くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「女神の継承」「C.R.A.Z.Y.」「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」

「女神の継承」

笑ってしまうほどに怖かった。ドキュメンタリータッチで始まる導入部から前半は、なかなか入り込めないのですが、それがかえって、タイという国柄と神秘的な舞台背景を見事に伝えてくる。そして、その神秘性が、中盤から次第にリアルになって後半からクライマックス、一気にホラームービーで締めくくる展開は、独特のリズム感で、圧倒されてしまいます。傑作というものではないけれど、うまいとしか言いようのない作りの映画でした。監督はバンジョン・ピサンタナクーン。

 

タイの奥地、精霊を神以上に崇める民族の感情の説明から物語は幕を開ける。女神バヤン神の巫女として生活するニムのドキュメンタリーを撮るためチームが派遣されてくる。彼らは、ニムに様々な神事を説明される。彼女には姉のノイがいて、本来は彼女がバヤン神の巫女として継承するところだったが、ノイが拒否してキリスト教に入信したため、ニムが巫女となった。

 

父の葬儀で実家に戻ったニムは、ノイらに嫌味を言われながらも、手伝いをする。ニムらヤサンティア家には過去にさまざまな事件が起こっていて、不幸な死を迎えた人物もたくさんいたらしい。ノイの娘ミンは、人事局で仕事をしていたが、最近、どこか妙な行動をとるようになっていた。そんなミンを助けようとニムが関わってくるがノイは拒否する。そして独自に祈祷をしてもらったりするが、ニムには、別の悪霊の存在を感じていた。

 

ミンはみるみる行動が異常になり、仕事もクビになり、どうしようみなくなったノイはついにニムに助けを求める。ニムはミンのかつての恋人マックが自殺したことが原因かもしれないと調べるが、どうやらもっと巨大な悪霊の存在があることがわかってくる。ニムは、師でもあるサンティに助けを求め、ミンの中にいる、ヤサンティア家の先祖が行ってきた悪行から生まれた悪霊を取り払うべく、儀式を行うことにする。しかし、その儀式には一週間近い準備が必要だった。

 

日に日にミンの行動は常軌を逸し、飼い犬を食べたり、マニの息子を誘拐しようとしたりする。儀式の前日、ノイがニムに連絡がつかないのでニムの自宅に行ってみると、なんとニムは急死していた。それでもサンティは儀式を決行するといい、ミンを護符によって部屋に閉じ込め、ヤサンティア家の悪行をした古い工場で儀式が始まる。サンティはノイの体に悪霊を呼び込み、そこからツボに吐き出させるところまで成功したのだが、護符で閉じ込めたミンをマニの妻が、子供のポンをミンの部屋に攫われたと騙されてミンを解放してしまう。そのため儀式は失敗、サンティは悪霊に呪われ自死してしまい、周りの弟子たちは悪霊に取り憑かれて獣のようになり周りの人間、撮影のクルーに襲いかかってくる。

 

儀式の場にやってきたミンにノイは最後も抵抗をするが、ミンはノイにガソリンをかけて焼き殺す。撮影クルーたちも悪霊に取り憑かれたサンティの弟子たちによって食われてしまう。ニムの死の直前の映像が映され、この儀式は意味がないだろうというニムの言葉で映画は終わる。

 

フェイクドキュメンタリーの形式で始まる前半は実に静かなのだが、それが見事に、タイという国柄の神秘性を説明するのに大成功していて、クライマックスの大惨事を予想させない一方、終盤が際立って怖いホラーとして完成しています。独特のリズム感で描かれたホラー映画という感じで、非常に怖かった。

 

「C.R.A.Z.Y.」

とっても素敵な家族の物語、一枚のレコードを小道具に展開する、些細な、それでいてどこかあったかくなる親子のドラマに、不思議なくらい自分を重ねてしまいます。テンポも心地よいし、本当にいい映画でした。監督はジャン=マルク・バレ。

 

1960年、クリスマスの夜、お腹の大きかった母は破水をし、ザックが生まれる。一時は命が危なかったザックだが、持ち直して、父や三人の兄に祝福されるが、どこかコミカルなこのオープニングが実にいい。

 

やがて1966年、ザックには三人の兄がいて、一番上のレイモンとは仲が悪かった。ザックは、父が大切にしていた一枚にレコードを落として割ってしまう。それは、輸入盤の貴重なものだった。父は何かにつけてザックが男らしく成長するようにと願うが、優しいザックは、ともするとホモだと間違われる。

 

やがて成人したザックだが、ミシェルという恋人がいるにも拘らず、ふとした誤解からホモを疑われたりする。レイモンは相変わらずドラッグに溺れ、それでも父は支えようとする。兄の結婚式の日、父にホモセクシャルだと責められたザックは家を飛び出し、エルサレムに一人旅に出かける。そこで、自分を見つめ直し、家に帰ろうと決心した時、露店でかつて割ったレコードを見つける。

 

自宅に戻ってみると、兄レイモンが入院して瀕死の状態だった。薬を注射して倒れたのだという。悲嘆に暮れる両親たち。父は、ザックが買ってきてくれたレコードを発見、ヘッドフォンで曲を聴いて悦に浸っているところへ病院から電話がはいり、母がレイモンが亡くなったという知らせを聞く。レイモンの葬儀を終え、ザックは家を出て行こうとするが、父はこれまでの確執をなくして抱きしめる。傍で末っ子がレコードを落としてしまう。時が経ち、年老いた父と一緒に車で走るザック、懐かしい昔に戻った姿を見せて映画は終わる。

 

淡々と流れるようですが、一時代の家族に温かいドラマが次第に胸に迫ってくる感覚がどこかレトロですが、とっても暖かい感覚に浸らせてくれます。大傑作とは行かないまでも、ちょっとした佳作という感じの素敵ない映画でした。

 

「アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台」

これが完全な架空の話ならもう少し入り込めるのかもしれないけれど、実話という事なら、なんともフランス人は能天気なのかバカなのか、いくらサミュエル・ベケットの「ゴトーを待ちながら」をキーにしたドラマとはいえ、何かおかしくないかと思える映画でした。登場人物を掘り下げた演出がなされていなくて、表面的なストーリーの描写に終わっているのがその原因であるかもしれない。あくまで犯罪者が逃げてしまって終わってしまうというのはいくらラストが感動的でも、おかしくないかと思ってしまいました。映画のクオリティは普通のレベルの一本でした。監督はエマニュエル・クールコル。

 

売れない俳優のエチエンヌは、刑務所の囚人たちを対象にした演技ワークショップにやってくるところから映画は始まる。そして、サミュエル・ベケットの名作戯曲「ゴトーを待ちながら」を題材にワークショップを始めるが、所長を動かして刑務所外での公演を実現する運びとなる。この流れが実に弱いのと、囚人たちそれぞれのドラマの描写がほとんどされていないので、実に薄っぺらい展開で公演実現に流れていく。

 

そして、刑務所外で次々と公演が成功し話題になっていくが、公演が終わると刑務所に戻る前に全身検査や差し入れを無残に調べられることへの矛盾を描いていくのだが、ここが形だけの描写になっているために、物語がどんどん弱くなっていく。やがて、オデオン座からもオファーが来て舞い上がるエチエンヌだが、その実現もいかにも簡単に判事が許可を出す流れもあまりに雑。

 

そしてオデオン座での本番直前、囚人たちは逃亡してしまい、エチエンヌが舞台上で一人芝居を打つというこの作品の最大の見せ場となり

る。「ゴトーを待ちながら」に掛けたこのクライマックスが胸に迫ってこないといけないのだが、全く演出力不足で、全然迫力が伝わらないままに、囚人はまんまと逃げてしまったエンディングはなんとも言えない歯痒さです。

 

面白い題材ゆえに、描き方によっては傑作になるはずが、囚人が脱走に成功するだけのペラペラの映画になってしまった。残念な一本でした。