くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「映画 太陽の子」

「映画 太陽の子」

可もなく不可もなし、テレビドラマレベルの凡作でした。映画としてのスケールを感じられないし、主人公へのしっかりとした演出がなされていないので、誰が中心で物語が回るのか全く見えない。とはいえ、毎年8月にはこういう映画をするべきだと思います。監督は黒崎博。

 

京都大学の研究者石村修が清水焼の窯元を訪ねてくるところから映画は幕を開ける。窯元の主人がおもむろに取り出した瓶のようなものを持ち帰る修。それは焼き物に使う染料なのだが、ウランの粉末だった。修は、京都大学で荒勝教授の元で、原子核分裂の研究をしていた。つまり原子爆弾を作り研究である。時は1945年、軍から急がされる中で修らはは必死で実験を繰り返すが、なかなか前に進まない。戦況は厳しくなってきて、研究員たちにも焦りが見え始める。

 

修には戦地に行っている弟の裕之がいた。肺の病で一時帰宅した裕之を修や、母フミ、そして建物租界で家を失った世津らが迎える。裕之は戦場で深い心の傷を負っていた。一方の修も自分らが作る物にある恐怖を感じ始めていた。この心の葛藤部分が全く描けていないので物語に締まりが出てこないのです。

 

やがて、裕之は戦地へ戻っていく。間も無くして8月6日がやってくる。アメリカに先を越された落胆の中、修たちは広島の現場を視察に行く。一面何も無くなった世界を目の当たりにして呆然とする修たち。ここの場面がいかにもしょぼいので、悲壮感が全く見えないのは実に残念。さらに長崎にも原爆が落とされ、次の目標は京都だろうという噂が流れる。

 

修は比叡山に登り、爆弾投下の現場を目の当たりにして研究すべきだとひとり比叡山に行く。しかし、まもなくして終戦となる。修は広島で資料採取している研究員たちのところへやってくる。修の耳に、アメリカ人の声が聞こえてくる。「いつの時代も科学は人間を超えていく。これでいいのだと」。苦悩する修の場面で映画は終わるのだが、そんな描写が全く伝わってこないこの弱々しい演出はなんだろうと思ってしまう。まぁ、適当に作ったのかもしれないがあまりにお粗末な一本でした。