くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「BOLT」「テオレマ」(4Kスキャン修復版)

「BOLT」

「BOLT」「LIFE」「GOOD YEAR」の三話のオムニバス形態のドラマで、福島原発事故を中心にしたメッセージ性が強い作品ながら、さすがに映画としてちゃんと組み立てられているから見事です。監督は林海象

 

BOLT

東日本大震災地震津波原発内の冷却水のボルトが緩み、それを締め直すべく作業員が組織される。決死のチームで二人づつボルトを締める現場へ向かうが、作業時間は1分、その間に最初のチームは向かうが、時間切れとなり、次のチームが突入するがかろうじて閉めたものの戻ってくる。若いチームが勝手に作業現場に行き、必死で締めるが、締めたと思ったらまた開いてきてとうとう精神的に参ってしまう。一人の男が単身で再度現場へ戻り、参っている青年を助け出し。一人で締め始める。そしてなんとか止まったと判断し作業現場を後にするが、直後、ボルトは溶けてしまい、冷却水は流れ出し始める。それを背中で感じながら戻る男の場面で暗転。

LIFE

福島で遺品整理業の仕事に志願した男は、この日、役場から、孤独死した家を整理するように依頼される。相棒と向かった男は、そこでゴミ屋敷のようになった部屋の奥で、住人が死んでいた部屋を見つける。そこには静かな絵や遺書のような書き置きがあった。

GOOD YEAR

自動車の修理工場を営む男はこの日も何やら機械を修理している。ある夜、スポーツカーに乗った女が事故を起こし工場の前に止まる。男は介抱してやり、車のタイヤを交換してやる。気がついた女は北海道へ行くからと旅立つが、男は机の上にある写真に向かって、今のはお前だったのだろうとつぶやく。女を介抱した時に寝かせたソファに女の幻らしきものが浮かび、その女は人魚だった。

 

こうして三話は終わる。シュールな展開も緊迫感あふれる展開も、どこか殺伐とした寂しさを感じさせる展開も交えて、東日本大震災の悲劇を真正面から描写した映像はなかなかのものです。さすが林海象という一本でした。

 

「テオレマ」

唖然、どういう意味なんだろうと必死で画面を追っているうちに突然FINEという文字。呆気に囚われる映画でした。たしかに、一つ一つの画面が人並はずれて美しい。登場する人物それぞれが、なんらかの意味を投げかけてくる。しかも最低限のセリフだけで語られるストーリーはとても普通に考えて繋がるものでもない。それでも、ぶっ飛んで抜きん出た作品であることを感じさせてくれる。凡人が到達し得ない至上の映像感性が生み出す何もかもを破壊した価値観の上に立つ世界観。なんとも感想をかけないレベルの映画だった。いや映像詩だった。監督はピエル・パオロ・パゾリーニ

 

大きな工場の前でマスコミにインタビューされる経営者のパオロの姿から映画は幕を開ける。そして画面はモノクロのようになり、パオロの屋敷だろうか、メイドのエミリアが、飛び跳ねるように軽快にやってくる郵便配達人から手紙を受け取る。明日到着すると書かれただけの手紙を見た後、この家でパーティが開かれる。なぜか謎の青年が庭に座っていて、エミリアは一目でこの青年に惹かれ、体を与えようとする。その直後、恥じたのかガス管を咥えようとして青年に止められる。

 

息子のピエトロは、客の一人だろうかの男性に迫って拒絶され恥じてしまう。妻のルチアは、服を脱ぎ捨てて青年を誘う。そして、まもなくしてあっさりと青年は帰っていく。ルチアは街へ行き、行きずりの青年と体を合わせる。エミリアは、実家の村に帰ったのだろうか、そこで、顔中出来物がある少年を治してやり村人たちに崇められる。息子のピエトロは絵に小便をかける。娘のオデッタは突然硬直し、そのまま手を握り締めたまま動かなくなり病院へ搬送される。エミリアは、建物の屋根の上で浮かんでいる。そして、村の老婆と共に工事現場に行きそこに埋めてもらう。涙が池になるという言葉を残す。そして父のパオロは突然駅で全裸になり、禿山のようなところへ行って駆け回り、最後に絶叫、そしていきなりFINEの文字が出て映画は終わる。

 

とにかく、ついていくのがやっとというぶっ飛んだ映画という印象ですが、と言って、決して才能のない監督の映画ではなく、凡人の感性をはるかに超えた才能が生み出した映像詩である。それぞれの人物に、すべてなんらかの意味があり、台詞もカットも計算され尽くされた感があるが、全く言葉にできない。異端の才能とはよく言ったものである。圧倒されてしまった。