「約束の宇宙」
とっても丁寧に作られた作品で、子供を残して宇宙に旅立つ女性の物語で普通の映画ですが、不思議なほどに心に響かせてくれる作品でした。監督はアリス・ウィンクール。
主人公サラが宇宙飛行士の訓練を受けている場面から映画は幕を開ける。シングルマザーで、一人娘ステラは発達障害なのか幾つかの認識障害をもっているが明るく元気で母を慕っている。そんな時、サラはプロキシマと名付けられた火星探査のミッションのクルーに選ばれる。子供時代からの夢が叶うと嬉々とする反面、一年近く娘と離れることの抵抗もあった。
ステラを元夫に預けてサラは過酷な訓練に入る。そしてステラと、発射前のロケットを一緒にみにいくという約束を交わす。娘のことが気がかりで一時も気を許せないサラだが、訓練も進み、出発の日が近づいてくる。映画は、離れた娘のことが気がかりな母の姿と母を慕うあどけない娘のシーンを交互に描きながら、大きなミッションの背後にあるドラマを描いていきます。
そして、いよいよ出発の日が来ますが、ステラは飛行機に乗り遅れ、サラの元に着く頃にはサラは隔離スペースに移動していた。ガラス越しにサラとステラは最後の会話を交わすが、去り際に、バイバイママというステラの言葉にサラはある決意をします。
深夜、隔離スペースを抜け出し、サラの泊まるホテルに行き、二人でロケットを見に行く。夜明けに浮かぶロケットを二人で見た後、ステラを部屋に送り、サラは消毒液で全身を満面に洗い、そして他のクルーと発射台へと向かいます。
父の肩車でじっとロケットを見つめるステラ、やがてカウントダウンからロケットは発射され、宇宙空間の彼方へ去っていきます。それを見つめるステラのシーンで映画は終わります。
エンドクレジットでは、さまざまな宇宙飛行士たちがまだ幼い子供たちと映る写真が次々と写されます。宇宙飛行士も一人の人間なんだとサラに話すアメリカから来たマイクの言葉が蘇ってきます。これという仕上がりの映画ではないけれど、ステラが可愛いし、サラもいかにもな人間として描かず、非常にか弱さを滲ませていることもあって、どこか心に染み渡ります。いい映画でした。
特に主人公というものを設けずに、ほぼ無名の役者を使って、ひたすらベトナム戦争の凄惨さ、無意味さを描いていく作品で、その描写のリアルさはなかなかのものです。面白いとかそういう類の作品ではなく、奇妙なリアル感を見せていく映画でした。監督はジョン・アービン。
南ベトナム1969年、ある部隊が北ベトナム軍に囲まれ、ヘリコプターによって救出されるところから映画は始まる。そして間も無く、再びエイショウ・バレイへ派遣されることになる兵士たち。減った兵士は新兵で補われ、再びヘリで向かう。エイショウ・バレイ奪還が任務である。
麓のベトナムの女たちを抱き、馬鹿騒ぎをしながらも、ふとしたことで諍いになったりするという一触即発の緊張感に取り憑かれている兵士たち。故郷からの手紙を読み、本国では戦争反対を訴える様が伝わり、現地の兵士たちの姿など蚊帳の外のような世界が伝わってくる。しかし、派遣された兵士たちにとっては、今この状況がそのまま現実だと言わんばかりである。
映画は、丘の麓で冗談を言いながら緊張をほぐし、そして丘を目指して上がっていき、仲間が死んではふもとに戻り、また丘の上を目指すという繰り返しを描きながら、味方のヘリにさえ誤射されたりしながら、凄惨な状況を繰り返す様が描かれていきます。
そして次々と仲間を亡くしながらも20日間戦い、とうとう丘を奪取して映画は終わっていく。そこにあるのは、虚しさ、脱力感のみ、達成感などというものはない。映画はこうして終わります。
馬鹿を言ってははしゃいでいる場面から一転して丘へ向かう兵士たち、それが繰り返される映像展開に見ている私たちも、その虚しさに打ちひしがれていきます。好みのジャンルではありませんが、一見の価値のある作品だったと思います。