くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「1999年の夏休み」「悲しみに、こんにちは」「ブッシュウィ

kurawan2018-08-21

1999年の夏休み」(デジタルリマスター版)
まるでおとぎ話のようなファンタジー。ある意味幻想的であり、どこか怪しいほどの危うさも漂っているのが不思議な映画でした。全員少女が少年を演じている作品。監督は金子修介

森の奥深いところに立ち全寮制の学校。一人の少年が何やら手紙を書き、そしてランプを手に近くの湖にいき身を投げる。少年の名は悠。

カットが変わると単線を走る列車で一人の少年が目を覚ます。さっき死んだ少年と瓜二つである。彼は薫と言って、この学校に転入して来た。学校には夏休みに帰る故郷もない則夫、和彦、直人がいた。彼らは悠と親しく、死んでしまったことに罪悪感と寂しさを抱えていた。

そして3人の前に悠と瓜二つの少年薫が現れ、3人は困惑する。果たして本当に薫と悠は別人なのか。

実は悠は和彦のことが好きで何通かの手紙を渡していたが、どれも和彦は無下に断っていた。悠が自殺したのはそのせいなのか。実は直人も和彦が好きだった。だから悠が死んだことで、内心喜んだのだ。

則夫は直人より一つ下の学年なので、この夏休みが終わりみんなが卒業すればほとりぼっちになることに寂しさを覚えていた。

そしていつのまにか和彦と薫は親しくなり、いつの間にか和彦は薫のことを好きになっていた。一方、直人は薫に、お前は悠なのではないかと迫る。悠の死体は上がっていない。彼は和彦の心を得るために戻って来たのではないかと迫る。そして薫は自分は悠なのだと告白。直人は湖まで薫を責め続け、殺してしまおうと迫る。そこへ和彦がやってくる。

一時は和彦と薫を残し、帰りかけた直人だが、気を取り直して戻ると、二人は湖に飛び込んだ後だった。おかしな雰囲気に則夫も駆けつける。

カットが変わると、ベッドに眠る和彦。直人は一人だけしか助けられなかったと告げる。そして冒頭と同じシーン。列車の中で薫が目覚める。そして学校へ。驚く和彦に「僕は悠でも薫でもない」と語る。

そして則夫と再会、そして・・・・そこには悠の死を受け入れ、彼が生きていたことを信じ、一つ心の成長をした3人がいた。

悠の死は果たして幻想だったのか。ただこの四人の危うい心の成長の象徴だったのか。結局、具体的でリアルなものなものは何一つないままに不思議な感覚で映画が終わる。まさに寓話である。


「悲しみに、こんにちは」
淡々と語られるタッチの作品で、両親を亡くした一人の少女が、その悲しみを押し殺しながら、次第に立ち直っていく姿を描いている。そのたまらなく切ない感動にいつの間にか包まれてしまう一本でした。監督はカルラ・シモン。

花火を見ている主人公フリダのカットから映画が始まる。両親を病気で亡くした彼女は、叔父夫婦の元で暮らすようになる。そこには幼いアナという少女もいて、フリダは一緒に遊ぶようになる。

突然の別れに、悲しみを表現する術も知らないフリダは、わがままを言い、可愛がられるアナに嫉妬心さえ見せ、子供心の残酷さを見せたりもする。

そんなフリダに戸惑う叔父夫婦の姿に、嫌われていると感じてしまうフリダ。

それでも一生懸命尽くす叔父夫婦。幼いアナはフリダを慕う。やがて新学期が近づいて来て、その準備をする叔母に、フリダは、死なないよねと尋ねる。そして母はどうやって死んだのか、自分のことを言ったのかなど聴く。

おばあちゃんにもらったパジャマを着てベッドでフリダとアナ、そして叔父とはしゃぐが、突然フリダは泣き出す。どうしていいかわからないままに、叔母はフリダを抱きしめる。暗転して、フリダの母の名前に捧げるテロップが出てエンディング。

唐突なラストだが、このカットで、フリダの何とも言えない悲しみと、その立ち直りが表現される。たまらないラストです。

これという物語もないのに、さりげない映像に散りばめられるフリダのも物悲しいクローズアップが見事な演出。小品ですが、いい映画でした。


ブッシュウィック 武装都市
延々とした長回しのワンカットで見せる前半のサバイバルアクションシーンから、話にネタ切れで一気に終わらせるクライマックスまで、何とも言えない適当な映画だった、監督はカリー・マーリオン、ジョナサン・ミロ

地下鉄で降りた1組のカップルがおしゃべりするシーンが延々と続いて映画が始まる。主人公のルーシーが彼氏を家族のところに連れ行くためにやってきた。そこへ、列車が運休になるアナウンス、改札を出ると火だるまの人間が駆け込んでくる。外に出ようとすると、ヘリコプターや銃声が聞こえる。様子をみようと出た彼氏は爆弾で死んでしまう。

一人になったルーシーが出てみると、暴徒に追いかけられ、何とか逃げ込んだ部屋で元海兵隊のスチュープと出会う。そして家族の元に行くためのサバイバルアクションが始まる。ワンシーンワンカット全く途切れず二人の逃避行を追いかけるカメラ。妹の家にたどり着くまでに、この動乱の経緯が説明されてくる。

何やらアメリカの一部の州が独立をすると言い出し蜂起したらしい。何ともめちゃくちゃな展開。ところがこの辺りまで来るとエピソードのネタ切れが目立ち始め、一方、ワンカットのカメラワークにも限界が来て、ヘリが俯瞰で見る街並みなど普通のカットも挿入される。しかも、何やら市民が反抗を始めたとのことで、それを助けるために、武器を保管しているおばさんが出て来て、無理矢理感満載のまま物語はクライマックスへ。

そして、ふとしたことでスチュープは死んでしまい、軍の救出ヘリの待つ公園へ向かうルーシーと妹のアクションがちょっと描かれてルーシーも公園で撃たれて死んでしまい、映画は終わる。何やねん、という締めくくりに唖然。本当にB級アクション感満載の映画だった。

オープニングやカメラの長回しは面白かったのに、力尽きた感じのエンディングになった映画でした。