くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「男と女、モントーク岬で」「羊と鋼の森」「万引き家族」

kurawan2018-06-08

男と女、モントーク岬で
ふとした出来心からおかしてしまった大人のラブストーリーという感じで、どこかノスタルジックで切ない話のはずなのだが、男のエゴにしか見えなくもない身勝手な恋物語。でも、こういう気持ちは世の中の男は誰も持っているのではないかと思ってしまう。静かに奏でられる物語は一見高級品のごときだが、結局俗物の物語だった気がします。監督はフォルカー・シュレンドルフ

主人公マックスが新刊の発表会と朗読会を催しているシーンから映画が始まる。そこでたまたま出会った旧知の知人ウォルターから、かつての恋人レベッカのことを聞く。マックスは無性に彼女に会いたくなり、妻のクララに黙って、秘書のリンジーに連絡先を探らせレベッカの事務所へ。彼女は弁護士になっていた。

朗読会の招待状を渡すがきてくれなかったレベッカになんとか会おうと、住所を調べさせ、いきなり自宅に行く。ここまでしたらストーカーだと思うが、深夜の訪問者を部屋に招き入れる。というかたまたまいたレベッカの友人が無理やり招いた。

その日は別れたものの、後日、レベッカから、一緒にモントークへ行こうと誘われる。夕方から友人のパーティに行く予定だったためクララから早めに帰るように釘を刺され、マックスは嘘をついてレベッカの元へ。

モントーク岬は二人の思い出の場所だった。二人は、かつてなぜ別れたのかを語り合いながら、当時、読者の一人と関係ができてしまったマックスはレベッカを傷つけまいと去ったことを告白。一方のレベッカはマックスと別れた後出会った男性と愛し合ったものの、その人は亡くなったことを告げる。

やがてさりげなく惹かれあった二人はその夜は帰らず体を合わせる。翌朝、マックスとレベッカは別れ、マックスが帰ってみると、クララの姿がなかった。

後悔したマックスはリンジーにクララの行き先を聞き、迎えに行く。そしてウォルターが渡したいといっていた絵を見に行くが、その絵はマックスとレベッカが付き合っていた当時買ったものだと言われ、受け取りを拒否する。しかしそれはクララが知るところではなかった。
そしてクララに別れを告げ飛行機に乗るマックスのカットでエンディング。

切ない話のようなのだが、どうもマックスが身勝手にしか見えなくて、最後までのめり込みきれなかった。フォルカー・シュレンドルフ作品で、映画のクオリティはなかなかですが、あまり好みの映画ではなかったです。


羊と鋼の森
素直ないいお話ですね。素直ないい映画ですね。悪くいうとなんの変哲も無い映画ですが、あっさりと見終わることができました。山崎賢人は決して下手な役者では無いけれど、流石に周りの役者が芸達者で埋もれてしまった感じです。監督は橋本光二郎

平凡に過ぎて行く高校生活をする主人公外村が教室で一人残っているシーンから映画が始まる。そこへ、ピアノの調律にきた板鳥を案内するように言われ、講堂へ。そこで板鳥の調律する姿を見て外村は調律師になることを決めて物語が始まる。

二年の勉強ののち、地元の楽器店に就職、そこで先輩柳の下で修行を始める。得意先佐倉姉妹のピアノを調律したり、14年間も放っておいたピアノを調律したり、バーのピアノを調律したりと仕事を繰り返し、次第に成長して行く外村の姿を描くのが本編。

よくある挫折と成長を繰り返す展開から、佐倉姉妹がピアノを弾かなくなり責任を感じるくだりから、外村を可愛がってくれた祖母の死で新たに踏み出し、クライマックスは柳の結婚式のピアノの調律をすることで、自分の目標を見つけ、突き進んで行くカットでエンディング。

あざとい映像演出がやや鼻に着く作品ですが、物語が平坦なのでそこをカバーし、普通の仕上がりで無難に仕上がっています。見て損をするほどのものでは無い程度の出来栄えの一本でした。


万引き家族
21年ぶりにカンヌ映画祭パルム・ドール賞受賞の一本、期待通りと言いたいところですが、いかにもカンヌが好みそうな作品でした。確かに、埋め込まれたテーマ性、映像の組み立てのうまさ、甘えを許さないラストシーンなど、流石によくできていますが、コンペティションにでた他の作品次第という出来栄えだと思います。監督は是枝裕和

中年のおっさん柴田と少年翔太が、とあるスーパーで巧みに万引きをするシーンから映画が始まる。その帰り道、アパートの廊下で小さくなっている一人の少女ゆりをみつけ、思わず家に連れて帰ってしまう。

家には初枝というおばあちゃんと亜紀という女性、信代という女が暮らしていて、家族のようだが家族では無いようである。こうして物語が始まる。

どうやらそれぞれが日雇いのような仕事をしながら、時に万引きなどをして暮らしていた。最初はすぐに返すつもりだったゆりと二ヶ月以上も生活するようになり、一緒に万引きをし、妹して翔太もかわいがるようになる。

亜紀は風俗店で働いていて、そこの客に心が引かれたりもする。亜紀は初枝の本当の孫であるらしく、初枝は息子の家庭に時々よっては金をもらっているようである。

ある時みんなで海水浴に行き楽しく過ごすが、間も無く初枝が死んでしまう。柴田たちは葬式を上げる金もないので初枝を自宅に埋める。

翔太は万引きすることに最近疑問を感じ始め、またゆりが万引きするのは駄菓子屋のおじいさんに咎められ、ゆりを守ろうとし始める。そしてある時、ゆりが万引きを見つかりそうになり、翔太がわざとものをとって逃げ、道路から飛び降りて骨折し病院に担ぎ込まれる。

それがきっかけで柴田たちは捕まってしまう。そして翔太は施設に預けられ、信代は死体遺棄の罪を一人で受けて刑務所に入る。

物語の展開の所々に、登場人物がいかにこうなったががさりげなく語られる。翔太は車の中に置き去りにされていたらしく、それを柴田たちが連れ出したようだ。柴田と信代は痴話問題で男を殺して埋めたらしいが正当防衛で処理されたらしい。

亜紀は家庭で何かあったようだが、ここはあまり詳しくわからない。ゆりの両親は娘が行方不明になっても捜索願も出さずどうやら父はDVであるらしい。

翔太は一人暮らしになった柴田と一晩過ごし、また施設に帰って行く。去って行く翔太のバスを柴田が追いかける。信代は柴田と翔太に面会に来させ、翔太にどんな車に閉じ込められていたのかを伝える。

みんながバラバラになり、ゆりはアパートの廊下で一人遊んでいる。時々外を見て、あの夜のように迎えにくるのではないかと外を見てエンディング。

前半は、血のつながりのない人々が絆で繋がったかのように暮らす楽しい日々、後半は警察の尋問に答える一人一人一人をとらえて、本当の家族、親という存在、などなどを描写して行くのだが、かなり霧に包んだような演出になっていて、考えさせる映像になっている。

確かに優れた映画だとは思うが、ヨーロッパ人が好むタイプの作劇になっているのは確かで、「羅生門」を思い出してしまいました。好みの分かれるところもある映画だと思いますし、受賞がなければ大ヒットする作品ではないと思います。