くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アオラレ」「HOKUSAI」

「アオラレ」

全然芸のないC級サスペンススリラーで、今時素人でも作れるレベルの展開に呆気に取られてしまいました。なんでこんなカス映画にラッセル・クロウ出てるんやと言う作品で、主人公に感情移入させたり、悪者が悪者らしい怖さが全然出されてないし、とにかくサスペンスを作るという基本がなってない演出がどうにも気になって仕方なかった。監督はデリック・ボルテ。

 

昨今のながら運転やマナーの悪さを指摘する映像から、ある家の前、夜、雨の中、ピックアップトラックの中に一人の男がいる。何やら薬を飲むが、後にこれは麻薬性の鎮痛剤だとわかる。おもむろに金槌とポリタンクを持って、ドアを壊して中に入り出てきた住人を殺して家に火をつける。こいつが悪者というわけだが、もうちょっと見せ方があるだろうにと思う。

 

ある部屋で、自堕落に寝ている一人の女レイチェル、寝過ごしたらしく慌てて起きるが、息子のカイルが2階から降りてくる。学校へ送らなければならず慌てて車へ。夫との離婚問題もあるようである。道路へ出たものの渋滞に巻き込まれ、良かれと迂回してもさらに渋滞、そこへ今日の美容院の顧客からの催促の電話と、結局、遅刻なのだからとキャンセルされてしまいますます苛立つ。というよりお前が悪いんやろという展開。

 

レイチェルは、たまたま一台のトラックの後ろにつくが、青になっても出発しないトラックに苛立たしげなクラクションを鳴らした上、追い抜いていく。ところが追いついてきたトラックの男が、クラクションにクレームを言って、謝って欲しいと紳士的に声をかけてくる。しかし苛立っているレイチェルは反抗的に答えたので、トラックの男は捨て台詞を残す。そして、しばらく後をついてくるが、なんとかかわしてカイルを学校へ送り届ける。むしゃくしゃするレイチェルは、離婚調停を頼んでいる弁護士にアンディに連絡し朝食の約束をする。ほんまにこの女最低やなと思う。

 

レイチェルはガソリンスタンドでガソリンを入れていると、なんと後ろにあのトラックが来ていた。たまたまスタンドの中の店にいた男に付き添われてレイチェルは車に乗り込むが、トラックはその男をはねてしまう。怖くなったレイチェルは必死で逃げる。一方、トラックはレイチェルがアンディと約束した店へ行く。アンディの前に現れたトラックの男はトムと名乗り、アンディにレイチェルに電話させた上で、アンディをテーブルに叩きつけ、殺してしまう。レイチェルの車に置いていたスマホは取られ、古臭い携帯が置かれていてそこに電話がかかる。

 

トムはレイチェルに、これから身近な人間を殺していくから、次は誰にするか指定しないと家族を狙うと電話してくる。レイチェルは苦し紛れに自分を解雇した人の名前を言う。流石にこれはないやろという流れである。そして、レイチェルは名前を言った人物に知らせようとやってくるが、トムは裏をかいてレイチェルの自宅に行き、レイチェルの弟フレディのところに現れていた。この流れも芸のない演出で全くドキドキしない。そして一緒にいたフレディのフィアンセをフレディに殺させ、椅子に縛り付けて、オイルを撒く。そこへ警官が踏み込むが、トムは火をつける。

 

トムはレイチェルに、すぐにカイルを迎えに行かないと今度は施設にいる母親を殺すと脅す。レイチェルはカイルを車に乗せる。そこに現れたのはお向かいの車、レイチェルはその車に男が乗っていると判断し逃げる。そして、母の家の近くの迷路のような道路に誘い込み、母の家に隠れる。トムはレイチェルの車を発見するがそこに別の車に乗ったレイチェルがつっこむ。やっつけたと思い、隠れているカイルのところに行ったが、トムに引きづり出される。あわやというところで、レイチェルは持っていた鋏を男の目に突き刺し殺してしまう。というわけで大団円。あっさり。

 

シンプルなのはいいのだがなんともお粗末な映画である。もうちょっと工夫があっても良さそうなものだし、まず第一に主人公のレイチェルはかなりのいい加減な女に見えるので感情移入されない。しかも、次はどうなるのというハラハラドキドキが全くなくて、ただ、ひたすらサイコな男が追いかけてくるだけの展開という芸のなさも呆れてしまう。面白く作るのはそれなりに才能がいりそうな内容だったがそれでもちょっと残念な映画でした。

 

「HOKUSAI」

何が足りないのだろうか、脚本が悪いのか演出が悪いのか、それともこういう絵を狙った作品なのか、少なくとも、主人公葛飾北斎が浮かび上がってこないのである。前半部に出てくる喜多川歌麿東洲斎写楽らははっきり描かれているのに、中盤で突然登場する妻のコトなどの描写はなく、種彦でさえ、中途半端に登場してしまう。といって北斎が大きく描かれているわけでもなく、終盤完全にシュールな映像で締めくくってしまう。どうも感想の書きづらい作品でした。監督は橋本一

 

浜辺で一人の男が何やら砂浜に描いている。そこから物語は版元の蔦屋重三郎の店、役人が踏み込んで荒らしている場面になる。喜多川歌麿らの描く軟弱な女絵は世相の乱れになると幕府からお咎めが来たらしいが、当の蔦屋は全く動じない。そこへ、使用人の一人がある絵を持ってくる。勝川晴朗という絵師が描いたその絵を見て蔦屋は才能を見出す。しかし、自分の気に入ったものしか描かない勝川は何かにつけ反論。そんな勝川に蔦屋は当時大人気だった喜多川歌麿を引き合わせる。

 

ある時、一人の絵師に目をつけた蔦屋の使用人が連れてきたのは役者絵を描く東洲斎写楽という男だった。しかし勝川はその男にも反感を持つ。ところが、書きたいものだけを描くという東洲斎写楽の言葉に触発された勝川は一人旅に出て、浜辺で自分の思うままの絵を描き、蔦屋の元に戻ってくる。しかし蔦屋は病に冒されていた。しかし、北斎と名を変えて描くかつての勝川の描く風景画は評判となる。間も無くして蔦屋は死んでしまう。

 

時が経つ。すでに老年となった北斎は大勢の絵師を弟子にして山深い小屋で絵を描いていた。いつも挿絵を頼んでいた柳亭種彦が訪ねてくる。ますます幕府の絵師や戯作家への風当たりは強くなり、武士でもある種彦は厳しい立場に陥っていた。そんな時、北斎脳卒中で倒れ、手が不自由になる。それでも絵筆を取り、一念発起して旅に出る。すでに七十歳を超えていたが、北斎は生涯の傑作富嶽三十六景を描いて戻ってくる。当然、世間では大評判となる。

 

一方、種彦はますます追い詰められる。種彦の名を捨てるかどうかの選択を迫られ、拒んだために殺されてしまう。北斎は切り落とされた種彦の首を見、自らその首の絵を描く。そして、江戸を離れ山深い里へ移り住んだかつての弟子を訪ねて、そこで、波の絵を描いて映画は終わる。クライマックスは、若き日の北斎柳楽優弥と老年の北斎田中泯が同時に絵を描くというシュールな展開となる。

 

首を描くクライマックスあたりから突然絵がシュールになり、それまでにも時々見せる映像表現が集大成していくように思われなくもないが、それであっても葛飾北斎の人物像がこちらに迫ってこない。もう少し、鬼気迫る映像が見たかったというのが本音で、柳楽優弥が今ひとつ迫力に欠けているというのも物足りない気がします。何かが足りない、そんな映画でした。