くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「秘密の森の、その向こう」「LAMBラム」

「秘密に森の、その向こう」

とにかく映像が抜群に綺麗。森の緑、紅葉、小屋の佇まいがまるでファンタジー、確かに物語はファンタジーなのですが、双子でしょうか、主人公の少女二人もキュートで可愛い。一人の少女の心の動きの一瞬を描いたとっても素敵な映画でした。監督はセリーヌ・シアマ

 

一人の少女ネリーが老人施設で一人の老人とクロスワードパズルをしていて、さようならの言葉と共に隣に部屋に行く、そこでもさようならと言って次の部屋、ネリーの祖母が亡くなったらしく、母が片付けている。ネリーの祖母は足が悪かったらしく、杖をネリーが欲しいと言って持って帰る。ネリーは祖母に最後のさようならは言えていなくて後悔していた。

 

ネリーは、森の奥、祖母が暮らしていた家にやって来る。母はさまざまな思い出に耐えられないと家を出て行ってしまい、ネリーは父と一緒にかたずけをはじめる。ネリーは、森に遊びにいき、かつて母が作ったと言っていた森の中の小屋を見つける。そこで一人の少女が小屋を作っていた。彼女の名前はマリオンと言ってネリーの母と同じ名前だった。

 

ネリーはマリオンと小屋を作り始める。マリオンに誘われマリオンの家に行ったが、ネリーの家と全く同じ作りだった。ある部屋を開けると女性が寝ていたので慌ててその家を後にする。後日、ネリーが二人で作っていた小屋に行き、飾り付けをしているとマリオンがやって来る。マリオンの家に行くと、足の悪い母親が出て来る。マリオンは三日後に手術をするのだという。

 

ネリーは、母がなぜ出て行ったのかわからないし、寂しい思いをしている。ネリーは一緒に遊んでいるマリオンに、あなたは私の母だと告げる。二人はクレープを作ったりボート遊びをしたりして過ごす。手術の出発が明日になった日、父はネリーにこの家を離れる準備ができたと告げるがネリーはもう一日マリオンと過ごしたいと頼む。

 

ネリーはマリオンの家に行き、その夜、マリオンの誕生会をする。翌朝、マリオンは手術のためにマリオンの母と車で出かける。マリオンの母に、ネリーはさよならと告げる。祖母が亡くなる時唯一さよならが言えなかったのがここで叶う。ネリーが家に戻ると、母が戻っていた。こうして映画は終わります。

 

映像が抜群に美しいし、双子でしょうか、マリオンとネリーがとっても可愛らしく、余計な描写を一切排除して、二人の無邪気な姿の中にメッセージを織り交ぜていく演出がとっても素敵で、さりげないテーマなのかもしれないけれど、見終わって清々しくなるような心地よさを感じさせてくれました。いい映画でした。

 

「LAMB ラム」

勘違いしているのかもしれないが、非常に俗っぽいテーマを、いかにもシュールな映像で作りましたという感じの映画に見えました。壮大な山々の広がりと羊の群れ、どこか意味ありげな夫婦、そこに生まれる異形の生き物。その異形の生き物を生み出した何者か、そのそれぞれが、人知を超えた至上のものであるかのような荘厳さは全く見えない。いかにも俗っぽく見える。悪く言えば、監督の独りよがりの作品だったのではないかと思えなくもない映画でした。監督はバルディミール・ヨハンソン。

 

吹雪の中、何やら獣のような息遣い、馬の群れが走り去り、羊の小屋にカメラが入っていく。羊たちが騒ぐ中、一匹の羊がぐったりとその場に倒れてタイトル。そして第一章が始まる。

 

イングヴァルとマリアの夫婦は羊の放牧をして暮らしているようで、この日も、生まれて来る羊を取り上げていた。一段落して、新たな羊を取り出そうとしたが、なんと生まれてきたのは首から上が羊で胴体は人間の異形の生き物だった。しかし、二人はごく自然に受け入れ、アダという名をつけ、ごく自然に一緒に暮らしはじめる。人間の赤ん坊のようにベッドに寝かせ、ミルクをやる。成長してくると、服を着せる。二本足で普通に歩くのだが顔は羊である。アダの母羊が何かにつけ窓の下にやって来る。

 

しばらくして、イングヴァルの弟ペートゥルがやって来る。マリアは、うるさいように付き纏うアダの母羊を銃で撃ち殺す。ペートゥルは、異形の生き物を普通に扱っているイングヴァルらを奇妙な視点で見つめるが、問いただしてもイングヴァルは、幸せがやってきたのだと答える。実はアダという名はイングヴァルとマリアの亡くなった子供であるらしいことがわかる。

 

最初は戸惑っていたペートゥルだが、撃ち殺そうとしてアダの目を見つめたあたりから情が移り、次第にアダと仲良くなって、何かにつけて一緒に行動するようになる。ある時、ペートゥルとアダは湖まで魚を釣りに行くが、帰り道トラクターが故障して歩いて戻って来る。ペートゥル、イングヴァル、マリアはハンドボールの試合で盛り上がり、イングヴァルは酔って寝てしまう。兼ねてからマリアに気が合ったペートゥルはマリアに迫るがそっけなくされてしまう。牧羊犬が何者かに殺される。

 

マリアはペートゥルをバス道まで送り、この地を去らせる。イングヴァルとアダはトラクターを直しにいくが、そこでイングヴァルは羊の顔、人間の体の獣に銃で撃ち殺される。それはアダの父だった。その獣はアダを連れ去ってしまう。異変を感じたマリアがイングヴァルの遺体を見つけ泣き崩れる。アダもいない。ペートゥルも去ってしまった。一人になり、号泣するマリアのシーンで映画は終わる。

 

幼い子供を亡くして、人生のどん底に落ちた夫婦、必死で毎日を送っていたがいつ壊れるともわからない危うさの中で、目の前に異形ながらも、人間のような生き物が現れる。ごく自然に受け入れ、ごく自然に幸せが舞い戻ってきたと自分達に言い聞かせる事でもう一度人生をやり直そうとする。しかし、結局現実は、自分達の子供はいない。それを再度目の当たりにするためには、イングヴァルが命を捨てざるを得ない。マリアは孤独のどん底に再度突き落とされるしかない。そんなメッセージなのかと思わなくもない。羊の獣は、悪魔なのか神なのか、いずれにせよイングヴァル夫婦に試練を与えたのか。しかし、この作品に宗教色は全く見えないので、勘違いしているのかもしれません。そんな映画でした。