くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「殺人鬼から逃げる夜「クーリエ 最高機密の運び屋」

「殺人鬼から逃げる夜」

駄作の極みに久しぶりに出会った感じ。何度映画館を出ようかと思うほどにひどい映画だった。状況設定、舞台設定が全然できていないし、登場人物が主人公から脇役に至るまでバカでアホやし、こんな脚本、ど素人でも書かないやろやろと思うほどにそのば限りのダラダラの連続だった。こんな映画買い付けてくる映画関係者の低レベルに参る。最後には、主人公さえも殺されてもいいんじゃないかとさえ思えてきた。最低。監督はクォン・オスン。

 

過疎の町らしく人通りのない風景、ある工場から仕事を終えた女が一人出てくる。え?従業員一人?そこへいかにもな若者、これが殺人鬼なのだが、現れて物語は始まる。殺人鬼の車の中には他にも死体があり、この女も殺されるが、警察が来て、実はこの殺人鬼が通報した?まあいいけど、警官もこの青年はただの発見者という扱いでなんの疑いもしない。アホな韓国警察。

 

ここに今から合コンに行こうというソジュンという女の子。兄のジュンソクは元海兵隊で大の妹思い。兄の心配をよそに飛び出していくソジュン。ここに、耳に聞こえない一人のOLギョンミ。顧客との接待のメンバーに立候補して、セクハラ満載の席で手話で悪態をつく。ギョンミの母も耳が聞こえず喋れない。仕事で貯めたお金で娘とチェジュ島へいく計画があり、娘と夜、待ち合わせる。ところが、殺人鬼のドシク、っていつ名前出たか分からんけど解説によると、はソジュンを刺した直後で、ギョンミとその母を見つける。というか、ソジュンに重傷を負わせて放置って、なんとも中途半端な殺人鬼。

 

車を置いて、母と待ち合わせ場所へ向かうギョンミは、路地でうめいているソジュンを発見、ところがドシクに見つかり追われることになる。一方、妹の帰りが遅いジュンソクは妹を探しに出てきた。ギョンミはなんとかドシクをまいて母のところへ行くが、そこにスーツ姿のドシクが現れる。最初殺人鬼と会った時は帽子とマスクで顔が見えなかったので、ギョンミも気が付かない。さらにドシクは妹を探しているのだといい、駆けつけた警官と派出所へ。ドシクが怪しいと感じるギョンミの母は、手話でギョンミに警告する。そこへ、妹を探すジュンソクが現れる。

 

とまあ、工夫しているのはわかるがなんともダラダラとテンポが悪い。警官が外に出ている隙にドシクに挑発されたジュンソクはドシクと揉み合い、駆けつけた警官に電撃銃で倒されてしまう。一方、ドシクが真犯人と分かっているギョンミたちだが警官に伝わらず、ドシクは警官に見送られて消える。その後真相を知るバカ警官たち。もう最低。

 

家に帰ったギョンミと母だが、ドシクはギョンミを追って家に迫ってくる。何せ、放置された事情聴取の紙を普通に派出所で見てるんだから、なんともお粗末な韓国警察。家に入ってきたドシクは、シャイニングよろしく、斧でギョンミに迫る。脱出したギョンミはドシクから逃げ回る。そこへ、妹を探すジュンソクが駆けつけるが、ドシクに、ソジュンが瀕死だからと居場所を言われ、ピンチのギョンミを見捨ててソジュンがいるという場所へ行ってしまう。え〜?という展開に開いた口が塞がらない。しかも、ドシクに言われた場所はギョンミの家で、騙されたと知るが、普通嘘やよね、ギョンミの母に泣きつかれてギョンミのところへ戻ろうとする。ほんまに、アホやねみんな。何度も殺人鬼の事件が起こってるのに警官全然出てこないし、リアリティなさ過ぎやろ。

 

可哀想なギョンミは健気にも自力でひたすらドシクから逃げる。もう笑い話でしかない。そして、ギョンミは、こちらも健気にドシクの車から自力で逃げ出し隠れている瀕死のソジュンと会い、ジュンソクに連絡するように言って、自分は囮になってドシクからまたまた逃げ始める。そして、街中に飛び出すが、誰もギョンミのことがわからず、最後は、ドシクから隠れていたギョンミが通行人に捕まえられドシクの前に放り出される。韓国人はアホばっかしか。

 

危機一髪のギョンミの前に母が駆けつける。ドシクはギョンミの母に迫るが、母は涙ながらに娘の安否を訴える。このお涙シーンはなんやねん。一方、ジュンソクはソジュンを見つけ、救急車を呼び、ギョンミを探しに街へ向かう。ギョンミは手にしていたナイフを持ってドシクに突進、そして刺したかと思われたが実は自分を刺していて、ドシクが犯人だと身を持って証明して、やっと警官が駆けつけて、狼狽したドシクは撃ち殺されてしまう。チェジュ島でくつろぐギョンミ親子のところにジュンソクらも来てハッピーエンド。

 

もう、突っ込んで笑うレベルではなく、その場限りのエピソードをダラダラ繰り返す駄作の極みの一本で、街の設定やら、登場人物の背景など無視して、稚拙な知識を捻った思いつきも物語を展開させる流れは、もう呆れる以上に腹が立ってきた。最低映画に出会った。

 

「クーリエ 最高機密の運び屋」

これは良かった。傑作です。音楽のセンスがまず良い。そして、シーンのテンポ作りが本当に良くできていて、ゆっくりしたカット割から次第に細かく変わっていく終盤への流れが見事。さらに主演のベネディクト・カンバーバッチの恐ろしいほどの演技力もさることながら、CIA捜査官のエミリーを演じたレイチェル・ブロズナハンが脇を引き締める。クライマックスの脱出場面の緊迫感は半端じゃなかった。監督はドミニク・クック

 

1960年、ソ連の集会でフルシチョフの姿をじっと見つめる一人の男がいた。彼は政府要人の一人でもあるペンコフスキー大佐である。彼は感情的に行動するフルシチョフの姿に危険を感じていた。そんな頃西側が情報を得ていたポポフ大佐が見つかりKGBに処刑される事件が起こる。ペンコフスキーはイギリス大使館職員に一通の封書を託す。そこにはソ連の情報を西側に流すことを匂わせる内容のことがあった。

 

それから四ヶ月が経ち、イギリスでMI6の捜査官ジェームズとCIA捜査官エミリーが密談していた。ペンコフスキーとの接触をするため、新たな捜査官を送るのが難しいというジェームズにエミリーはある提案をする。民間人の素人を連絡係として送り込むというものだった。そして候補になったのが平凡な商社マンだがヨーロッパ各地を飛び回っているグレヴィルという男だった。この辺りの選定の具体的な描写がないのは唯一のこの映画の欠点。商務庁からきたというジェームズとエミリーに会ったグレヴィルは、本当の要件を知り、はっきりと断る。しかし、冷戦の情勢はますます危険な姿を帯びてきていた。

 

一旦は断ったグレヴィルの家を訪ねたエミリーは、核ミサイルの警報が鳴る4分前にシェルターに逃げることは不可能だと告げ、現実を見るように説得する。グレヴィルは家族を守るためにエミリーらの依頼を受けることにする。ソ連の経済情報を手に入れるためと偽ってペンコフスキーに会ったグレヴィルは、ペンコフスキーが手に入れた様々なソ連情報を持ち帰るようになるが、その緊張感から次第に苛立つようになる。

 

そんな頃、キューバに核ミサイルを配置するらしいという情報を手にしたペンコフスキーは、その配備資料を手に入れグレヴィルに手渡す。具体的な配置場所などが記された図面から、各配備の証拠を手にしたアメリカはソ連と交渉を始める。いわゆるキューバ危機である。ところが、ソ連からの情報が極端に増えてきたと不審に思ったアメリカ側に潜入したスパイからの報告で、ソ連の高官はペンコフスキーを疑い始める。そして、仕掛けられたタバコを吸ったペンコフスキーは病院へ入院することになる。さらに、退院後、イギリスの見本市参加に行く予定が却下されるに及んで身の危険を感じたペンコフスキーは亡命を決意する。

 

一方、キューバの図面を持ち帰る仕事を最後にスパイの仕事を辞めたグレヴィルだったが、エミリーらがペンコフスキー亡命のための作戦を知らせる手段を模索しているのを知る。グレヴィルは危険を覚悟でエミリーと再度ソ連に渡り、ペンコフスキーと接触し、脱出の手筈を伝える。そして二人で、ソ連最後の思い出にと白鳥の湖を見に行くが、この時のカンバーバッチの感動する演技が素晴らしい。

 

グレヴィルを空港へ送り出したペンコフスキーは、妻と娘を迎えに自宅に戻るが、すでにKGBが妻子を確保していた。そして、ペンコフスキーもその場で逮捕される。一方飛行機内で待っていたグレヴィルもKGBに逮捕され収監されてしまう。

 

執拗なソ連の取り調べに疲弊していくグレヴィルだが、家族に会うことだけを希望に生き続ける。一方、CIAのエミリーらもグレヴィルを取り戻すべく力を注いでいたが、キューバ危機で譲歩したソ連の反応は厳しかった。一年が過ぎ、KGB側もグレヴィルの前にペンコフスキーを連れてくる。彼は家族を守るために全てを話したが、グレヴィルが持ち帰った物の中身はグレヴィルは知らなかったとはっきり申し立ててくれた。

 

やがて、CIAはソ連のスパイと引き換えにグレヴィルを釈放させることに成功する。ペンコフスキーはソ連で処刑されるが妻子は助かった。グレヴィルは家族の元に戻って映画は終わる。

 

実話とはいえ、映画として、映像表現として見事に仕上がった一本で、音楽も素晴らしいが、カット割が実に上手い。人間ドラマであり、社会ドラマであり、一級品のサスペンスである。傑作でした。