くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「マヤの秘密」「ナイト・オン・ザ・プラネット」

「マヤの秘密」

なんとも後味の悪い歪んだメッセージの映画だった。そもそも登場人物の動機付けが全くできていないのと、サスペンスタッチの割にはフェイク描写がひたすら主人公マヤの異常さのみで突き進む不自然さ、舞台を1960年代に設定したわざとらしい意図も感に触る作品でした。監督はユバル・アドラー

 

公園で遊ぶ息子とその母マヤの姿から映画は始まる。マヤはなぜかサングラスをかけているが、冒頭のシーン以外はいつの間にかサングラスはなくなる。たまたま口笛の音のする方に目をやったマヤは、そこに戦時中自分達姉妹を弄んだドイツ人の姿らしきものを見かけて驚く。時は1960年代くらいでしょうか。まだまだ戦争の傷跡が誰の心にも残っているような時代を背景にしています。

 

マヤの夫のルイスは医師で、この日も両足を無くした元兵士の診察をし、夕食に招待などしている。後日、再びドイツ人を見つけたマヤは、その男を家までつけていき、工場勤であることを突き止め、彼を待ち伏せるべく道具を揃える。マヤと妹は戦時中逃げる途中ドイツ人兵士に捕まり、レイプされ、妹は撃ち殺された過去があった。今もその悪夢を見ていたのだ。

 

マヤはその時の兵士だと思う男トーマスを金槌で殴って拉致し、殺そうと銃を向けるが結局殺せず、自宅の地下に監禁する。それを知った夫のルイスは、マヤの過去を聞き、かつて精神科にかかったこともある彼女が妄想を抱いているのではないかと精神科の医師に聞いたり、トーマスの言うことの裏付けを取るために聴取を始める。しかし、マヤの狂気はエスカレートしていくばかりだった。

 

トーマスは自らスイス人だと名乗り、彼の言うことの裏付けは次々とはっきりして来る。一方マヤはトーマスの妻レイチェルに近づき、なんとか真実を見つけ出そうとするが、レイチェルのいうこともトーマスの無実を証明するものばかりだった。どんどんマヤが狂っているとしか見えない展開になるが、それでもどこかおかしい作劇に見ている側は非常に気持ちの悪いものを感じ始める。

 

ところが、マヤに心を許したレイチェルは、ある日、結婚指輪を見せる。そこにはユダヤ人の印が刻印されていた。しかもトーマスは戦時中のことを話さないし、悪夢にうなされることも不自然だと告白する。マヤはトーマスの結婚指輪を無理やり外してみるとそこにもユダヤ人の印があった。エスカレートしていくマヤにルイスもなすすべもなくなるのだが、銃を向けられたトーマスは、マヤの必死の訴えかけと最後通牒に真実を話し始める。

 

彼はマヤの思っていた通り、マヤたちを襲ったドイツ兵の一人カールだった。しかし、彼の告白が終わるか終わらないかの瞬間ルイスがトーマスを撃ち殺してしまう。このラストはなんともスッキリしない。そしてトーマス=カールの遺体を埋めて何事もないように終わらせる。結局、こいつらも悪人だった。アメリカ建国記念の会場で、レイチェルの姿に微笑み返すマヤとルイスの姿があった。こうして映画は終わる。

 

結局、カールとレイチェルはユダヤ人だったのか、ドイツ人だったのか、それを迫害されたマヤらが責めたのか、結論があまりにも偏りすぎ、しかも、アメリカの建国記念日で締めくくりラストがいかにも偏見に富んで見える。しつこいほどにタバコを吸うマヤの描写、結局、ルイスも善人では無い暗い何かを持った男で、あれが表に見えるのを避けてうやむやに終わらせたのか。とにかく気持ちの悪い映画でした。

 

「ナイト・オン・ザ・プラネット」

ほぼ三十年ぶりの再見でしたが、やはり素敵な映画でした。五つの国の五つの物語を深夜のタクシーを舞台に繰り広げるオムニバスですが、その一つ一つがとっても洒落ていて、洗練されたユーモアが散りばめられています。音楽の効果もいいし、やはり秀作でした。監督はジム・ジャームッシュ

 

物語はロサンジェルス、一台のタクシーがいかにもなミュージシャンを乗せて空港へ向かっている。運転手もタバコを次々吸いながらのやや行儀の悪い女性。やがて空港で降ろして本社へ連絡していると、いかにも大物プロデューサーという出立ちの女性がプライベートジェットの到着口から出て来る。居合わせたさっきの女性が自分のタクシーに乗せるが、行き先はセレブの住むビバリーヒルズだと言う。こうしてガラの悪い運転手とキャリアウーマンのひとときの物語が描かれる。そして、目的地について、運転手に興味を持ったキャリアウーマンは運転手を映画に出てみないかと誘うが、運転手はこの仕事が好きだし、人生設計は既にできていると断る。キャリアウーマンも、何かに気づいたふうに家に入っていく。

 

続いて、ニューヨーク、近距離で乗車拒否されている一人の客がようやく乗れたのは、運転もままならない新米のタクシー。仕方なく客が運転をすることになるが、途中で義理の妹がフラフラ歩いているのを見つけ乗せて三人の軽妙な会話が展開。やがて、目的地について新米の運転手は頼りない運転でニューヨークを走り去っていく。

 

続いてパリ、黒人の運転手が、客で乗せた黒人の政府関係者が大騒ぎしている場面から始まる。機嫌を悪くした運転手は二人の黒人を無理やり降ろして、続いて乗せたのは目の見えない一人の女性。しかし、目が見えないのに運転手の出身国を当てたり、肌の色など関係ないと言ったり、目あきの人間よりよっぽど人間らしい会話をされて気持ちが絆されていく。そして、川のほとりで女性を降ろすが、出会い頭に事故を起こして大げんかになる。それを聴きながら女性が歩き去っていく。

 

続いてはローマ、夜なのにサングラスをかけたおしゃべりの男が一人の司教を乗せる。やたら下ネタを喋りまくる運転手に司教は血圧が上がりまくり、持病の薬を飲もうとするもの落としてしまう。それでもお構いなしにどんどん喋り続ける運転手。そしてとうとう司教は死んでしまう。運転手は司教を降ろして走り去る。

 

最後はヘルシンキ、無線の指示で三人の酔っ払いを乗せた運転手は、酔っ払いから、今日は不幸な日だったと愚痴られるが、それよりも自分の物語の方が不幸だと、かつて未熟児で生まれた自分達の子供に愛情を注ぐ間も無く死んでしまった過去を話す。やがて夜が明けて、タクシーも走り去って映画は終わっていく。

 

心に何かを訴えかけて来るような不思議な魅力のあるはなしから、ブラックユーモアのようなコミカルな話まで淡々と繰り返すテンポが実にいい一本。初めて見た時は、その魅力は理解しきれなかったけれど、こうしてそれなりの年になってみると本当に素敵な作品だと分かりました。