くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「血槍富士」「虚栄は地獄」「漕艇王」「少年美談 清き心」「劇場」

「血槍富士」

これは傑作でした。コミカルなドラマから映画は始まるのですが、いつの間にか人情味あふれる展開、そしてクライマックスは派手な立ち回りの後、風刺の効いたラストシーンで締めくくる脚本構成が素晴らしい。監督は内田吐夢

 

槍持ちの主人公権八は、江戸に大事な品物を届けにいくためのお供として荷物持ちの男と、酒癖は悪いが実に人情味あふれる主人と街道を進んでいる場面から映画は始まる。絵に描いたような富士山を背景に、街道の大泥棒やら、十手を預かる岡っ引、さらに何やら大金を持っておどおどしながら進む男、槍持ちに憧れる少年、娘と旅する大道芸人の母娘などが絡んで、ほのぼのした展開で進むんでいく。

 

途中、風流にも道端で菓子を食べて休む侍たちや、参勤交代でやってくる一行の衝突など、侍を馬鹿にしたコミカルなエピソードを絡めて、権八たちはとある旅籠へ。そこで、娘を身請けしようとする男が奉公先に行くと娘は死んでいて、必死で貯めた金が無駄になるかという時、たまたま娘を奉公させざるを得ない父娘と出会い、彼らを助ける。また、街道の大泥棒がその旅籠で権八たちの手柄で捕まる。などなどのエピソードが人情味あふれる展開で進む。

 

そして旅立ちの日、権八らの主人は、武士のあまりにもバカバカしい社会に嫌気がさして、酒を飲みに寄ったところへ、寄った侍たちに絡まれ殺されてしまう。慌てて駆けつけた権八が侍たちを槍で殺すが、結局、主人の仇討ちとして処理され、お咎めなしとなり、旅立っていく。槍持ちになりたいとついて来た少年に、そんなものになるなと諭して彼方へ去っていく。少年が号泣して映画は終わる。

 

武家社会のばかばかしさをコミカルかつ娯楽色豊かに描き、一方で庶民の何気ない生き方を称賛する視点が素晴らしい一本。こういう傑作もまだまだあるのだなあと感動してしまいました。

 

「虚栄は地獄」

小気味良いテンポで描かれていく感じが心地よいサイレント映画でした。監督は内田吐夢

 

妻に隠して靴磨きをしている夫、社長秘書だと言って実は運転手の車掌をしている妻、お互いに職業を隠していたが、ふとしたことでバレてしまい溝ができる。しかし、借金取りに妻が自分のボーナスを出したことで、夫も快く思い、仕事に貴賎はないと反省して幸せに暮らしてエンディング。

短い映画ですが内田吐夢の劇映画第一号で、貴重な作品でした。

 

「漕艇王

大学の漕艇部を舞台にしたたわいのない映画です。監督は内田吐夢

 

高校の漕艇部で実力を発揮している望月は、友人の林と一緒に大学に入学。ところが望月を陥れてやろうという連中が望月がクラブの練習をさぼって女性とボートに乗っていたと校長らに告げ口し、証拠写真を渡す。怒った校長や漕艇部のコーチが望月を退部処分にする。

 

ところが、たまたまコーチの姪が、悪者たちが捨てた写真を拾い、自分が望月とボートで遊びに行った写真と判明、おりしもライバル校との試合の直前、望月の疑いが晴れ、林は望月を探しにいく。そして望月は試合会場へ駆けつけて無事試合に勝って終わる。

 

林が望月を見つけるのに徒歩でいくのに、望月は馬に乗ったりボートに引っ張ってもらったりと距離感がバラバラ。でもコミカルに見せていく面白さが楽しい映画でした。

 

「少年美談 清き心」

どちらかというと教育映画的な作品。監督は内田吐夢

 

学校の先生が一人の優等生清水が道端で何か拾うのを見つける。たまたま、一人の女生徒が母の薬のお金を道で落としてしまい困っているのをみて女生徒に銀貨をやる。しかし、先生は清水がお金を拾ったものだと疑い、自分から名乗り出るようにと昔の逸話を語る。

 

そして清水を呼び出すのだがそこへ女生徒が、落としたお金は牛乳配達の若者が届けてくれたと先生のところにやってくる。先生は清水が何を拾っていたのかを問い詰めると、釘やガラスが道に落ちていると人が困ると思って時々ガラクタを片付けていたのだと答える。先生は少しでも生徒を疑ったことを恥じて映画は終わる。という映画でした。

 

「劇場」

いい映画でした。行定勲監督らしい一本で、一人台詞で延々と引っ張る前半から終盤一気に不器用な男女の心のドラマに昇華していく流れが胸に迫る。ただ、もうちょっと、いやもっともっとよくなっていた気もする。全盛期の行定勲ならもっとバイタリティがあったように思うのです。

 

主人公永田のアップ。後どれくらいもつのだろうと呟いている。学生時代の仲間の野原と劇団を立ち上げて舞台を作るが周囲の評価は酷いもので、それでも演劇を続けている。金もなく、どん底に落ちていく自分を見ながら、ふと目に止まった画廊、一人の女性がショーウィンドウの絵を見ている。永田もその絵を見る。女性が立ち去るが永田は後を追う。追いついて、「同じスニーカーですね」と声をかける。彼女の名前は沙希、二人はこうして出会う。

 

不器用な永田は野原に相談して、沙希をデートに誘う。何かにつけてケラケラ笑う沙希。そんな彼女を見て、永田は次の舞台のヒロインに出てもらうことになる。そしてその舞台は成功し、劇団の評価も上がり始めるが、まもなくして永田と沙希は一緒に住むようになり、永田は沙希を舞台に出さなくなる。この辺りの経緯の描写が実に甘く、永田の一人台詞で描いていく物語の限界が見え始める。

 

あとは永田と沙希の不器用ながらお互いに惹かれながらの生活がぎこちなく描かれるのだが、いつのまにか沙希は限界を感じ始めている。それを感じながらも知らないふりをしている永田がいる。やがて永田は、演劇にのめり込むために沙希と離れて暮らし始める。

 

永田は他の小劇団の舞台を見て自分との格の違いに打ちのめされたりするがそれを沙希の前で見せず、時に沙希に素っ気なくしたり、すねてみたり、憎まれ口を言ってみたりする。そんな永田に軽やかに笑いかける沙希だったが、いつの間にか沙希は酒に飲まれていくようになる。そしてついに沙希は実家に帰ることにする。

 

荷物を置いて実家に帰り、仕事につき、まもなくして荷物を取りに戻るが、整理の準備に来ていた永田と久しぶりに会う。整理していた荷物の中にかつて沙希に出てもらった舞台の台本が出て来て、二人で読み合わせを始めるが、途中からお互いに素直な気持ちをセリフにし始める。そして突然壁は倒れ舞台に変わる。

 

沙希に惹かれたいたと感情のままに語る永田、そして分かりながらも時の流れに逆らえなかった沙希、素直に気持ちを舞台の上でぶつけ合う二人、いつの間にか客席には大人になった沙希がその舞台を見ていた。自分たちの若き日の不器用さに涙している沙希がいた。やがて舞台は終わり暗転、かつて沙希と永田がふざけた猿の面を永田がかぶり、涙ぐんでいる客席の沙希に戯けて見せる。とうとう耐えきれず沙希がフッと笑って舞台は終わる。客が全て出て、最後に沙希が立ち上がり、フレームアウト寸前で映画は終わる。

 

語るべき物語はしっかりと伝わって来たし、いい映画だったと思います。でも、行定勲ならもっといい映画が作れるはずだと思うのです。そこだけが少し残念でした。