くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「Our Friend アワー・フレンド」「牡丹燈籠(山本薩夫監督版)「キャンディマン」

「Our Friend アワー・フレンド」

時間を切り取ったように張り合わせて描いていくので、前半、登場人物がわかりにくかったものの、次第に整理されていく後半は映画を楽しむことができました。実話を元にした切なくて悲しい物語ですが、人生の機微を感じさせてくれる映画だった気がします。監督はガブリエラ・カウパースウェイト。

 

浜辺で遊ぶ子供たちのカットから、画面はある家のテラス。二人の少女と一人の男性デインが楽しそうにしている。中ではベッドに余命わずかな妻ニコルと夫マットの姿。ニコルが娘たちに自分の余命を話すことを決めたと言い、マットが呼びに行って映画は始まる。時は2013年。

 

時間は13年前に遡る。物語は、ジャーナリストの夫マットと舞台女優のニコルの出会いから別れまでを時間を遡ったり進めたりしながら描くのですが、彼らに寄り添うのが、二人の親友デインの存在。がん告知で次第に弱っていくニコルに寄り添うマット。しかしその重圧に壊れそうになるマットを支える親友のデイン。繰り返し繰り返しマットとニコル、デインのこれまでの人生が語られ、彼らの周囲の人たちの時に優しく、時に自分たちの人生にこだわる姿、さらにマットとニコルの娘二人との物語を絡ませていく。

 

やがて冒頭の2013年になり、ニコルは娘たちに余命を告げる。2014年になり、次第に精神的にも衰えていくニコル。ホスピス看護師も来てもらうことになり、まもなくしてニコルは昏睡状態になる。寄り添うマットとデインの前で息を引き取るニコル。デインはマットたちの整理がつい他のを確かめ、一人この家を後にして映画は終わっていきます。

 

淡々とした映画ですが、時間の前後を切り貼りしていくように物語を綴り、次第に主人公たち夫婦と親友の物語を浮かばせていき、気がつくと心に何かが刻まれる感じはちょっと熱くなってしまいました。

 

「牡丹燈籠」新三郎、お露

原案通りに丁寧に作られた怪談物で、流れは分かっていても素直に楽しめました。監督は山本薩夫

 

貧乏旗本だが家柄だけは良い家系の今日は盆の十三日で、親戚が集まっておる場面から映画は幕を開ける。長男が亡くなり、弟の新三郎が、長男の妻を娶って家を継ぐようにと迫られているが新三郎のその気は全くない。

 

新三郎は長屋で子供たちに読み書きを教えながらのんびり暮らしていた。盆の開ける十五日、精霊流しで子供たちを川べりに連れて行った新三郎はそこで、お露という女性と付き人のおよねと知り合う。お露は、家の事情で廓へ売られた悲劇の女だった。新三郎に一目惚れしたお露はその翌晩も新三郎の家にやってきて、やがて契りを結ぶ。新三郎の手伝いをしている遊び人の伴蔵は、したいと抱き合う新三郎を見て驚いてしまう。しかも、廓の顔見知りだったため、伴蔵は廓で確かめると、お露もおよねも自害したと教えられる。

 

伴蔵から話を聞いた新三郎もことの真相を確かめにいき納得する。このままでは新三郎の命が危ないと長屋の人たちは寺の住職に相談、裏盆が明ける後二日、新三郎を篭り堂の入りおひだで封印することになる。ところが、第一夜はなんとかやり過ごせたかと思えたが、伴蔵を知るおよねが明け方伴蔵を訪ねて、明日の夜はおひだを剥がすように頼む。たまたま戻ってきた伴蔵の妻は百両と引き換えに剥がすように交渉するよう悪知恵を授ける。

 

最後の夜、およねの指図された墓に行った伴蔵らはそこで金を見つけ、そのまま逃げようとしたがおよねらに引き連れられ、新三郎の篭り堂のお札を剥がしてしまう。翌朝、新三郎のところを訪ねた長屋の人たちは、取り憑かれ殺された新三郎を見つける。一方、伴蔵らは旅に出ようと思うが、まだ金が埋まっているのではと引き返す。そこへ金を隠していた盗賊らが現れ殺されてしまう。新三郎の葬列の場面で映画は終わる。

 

正統派怪談というしっかりした一本で、何を考えるでもなく楽しめました。

 

「キャンディマン」

スタイリッシュホラーという感じの作品で、B級ながら洒落た映像と演出が見られるとともに、ジョナサン・ピール脚本ということもあり、白人対黒人という構図も取られた面白い作品に仕上がっていました。監督はニア・ダコスタ。

 

シカゴにあるカブリーニ・グリーン地区、どちらかというと貧民街のような公営住宅地区、一人の黒人少年がこの街の一角のランドリー室へ向かっている。折しも片腕が鉤爪になった殺人鬼が徘徊しているという事件が起こっている。地下を降りて行った少年は、ランドリー室に入って出てくると、正面の壁に穴が開いていて中から鉤爪の男が出てくる。そして少年にキャンディをあげる。思わず叫ぶ少年の声を聞いた外の警官が駆けつけ、鉤爪の男に発砲して殺してしまう。時は1995年。

 

時は現代へ移る。かつての公営住宅が取り壊されて高級アパートが立っている。そこに越してきた近代アーティストのアンソニーはこの街に伝わるキャンディマンの都市伝説に興味を持つ。公営住宅が一部残る地域の写真を撮っていて蜂に刺されてしまう。街の老人バークからキャンディマンの話を聞いたアンソニーは恋人のブリアンナに冗談半分でキャンディマンの都市伝説を話す。

 

鏡に向かってキャンディマンの名前を五回唱えると鏡の中から殺人鬼が現れるのだという。キャンディマンとはシャーマンという黒人が白人たちに拷問を受け、手を無理やり鉤爪にされ、蜂の巣を胸に押し付けられ拷問の末殺されたのが蘇ったのだという。また、かつてヘレンという精神異常の女がいて、ある時赤ん坊を攫い、生贄で焼き殺そうとしたところを住民に殺されたという話も聞かせる。アンソニーは鏡を使ったモダンアートを製作して展覧会に出す。ところが、蜂に刺されたアンソニーの腕は次第に腫れ上がっていく。

 

街では、キャンディマンによる殺人が繰り返され始める。アンソニーが作った鏡のアートをきっかけに学生たちなどに広まって行ったのだ。やがてアンソニーは母に、ヘレンが生贄にしようとした赤ん坊こそアンソニーだったと話す。次第に変化していくアンソニーを心配してブリアンナが訪ねていくと彼がいない。バークのランドリーの粗品を見つけたブリアンナが、バークの店に行くと、そこではアンソニーがバークによって拉致され、手首を切り落とされ鉤爪を差し込まれていた。なんとか脱出したブリアンナだが、中ではキャンディマンが殺戮を終えていた。

 

パトカーに乗せられたブリアンナに警官が黒人蔑視の言葉を投げかける。ブリアンナはバックミラーに向かってキャンディマンと五回唱える。すると、キャンディマンになったアンソニーが現れ、白人警官を殺戮してしまう。そして、この伝説を語り伝えろとブリアンナに言って姿を消す。

 

キャンディマンは伝説となって代々語り継がれ引き継がれてきた殺人鬼の姿だった。それは黒人に対する白人の非人道的な行為を罰する存在でもあった。

 

と、こういう話だったと思うのですが、キャンディマンの伝説の場面や、出てくる黒人の関係がうまく見えなかったので終盤まで混乱してしまいました。この辺りの整理がうまく行っていないのは脚本が甘いのか演出が甘いのか、鏡や階段などを効果的に使ったスタイリッシュな映像作りはなかなかなのですがストーリーテリングが不十分だったように思います。