「ザ・スクエア 思いやりの聖域」
前作はなかなか才能を感じさせる映画でしたし、今回もその感性の素晴らしさに圧倒されてしまいます。ただ、明らかに映画祭向けの作品という感じの一本でした。監督はリューベン・オストルンド。
アート界で成功を収め、近代美術館のキュレーターとして活躍する主人クリスティアン。ある時広場で、逃げて来る女性を抱きとめた男性に、協力してくれと言われ、手を貸すが、その男と別れた後、財布と携帯、さらにカフスボタンまで盗まれたことの気がつく。そして、部下の提案で、近くの巨大マンションに、脅迫めいたチラシを巻くことを提案され実行する。
このマンションは、クリスティアンから見れば、低所得者の住むマンションで、画面の所々に、今時珍しい乞食が登場する。こういう地区にある近代美術館では、一風変わった展示が繰り返され、美術館の前に作られたザ・スクエア」と呼ばれるオブジェには、人間はどこまで寛容になれるかというメッセージの問いかけがあった。
まもなく、財布も携帯も戻ったが、クリスティアンの周りで次々とトラブルが起こり始める。映画は、そのややシュールなトラブルの数々を苦笑いの中で描いていく。
巨大な螺旋階段が何度も登場し、どんどん深みに落ちていくような感覚を作り出し、何かにつけて乞食が画面のどこかに登場する空気感が、日常の人間たちへのどことない無関心さを描写していく。
あるとき、一人の少年が、かつてのビラで泥棒扱いされたと執拗に謝罪を求めて来る。さらに美術館前のスクエアで、物乞いの少女が爆発するという動画がYouTubeなどにアップされ、クリスティアンは窮地に立たされていく。
追い込まれたクリスティアンは、少年の住むであろうマンションに行くが、どうやら引っ越した後だった。映画はその帰り、クリスティアンの二人の娘と車で走り去って終わる。
セレブのクリスティアンと低所得者という対比に加え、人間がさりげなく無関心で、関わりを避けるという感情を、様々なエピソードで描く映像感性はなかなかのもので、評価するべき一本だと思いますが、映画祭向けの映画であることも確かです。そんな作品でした。
「ロンドン、人生はじめます」
非常に品のいい映画で、洒落た空気感がとっても素敵です。ただ、実話を基にしたフィクションということですが、ちょっと受け入れがたいキャラクターが気になってしまったので、普通の映画に見えてしまいました。ジョエル・ホプキンス。
広い草はらで凧を飛ばす子供、その凧が糸が切れて飛んで行く。一人の大男がやって来る。その凧を見ながら、草むらの中へ。彼はこの地区で暮らすホームレスのドナルドである。
ロンドンの高級マンションで暮らすエミリー、夫が多額の借金を残し死んでしまい、日々の毎日に奔走する日々である。あるとき屋根裏から双眼鏡で外を見ていて、ドナルドが水浴びしているのを見つける。そして、たまたま、彼のところに強盗らしきものが押し入るのを見て警察に連絡、翌日、エミリーはドナルドと会う。
こうして物語が始まるが、ドナルドの小屋は、この地域の所有を主張する開発会社から立ち退きを迫られていた。
それを聞いたエミリーは、世論を味方に法的な先住権を主張しようとする。意外とあっさりとエミリーを受け入れるドナルドのキャラクターが今ひとつ弱いのと、なぜ彼がこういう世捨て人的な生活をしているのかという説明がほとんどないために、上滑りのラブストーリーに見えるのが残念。
さすがに着こなしが抜群にうまいダイアン・キートンが物語を牽引するが、ドナルドのキャラクターが薄いので、もう一つ盛り上がり切らない。エミリーのマンションの個性的な住民やエミリーに迫る会計士や裁判するために訪れる弁護士を個性的な演出をしているのに、生かし切れていないのが手抜きに見えてしまう。
結局、裁判は勝訴し、エミリーはマンションを売って片田舎に引っ越す。ドナルドは広大な土地の所有権を得て大金持ちになるも、最後は土地を返し、エミリーのもとに駆けつけてハッピーエンド。
品のいい色彩と、カメラの美しさは評価できるのですが、じゃあなんでドナルドは土地を返すの?エミリーの夫はどういう立ち位置なの?など不完全燃焼で、それでもコミカルに描いたせっかくの脚本をもうちょっと大切に演出して欲しかった気がします。