くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夜明けの祈り」「ウィッチ」

kurawan2017-08-10

「夜明けの祈り
非常に丁寧に作られた人間ドラマという感じの作品で、人間が持つべき本来の姿が、自らが作った制約と愚行のためにいつの間にか誤った方向に進んでいるのを見据えるかのような作品でした。監督はアンヌ・フォンテーヌという人です。

夜明けの祈りを捧げているう修道女たちのシーンから映画が始まる。そして一人の修道女がそっと抜け出し森を抜けたところの野戦病院に医師を探しに来る。時は1945年12月ポーランドです。

そしてフランス人医師マドレーヌを見つけた修道女は彼女を修道院へ連れて行く。そこには今にも生まれるようなお腹をした一人の修道女が横たわっていた。第二次大戦終戦後、突然やってきたソ連軍の兵士に修道女たちが暴行され、七人が身ごもったのだという。しかし、厳しい戒律から彼女たちは信仰と過ちに苦しんでいて、決して外部に助けを求められないのだという。

マドレーヌは人目を偲びながらこの修道院に往診に出かけるようになる。そして一人の赤ん坊が生まれる。しかし、修道院で育てられないので院長が知人の女性に養子として預けるように進めていた。

しかし一人また一人と生まれる中で、産むことで母に目覚めた修道女は、自分の赤ん坊が院長によってどうされていたのかを知ることになる。そして赤ん坊がいなくなったことを悲観し自殺してしまうのである。実は、院長は赤ん坊を雪深い森の中に捨てていたのである。

やがて、マドレーヌも去る日がやって来る。まだ生まれていない赤ん坊などの危惧もある中、思いついたのは、修道院で孤児たちの面倒を見、それに紛れて赤ん坊も面倒を見るというものだった。

やがて、修道院は赤ん坊の声と子供たちの元気な声で明るくなって行く。宗教への真の思いを知った修道女たちの明るい姿が写されて映画が終わる。

実際、キリスト教徒でもない私たちには、前半、頑なに医師の診察を拒み、死を選ぼうとする修道女の姿は理解しがたいが、キリスト圏ではなんの疑いもなく受け入れられる展開なのだろう。だからこそ、後半の一気に俗世間と混じり合うかのようなシーンが生きて来るのだと思う。

本当の意味でこの作品を評価できるのはキリスト教圏のしかも女性だけなのかもしれない。ただ、映画的に見れば、森のシーン、修道院のシーンなどしっかりと据えられた映像は評価してしかるべき出来栄えになっていると思います。良質の一本でした。


「ウィッチ」
もちろん正当なホラー映画なのですが、全体の空気が幻想とも現実とも思えない独特の空気感、さらにアメリカ映画と思えないような北欧風の殺伐とした画面作りが独特の怖さを作り出している映画でした。監督はロバート・エガース。

ニューイングランドの森の奥の一軒家、敬虔なキリスト教徒のウィリアムとキャサリン夫婦。長女のトマシンは何かにつけ母親から用事を言われ、何かにつけ叱責を受ける。長男のケイレブは少しづつ思春期に差し掛かっているようで、姉の胸の膨らみなどにほのかな性的な感情を持ち始めている。末の双子はトマシンは魔女だ魔女だと遊び半分にからかって、親の言うことも聞かない。この双子もどこか不気味に見えるのは画面のせいでしょうか。

トマシンは末の赤ん坊のサムをあやして森のはずれで戯れていたが、突然サムが行方不明になる。サムが消えた後、シュールな映像でサムが何者かにさらわれ、いかがわしい儀式が行われたかの画面が映る。

結局、サムは見つからないが、一方でその日暮らしで次第に追い詰められて行く母キャサリンは、ついトマシンにあたってみたりする。その様子は、女になったトマシンに夫ウィリアムさえも取られるのではと言う女の嫉妬にさえ見えて来る。

ここにブラックフィリップというヤギを飼っていて、双子はこのヤギと話ができるかのような遊びもしている。何もかもが不気味な展開をして行く。

ある夜、ケイレブの提案で森に出かけたトマシンだが、不気味な空気に包まれ、ケイレブは森の奥に入っていってしまい、トマシン一人が帰って来る。そして、ケイレブは森の中の不気味な家に引き寄せられ、出てきた女に吸い付かれるように口づけされる。

ある雨の夜、ケイレブは全裸で戻って来るが、何やらうわ言を叫んだまま寝込んでしまう。両親もこれは魔女の仕業だと信じ、さらにトマシンが魔女ではないかと疑い始める。やがて、ケイレブも死んでしまう。

みるみる狂気に包まれて行く両親はトマシンと双子をヤギの小屋に閉じ込め一夜を過ごさせるが、悪魔は空から双子をさらい、ケイレブとサムの亡霊を母の元に使わせる。そして世が明け、トマシンを責め立てる父ウィリアムに、ブラックフィリップは突進してツノで突き刺し殺してしまう。

魔女だと叫ぶ母キャサリンはトマシンに襲いかかるが、トマシンは、近くに落ちていた鉈で母を殺してしまう。何もかも狂ってしまったトマシンはブラックフィリップに尋ねる。「なにがほしいの?」ブラックフィリップはあらゆるものを与えてあげるから、目の前の本に署名しろという。それは悪魔の契約書だった。

トマシンは全裸になりその本に署名、森の奥に行くと、魔女たちが踊り狂っていた。そして彼女らは空中に浮かび始め、それをみていたトマシンも次第に空中に浮かんで行く。高らかに笑うトマシンのカットでエンディング。

独特のホラー感で、やや高級な作りになっているし、北欧風の色彩を抑えた映像処理もなされている。しかし、全体に見えるのはあくまでホラー映画であるというコンセプトを崩していないのは立派です。

この手の映画は下手をすれば駄作になるかグロテスクになるし、成功すれば「ぼくのエリ200歳の少女」のようなスタイリッシュな傑作になる。のですが、そのどちらにも届かないオリジナリティはなかなかの一本と言えるかもしれません。