くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「かあちゃんしぐのいやだ」「彼のオートバイ、彼女の島」「

kurawan2016-11-29

かあちゃんしぐのいやだ」
一人の小学生の作文を原作に、木下恵介が脚本を書いためいへんで、叙情溢れる映像とストーリーが素朴な感動となって胸に迫って来る作品でした。監督は川頭義郎です。

作文の一編が画面に映し出され、タイトルから、小学校の校庭、子供達が飛び出して来るところから映画が始まる。一人の少年にズームインし、物語はこの少年良行と、その兄、母、病気がちの父の暮らしを淡々と描いていきます。

今となっては、確かに時代色が表立って見えますが、描くテーマは、家族の絆、素朴な少年達の心、懐かしい、純粋な人間ドラマという感じですね。

木下恵介脚本で川頭義郎監督もその弟子でもあるため、木下恵介作品のような叙情的な画面が随所に見られます。横にパンする映像、走り回る少年の姿、彼方に浮かぶ景色のこちらに配置する人物などの、静かで安定した画面が美しい。

お金がなくて入院を続けられなくなった父が家に戻ってきて、その日暮らしで毎日を過ごす親子。なけなしのお金で子供達は母にプレゼントをあげたり、爪に火をともす生活の中で子供達のためにジュースをご馳走したりする母。

熱を出して家族全員が病気になっても健気に一人の家事をする母の姿などなど、今ではさすがに少なくなった情景ですが、それはさておいても、そこに流れる、人間ドラマはたまらなく純粋で美しい。

そして、父は再度入院するも、やがて、死を迎える。その直前、良行の作文が知事賞を受賞し、その報告の直後父は死に、それでもしっかりと前を向いて生きようという子供達の言葉のナレーションから、学校へ走っていく良行のシーンでエンディング。

本当に、何の曇りもなく、ただピュアなドラマが画面いっぱいに広がる様は素晴らしいです。一本の佳作に出会った、そんな感想の映画でした。


「彼のオートバイ、彼女の島」
荒っぽい作り方ですが、一夏のカップルの物語という初々しいほどの切ない話は、ちょっと心に残る映画でした。監督は大林宣彦です。

モノクロームとカラーを交互に使い分けながら、冒頭のスタンダードサイズから一気にビスタサイズに変わる演出は大林宣彦らしいところです。

Kawasakiのバイクでツーリングしている主人公橋本の前に突然現れた美代子。その屈託のない笑顔と、物怖じしない仕草に惹かれるが、彼女もバイクが大好きな一人の女の子だった。その時は、一瞬の出会いだったのですが、冬美という恋人と別れ、一人ツーリングしていた彼の前に再び美代子が現れる。

こうして偶然が生み出した二人の恋が、オートバイという共通の恋人を介して、一方で、瀬戸内海の彼女の実家のノスタルジックな流れを交えて、爽やかすぎるラブストーリーが展開します。

たわいのないストーリーをモノクロとカラーの繰り返しと、テクニカルな編集と映像を駆使して、どんどん展開していく様が、まさに角川映画らしさを見せてくれる。

結局、二人は紆余曲折の末に、仲睦まじくツーリングする姿でエンディング。爽やかすぎる内容と、やや荒っぽい展開ですが、いい味を出している青春映画としては心に残る一本でした。しかし、竹内力、この頃は青春スターだったんやと思うと、どこをどう間違ってミナミの帝王になったんやろね。と感じる一本でした。


「ハンズ・オブ・ラブ 手のひらの勇気」
大女優ジュリアン・ムーアの向こうを張って、対等に演じたエレン・ペイジの素晴らしい演技に感動。脇を固めた役者たちの演技力で、非常に中身の濃い深みのある作品に仕上がっていました。本来、ゲイの映画、難病ものの映画は苦手ですが、素直に見ることができました。監督はピーター・ソレットです。

女ながら次々と手柄を立て、出世街道を必死で進む警部ローレルがこの日も事件を追っている場面から映画が始まる。

見事に手柄を立て、ある休日に、少し離れたところで行われたバレーボールの試合に出る。そこで、一人の若い少女ステイシーと出会う。一目で惹かれ合う二人。実はローレルもステイシーもレズビアンだったのです。男役のステイシーを演じたエレン・ペイジが抜群の存在感でローレルの前に現れるファーストショットも素晴らしいが、その後も常にスクリーンで存在感を見せる。

二人はパートナー登録をして、夫婦同様の生活を始めるが、程なくして、ローレルは末期の肺がんとわかる。

ローレルは、自分の遺族年金をステイシーに与えるべく申請するが、郡評議会で却下される。その理不尽さに、ローレルの相棒だったデーンも立ち上がり、やがてマスコミやゲイの団体も巻き込んでの大問題になっていく。

ジュリアン・ムーアの、衰えていくローレルの姿と、必死でステイシーのために戦う姿の演技も素晴らしいが、対するステイシーも、ローレルに寄り添い、ただ、愛する人を失っていく悲しみに必死で耐えながら戦うエレン・ペイジの演技も見事である。

さらにデーンを演じたマイケル・シャノンの存在感も見事で、どんどん、物語が奥が深くなって来る展開は絶品に近い。

結局、年金問題は、ステイシーに与えられることになり終結する。実話なのだから、そういうことなのだが、今から約20年前の、まだまだ、ゲイやパートナー登録などに理解の少なかった時代の物語としては本当にしっかりと描かれていると思います。テーマとしては好みではなりませんが、映画としては秀作だったと思います。

それにしても、エレン・ペイジはすごい女優さんですね。


「シークレット・オブ・モンスター」
サルトルの短編を映画化したということだが、結局、ヒトラー誕生の話をシュールな味付けをしたという出来上がりだった。監督はブラディ・コーベットです。

第一次大戦終結を迎えるニュース映像から映画が始まり、物々しい音楽と共に、教会の降誕祭の劇の練習をしているらしい映像が窓の枠を通して映される。一人づつ降りて来る子供達、そして最後に女の子のような髪をした少年プレスコットが降りて来る。そしてタイトル。いかにもシュールな映像で幕を開けるが、この後もこの少年の不可解な行動を中心に物語が展開する。

教会で、人々に石を投げつけ、翌朝、謝りに行かされるプレスコット。父は政府の高官で、大戦後の各国首脳との調整と終戦条約締結の仕事をしていてほとんど家にいない。そんな中、いら立ちを募らせる母。プレスコットは唯一、慕う女中のセナだけに気を許していた。

しかし、子供を甘やかすとしてセナを解雇し、みるみる性格が歪んでいくプレスコット。という流れなのだが、何が彼をそこまで意固地で頑なにしていっているのかという心理描写はそれほど見えない。

確かにカメラは独特のアングルや、カメラワークを見せるので、映像で演出していくというスタイルであるが、人物描写はそれについていっていない感じである。

第一の癇癪、第二の癇癪とテロップが進み、プレスコットの姿が描かれる。そして条約締結がなり、自宅で祝賀会が行われ、プレスコットは極端な絶叫で頂点を迎えるのだが、次のシーンで、大人になったプレスコットが大勢の人々に迎えられいかにも独裁者になりましたという映像で映画が終わる。

クライマックスの延々と会議室から外の場面までの長廻しは、見事であるが、全編、カメラ演出のみで見せるシュールな絵作りは、かなりの玄人向けの出来上がりに成っています。確かに相当なクオリティの映画ですが、ゆっくり思い返して見て、考えてみる作品という一本でした。