男を捉えて映画が終わる。この男、老人ではない。考えられるのはかつて助けられた兵士なのだろう。なんとも言えないラストシーンである。

カメラが、ゆっくりとパンをしたり、引いたり、あるいは、人物の顔をクローズアップで捉えたりと見事なリズム感で物語を紡いでいく。時に、自然の景色、月明かり、川の流れを交えながら、クライマックスは豪雨の中、大量の水がみるみる砂州を流すスペクタクルなシーンを見せる。

まさに映像のテンポはこうして作るのだと言わんばかりの演出力である。確かに地味な映画ではあるが、下手なスペクタクル映画より、ずっと迫力のある作品でした。見事。