「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」
1980年のウィンブルドン決勝戦をクライマックスに、ビヨン・ボルグとジョン・マッケンローの二人のテニスプレーヤーの人間ドラマを回想形式で描いていきます。ドラマ作りがしっかりしているのとテニスシーンの処理が実に上手いので、極限に追い詰められて行く二人の主人公の心の動きとスポーツの試合の緊張感がうまく融合して見応えがありました。監督はヤヌス・メッツ。
ウィンブルドン五連覇を狙うビヨン・ボルグ、その試合を数日後に控えているところから映画が始まる。
対して、その悪言から悪童と罵られながらものし上がって来た天才プレーヤージョン・マッケンローも、言いたい放題を言っているようで、追い詰められていた。
そんな二人のドラマを交互に描きながら、時間は刻々とウィンブルドン決勝戦に近づいて行く。この緊張感を作る構成が上手い。
そしてクライマックスの試合シーン、真上から捉えた二人のショット、ネットぎわのロングの画面と、ラリーの早いカメラワークの組み合わせが巧みで、時折挿入される二人の表情とうまく噛み合って、見事な緊張感を盛り上げていきます。
延々と続く試合の果てに、ボルグが優勝、試合中全く暴言を吐かなかったマッケンローに観客も賞賛を送り、二人は良きライバルとして別れる。そして翌年マッケンローがボルグを破ってウィンブルドンで優勝、ボルグは引退をしたというテロップで映画終わる。
映画的な作りの面白さと実話のリアリティがうまく噛み合った、なかなかの作品でした。
「アントマン&ワスプ」
マーベルの中では面白いのだが、今回話がてんこ盛り過ぎて薄っぺらい出来上がりになってしまった。監督はペイトン・リード。
アントマンのスーツの考案者ハンク博士が妻ジャネットと任務をこなすにあたり
量子サイズまで小さくなったジャネットが行方不明になるシーンから映画が始まる。
主人公スコットは2年前の事件で自宅謹慎を受けて娘と遊んでいる。そこへ、ハンク博士の娘ホープが現れ、量子世界に行ったジャネットを探すために協力するように要請、物語が始まる。
そこに、事故で体が消えてしまうゴーストが、元に戻るためにハンク博士のラボを奪おうと登場、物語が混戦して展開して行く。
あとは小さくなったり大きくなったりの独特のアクションが次々と登場、たわいないユーモアシーンもちらほら挟まれているがどれも今ひとつで、全体のスパイスになっていないのは残念。こういうところの活かし方は、やはり監督のセンスでしょうね。
ラストはハッピーエンドの大団円、まぁ、軽く楽しむには普通の娯楽映画という感じでした。
「判決、ふたつの希望」
映像で物語を語るという映像作りの傑作、見事な映画でした。しかも、脚本もしっかり書かれていて、この国の歴史などの知識がほとんどなくても、明瞭に把握できる。さらに、カメラワークも卓越していて、クローズアップやパンニングを組み合わせたリズム感が人間ドラマの表現においても優れている。監督はジアド・ドゥエイリ。
レバノンに住むトニー夫婦、妻は間も無く赤ん坊が生まれる。できたらノルウェーの静かなところに引っ越したいと言っているがトニーは躊躇し、この街でクルマの修理工場を営んでいる。
トニーの住む向かいに建築現場があり、生真面目な現場監督のヤーセルが指揮をしていた。ところが突然、水をかぶってしまう。見上げるとトニーがベランダで水をやっていて、その水が樋を通って落ちてきたのだ。ヤーセルは、樋の位置を変える工事をしたが気に入らないトニーは壊してしまう。その姿に思わずヤーセルはトニーに暴言を吐いてしまう。
それを聞いたトニーは、ヤーセルの雇い主の会社社長にヤーセルに謝罪するようにいうが、ヤーセルは頑なに断る。社長の仲介で、トニーの工場にやってきたヤーセルにトニーが暴言を吐き、逆上したヤーセルは、トニーを殴り肋骨二本折ってしまう。トニーはヤーセルを告訴したが、ヤーセルはトニーの暴言について語らず自ら有罪と名乗る。結局、ヤーセルは無罪となる。
ヤーセルはパレスチナ難民で、トニーはレバノン在住、どこかしら普段から確執があったという難民問題が次第に物語の表に出てくる。
トニーはヤーセルを控訴し、お互いに弁護士を立てることになる。しかも、二人の弁護士は、何かの意図があり、無料で請負、さらに親子であるという設定も出てくる。
こうして裁判は始まるが、トニーは怪我の中無理に仕事をしたために倒れ、そのショックで妻は早産してしまう。
トニーの暴言の内容が、難民を冒涜するものであることから次第に裁判の戦いがこの国の歴史的な争いに絡み始め、市民も参加してことが大きくなり始める。トニーもヤーセルも、自分たちからかけ離れて行く展開に戸惑うのだが、物語は、この二人に関わる過去を表にして行くことで、もっと奥の深いテーマへと進んで行く。この展開が実に素晴らしい。
事の重大さに危機感を持った大統領は二人を呼ぶが、その帰り、ヤーセルの車のエンジンがかかりにくく、トニーが治すエピソードが插入され、二人の間に何気なく心のつながりができ始めたことが見えてくる。
トニーの弁護側は、トニーの幼い頃の虐殺事件の記録を手に入れ、トニーの暴言の原因を明らかにせんとしてくる。この辺りからそれぞれの弁護士の陳述も、二人の人物に関わった自分たちの歴史への洞察に及んでくる。
そして、虐殺事件の映像が出た夜、ヤーセルはトニーの工場をおとづれ、わざと悪態をつきトニーに殴らせたあと、謝罪する。
やがて、判決の日、裁判長は当初の判決通りヤーセルは無罪と結審、裁判所を出たトニーはヤーセルを振り返り、お互い視線を合わせる。
トニーの子供も無事退院し、元の生活に戻る。判決の日の最後の弁護士同士の陳述で語られるのは、かつて目を瞑り葬ってきたこの国の虐殺事件などの悲しい事件にもう一度目を向けるべきだと語る。
一見ただの法廷映画なのだが、描かれるメッセージの奥の深さは限りなく深い。パレスチナ難民の問題やレバノンの歴史などほとんどその知識はないのだが、なんとなく、見えてきた気はする一方、そういう現実の出来事だけではない人間の存在のあり方、生き方の根本的なものを感じさせてくれた気がします。素晴らしい作品に出会いました。