「ダンケルク」
IMAXで見た。凄い。クリストファー・ノーラン監督の真骨頂というか、彼の才能を目の当たりにした出来栄えでした。映画の作り方の1つの到達点かもしれません。主人公は誰という人物中心のストーリー構成にせず、映像と時間軸のみで描き切った迫力に、オープニングからエンディングまで釘付けにされてしまいました。
静かな町の一角、イギリス軍の若い兵士が歩いていると、ハラハラと舞い落ちてくるビラの数々。そこにはドイツ軍がすでに街を包囲したからもはや逃げられないという内容が書かれている。
一人の若い兵士が数枚をズボンの中に押し込む。そして、進んでいくとやがて広い砂浜に出る。兵士という兵士が満ち溢れている。兵士は砂影に隠れ用を足そうとしていると、一人の若い兵士が、死体から靴などを手に入れ、丁重に死体を埋めていたので手伝う。その男はフランス兵らしい。
カメラは海に突き出した桟橋に集まる兵士を捉え、「一週間」と出る。救助の船がやってくるが、なかなか乗せてもらえないようで、負傷兵を運んでいる衛生班が先に乗っているのを見て、若い兵士とフランス兵士が、浜辺で倒れている兵士を担架に乗せ、船に乗り込むために走り出す。そしてなんとか乗るのだが、直後の爆撃で沈められ、又浜辺に戻る。
ここに一人の老人とその息子が今にも自分の船で港を出ようとしている。彼らは自前の船でダンケルクに救出に行こうとしているのだ。「一日」と文字が出る。軍が徴用する寸前に港を出てダンケルクに向かう。
ここにイギリス空軍の兵士がスピットファイアに乗って友軍二機とダンケルクに応援に向かっている。「一時間」と出る。彼らは、ドイツの爆撃機と戦闘機を見つけ空中戦を始める。とにかくカメラが飛行機をリアルに捉え、その迫力に圧倒されていく。
一方浜辺から出た船は沈められ、また脱出した駆逐艦は、魚雷や爆撃で次々と沈んでいく
そんな船に乗っては海岸に戻りを繰り返す冒頭の兵士達。
映画は、異なる時間軸で行動する3つのシチュエーションを1つにまとめながら物語を紡いでいく。迎撃した戦闘機が駆逐艦などのピンチを救うかと思えば、撃墜された戦闘機を下を走る民間船が助ける。その合間に浜辺に激しい攻撃が繰り返される映像が重なる。
そして物語は次第に1つの時間軸に収束していき、大勢の民間船がダンケルクに駆けつけるクライマックス。一機だけになった戦闘機が燃料が切れたにもかかわらずグライダーのようになって、敵のメッサーシュミットを撃ち落としゆっくり浜辺に降りていく。
そして、30万人以上を救出したダンケルクの物語は、無事の生還を喜ぶ市民達の歓迎シーンで幕を降ろす。
この作品に主人公はいない。ただ、ダンケルクの映像があるのみ。
しかも、本物にこだわったクリストファー・ノーランの美しいほどなリアリティと、まるで芸術のような画面作りで戦争というものを映像に転嫁させた物語があるのみである。
果たして戦争映画だったのだろうか?そんな疑問さえ生まれてくるような恐ろしい一本だった気がします。
「三度目の殺人」
ちょっと唸ってしまう一本。是枝裕和監督の言いたいところはわかるようで伝わりきらなかった感じの作品でした。それはどこにあるのかはそれも分かりづらい。福山雅治の役不足か役所広司の作り足りない部分かいずれにせよ気負い過ぎた感じの映画だったと思います。
期待していた一本だけにオープニングでおやっと思った悪い予感が最後まで予想通りだったという感想になりました。
夜の河川敷、男が歩いていて、後ろから一人の男が前の男を殴り殺し火をつけて殺害する。
そして画面は三人の弁護士が留置所に、殺人犯三隅に会いにいくシーンになる。
根津に頼まれ、前科のある殺人犯三隅の弁護を依頼された重盛は、気の進まないまま三隅の弁護を引き受け、すでに自供もあり、すんなり流れるであろうつもりで事務的に仕事に取り掛かる。
しかし、三隅の供述は的を射ていない上に実は殺された工場の社長の妻から金を受け取り、依頼殺人をしていたかのような証拠が出てきて、流れが変わり、さらに被害者の娘が被害者に暴行を受けていたことが娘から告白され、三隅の立場は二転三転し始めるにつけ、重盛は争点を見失っていく。
しかも、最後の最後、三隅は犯行を否認、重盛は一気に五里霧中の振り出しに放り込まれる。しかし結局、裁判官も検察官もここで方針を変えることもできず、そのまま争点を変えずに死刑を宣告する。
真実がどこにあったか何も明らかにせず、都合良い結論づけをする重盛にさらに三隅の追い討ちをかけるような一言のまま映画が終わる。
確かに、人間の真実の姿、殺人を犯す心理、などなど様々なテーマに臨んでいるのはわかるが、結局、死体を焼いた後が十字架に見えたり、三隅が飼っていた鳥のお墓にも十字架の形の石が並んでいたり、被害者の妻の話や北海道でのエピソード、被害者の娘が足が悪く三隅の娘もそうだったというエピソードも効果的に生きていないし、重盛の娘や妻との離婚話のエピソードも描き切らずに消えている。
しかも、三隅の携帯に残っていた被害者とのメールのやり取りの件などあまりにお粗末なエピソードになっていて、映画の論点がどこにあるのかわからなくなってしまっている気がするのです。
もちろん、映画の作劇や演出はさすがにしっかりしたものではあるのですが、やや脚本がおざなりになり、気持ちが先走った感の仕上がりである気がします。なんと締めくくっていいかわからない映画でした。