「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」
手短に書けば宗教映画です。悩んで、悲嘆のどん底にいる主人公が神に癒されて再生する話。描き方によればファンタジックで素敵な映画になるところですが、この映画の最大の弱点は、どん底に落ちた主人公の描写が中途半端で、神に出会って再生していく場面に力を注ぎ込み過ぎたという感じでしょうか。監督はスチュワート・ヘイゼルダイン。
主人公マックの少年時代から映画が始まる。酒を飲むと暴力を振るう父親に、あるとき少年は酒に殺虫剤を混ぜてしまう。そして物語は大人の時代へ時間が飛ぶ。
マックは愛する妻ナンと二人の娘と一人の息子に囲まれて幸せに暮らしていた。ところがあるとき、用事があるナンを残して家族でキャンプに出かけたが、長女と長男がボートでふざけているのを見ていてボートがひっくり返り、彼らを助けたマックは、ふと目を話した隙に末娘のミッシーがいなくなる。そして、捜索の末、変質者に殺害されたことがわかる。
悲嘆に暮れ、立ち直れなくなったマックはある雪の日、ふとポストを見ると、「パパより、あの小屋に来なさい」という手紙を見つける。普段から神のことをパパと呼んでいたマック達なので、悪戯だと思ったものの、騙されるままに惨劇のあった小屋に一人で向かう。
そこで二人の女性と一人の男性に出迎えられるが、彼らは神だという。そして、不思議な空気の中マックは彼らから、赦しというものを諭され、奇跡を見せられ、最後は天国のミッシーにも会わせてもらう。そしてマックは、再び人生を再生し家族の元に帰っていく。
というお話ですが、惨劇のあった小屋が神の力で楽園のようになり、そこで繰り広げられる不思議な出来事が、どれもとってつけたようでどうも入り込めない。キリスト教徒ではないからでしょうか。しかも、どん底に落ちた時の描写が曖昧なので、再生してハッピーエンドが、それほどインパクトなくエンディングがちょっと弱いのです。まぁ、こういうお話なのだとな得すればこれはこういう映画なのだなと納得します。そんな映画でした。
「あしたは最高のはじまり」
泣かせてくれます。少々、脚本が甘いので、思わず突っ込んしまうのと、ラストのインパクトは弱いですが、じわっと胸が熱くなりました。監督はユーゴ・ジェラン。
主人公サミュエルの少年時代、崖の上から飛び降りて勇気を試す年になり後ろに父が立っているが結局飛び込めず暗転。
コートダジュールの賑やかなビーチで女遊びに明け暮れるサミュエル。雇い主の女から嫌味を言われながらも遊び呆けているが、ある日、かつて関係を持ったクリスティンが現れ、あなたの子供だからと赤ん坊を預けて消えてしまう。大慌てでロンドンまで追いかけたものの捕まらず、たまたま知り合ったスタントマンプロデユーサーのベルニーのつてでスタントマンとなり娘を育て始める。オープニングのイラストを交えたタイトルが実に軽快で楽しい。
そして8年、高収入ゆえに娘をグロリアと名付け、おとぎ話のような家をあてがい楽しい日々を暮らすサミュエルとグロリア。母親は諜報員で世界中を股にかけていて、メールだけが毎晩届いていた。しかし、そのメールもサミュエルの自作自演だった。
しかし、そのメールのコピーをクリスティンのFacebookにアップしていたが、八年間未読のメッセンジャーが突然既読になり、明日ロンドンへ会いに来ると連絡がくる。当然、グロリアも狂喜するが、実は、クリスティンには恋人がいて、グロリアを取り戻しに来たのだった。
当然、一旦は母親についたグロリアだが、すぐにサミュエルの元に戻ってくる。
それに対し、裁判でも負けたクリスティンは遺伝子検査を要求。しかも、グロリアはサミュエルの子ではないことがわかりクリスティンの元に引き取られることになる。
そして、一旦は車に乗り込んだグロリアだが、嘘をついてサミュエルの部屋に戻り、二人は逃げることにする。一方、ベルニーはクリスティンにグロリアは病気でいつ死んでしまうかわからないと告げる。
こうして、コートダジュールのビーチに逃げたサミュエルとグロリアの元にクリスティンやベルニーもやって来て楽しい日々が続くがその数週間後、グロリアは亡くなる。亡くなる場面などはサミュエルの回想で綴り、おきまりのお涙にはしないものの、じわっと泣いてしまう。
やや、脚本をもう少し練ったらもっと見事なエンディングになったろうけれども、なかなか見せてくれる一本でした。