くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「百花」「グッバイ・クルエル・ワールド」

「百花」

良い映画なんですが、本当に惜しいというのか演出力の弱さというのか。勿体無い映画でした。でも決して凡作ではなく、長回しと繰り返しの映像を駆使して描く一人の女性の忘却の物語と、息子の記憶の物語は、なかなか描けていたと思います。できれば終盤の畳み掛けはもう少し鮮やかなテンポが欲しかったのと、菅田将暉原田美枝子意外の脇役の存在感を上手く使ってもらえればもっと深みのある映画になった気がします。監督は川村元気

 

テーブルの上の一輪挿しからカメラはパンしてピアノを弾く百合子の姿へ。ピアノを弾いていた百合子がふと物音に気がついて玄関に行くと、百合子が帰宅して、一輪挿しに花を生ける。そしてまたピアノを弾く百合子の姿だが、ピアノの音が次第に乱れてくる。こうして映画は始まりますが、「ファーザー」という傑作があった故か、どことなく似ているようなオープニングは気になります。

 

まもなくして、息子でレコード会社に勤める泉が帰ってくる。母の言動がどこかおかしいのに気がつきますが、話を合わせて、出される夕食を食べる。大晦日、まもなくして年が明ける。一月一日は百合子の誕生日である。そこへ泉の妻香織から電話が入る。泉は母に適当な嘘を言って家を出る。認知症が始まったことを実感する泉、香織は妊娠していて6か月後に出産予定である。

 

一方、百合子の認知症は加速度的に進み始め、スーパーで同じ通路を繰り返し進みながら記憶が繰り返し、その上、かつて愛した男性浅葉を見つけた幻覚を見て店を飛び出し、万引きで捕まってしまう。雨の日、幼い泉に傘を持って行こうと小学校へ行ってしまう。そんな母を、泉は施設に入れることにする。施設へのバスの中で、百合子が話す泉との思い出は、どこか勘違いしていると泉は思う。実は勘違いしているには泉なのだが。

 

母の認知症はさらに進み、泉のこともほとんどわからなくなる。香織と泉が施設に行った時、半分の花火が見たいと百合子がいうので、香りはネットで調べて、泉は百合子を花火会場へ連れて行く。水際から打ち上げられる花火を見た百合子は、こんなに綺麗なものを見たこともいずれ忘れるのだろうとつぶやく。泉が幼い日、百合子はピアノ教室をしていて、習いにきた浅葉という男性と恋に落ち、泉を残して一ヶ月神戸に行ったことがあった。そこで、阪神大震災にあった。捨てられた思い出をいつまでも忘れられない泉には素直に母に向き合えないものがあった。この微妙さをもっと上手く演出してほしかった。

 

やがて子供が生まれ、百合子はほとんどの記憶を無くしてしまう。百合子の自宅を整理するために泉と香織、百合子が一旦戻る。香織が先に帰り、泉は片付けを一段落させて百合子の横に座るが、つい眠ってしまい夜になる。泉が目を覚ますと百合子が半分の花火だと微笑んでいた。縁側から空を見ると団地の上に半分しか見えない花火が次々と上がっていた。泉はこれを忘れていたのだ。百合子は記憶を失っていくが、泉は過去の記憶を思い出して行く。なぜ一輪挿しなのか、それは泉が母に一輪の花を誕生日にプレゼントしたからだった。施設へにバスの中で、泉が魚を釣った思い出は海だと思っていたが、母は湖だと言った。それも母が正しかった。記憶の曖昧さを巧みにラストに描いて映画は終わっていきます。

 

淡々と進むストーリー、百合子の見る幻覚を繰り返しの映像で見せる演出、長回しのカメラ、それぞれに工夫の見られる作品ですが、いかんせん、母に捨てられた泉の苦悩の描写が弱いために、映画が際立ってきません。あと一歩、本当にあと一歩工夫すれば傑作になったでしょうと思える。原田美枝子の熱演は涙を誘いますが、やはり演出力の弱さはカバーしきれず、香織の存在も物語に生きていないし、泉がかかわっているばバーチャルミュージシャンのエピソードもやや不完全燃焼。原作はもっと良いのかもしれないけれど映画に昇華しきれなかった感じです。でも良い映画でした。

 

「グッバイ・クルエル・ワールド」

とにかく撃ち殺す、流血三昧のクライムエンターテインメントで、一貫したわかりやすい物語などはそっちのけで二転三転して次々と人が死んでいく。悪く言えばB級アクションで、よく言えば、若さがみなぎるバイタリティ溢れる一本、主人公がいるようでいない、勢いだけで走る映画でしたが、それを狙うならもっとキレ良く短時間に凝縮すべきだったかもしれません。若干、終盤にかけて、ダラダラ感が見えてくるし、そもそも登場人物の背景を適当に済ませて行く粗さは認めるとしても、映画全体のリズムはしっかりとってほしかった。監督は大森立嗣。

 

一台の派手なアメ車に乗って一人の女と四人の男がどこかへ向かっているところから映画は幕を開けます。いかにも犯罪を犯しに行きますというオープニング。場面が変わるととあるラブホテル。気の弱そうな若者が一室に入るとそこにはヤクザらが金を数えている。どうやら若者は金の運び屋で、いかにも違法な金である。若者は金を渡すとホテルを出ようと出口に向かい、そこでホテルの受付の矢野に鍵を開けてもらうが、突然腹面の男女がピストルを持って押し入ってくる。さっきアメ車に乗っていた男たちである。

 

ホテルの部屋に突入し、ヤクザものらしき輩を縛って金を取って逃げる。強盗団の最年長らしい浜田は、せいぜい七千万くらいだろうと呟く。いかにも性格の悪そうなチンピラの萩原は、浜田に毒舌を吐く。気の弱そうな女美流、生真面目そうな安西、運転手の武藤らは、次の車に乗り換える場所に到着、その際萩原は武藤と美流に適当な金だけ投げつけて去らせる。武藤は借金を帳消しにしてもらったので納得するものの美流は気分が悪い。

 

一方、金を取られたヤクザの幹部は組織と関係のある悪徳刑事蜂谷を連れて犯人探しを始める。蜂谷は、ホテルの受付の矢野が怪しいと踏んで、萩原に謝礼をもらったところを蜂谷らに抑えられ捕まってしまう。そんな頃、金に不満の武藤と美流は萩原がたむろしている喫茶店へ行く。そこで、武藤は追い返される。美流と武藤は萩原が計画している宝石店強盗に加えてもらうが、萩原は美流を使っただけで、現場で大怪我をさせて放置、さらに武藤も結局殺してしまう。

 

病院に担ぎ込まれた美流のところに蜂谷が現れる。そもそも当初の計画は美流と矢野が立てたものだった。ヤクザたちは、犯人を殺して回れと矢野たちに指示、矢野と美流も恨みがあったので、萩原のいつもいる喫茶店へ行き、ショットガンで皆殺しにしてしまう。そしてさらに安西らを探し始める。

 

そんな頃、妻の父親の旅館を建て直すために、妻子と寄りを戻した安西は、旅館を復活させなんとか元の生活をしようとしていた。しかし安西は元ヤクザの幹部で、蜂谷が関係するヤクザ組織に敵対する組織の構成員だった。身元を隠していた安西だが、たまたま出会った知り合いのチンピラにバラされ、旅館は続けられなくなる。浜田は、元政治家の秘書で、罪を被せられて辞職した経歴があり、悪徳政治家を倒そうと画策していた。選挙が近づき、巨額の裏金が動く情報を得た浜田は地元の半グレを使って、その強奪を計画、安西を引き入れようとして連絡をする。

 

何もかも失った安西は浜田の誘いに乗り、裏金を隠しているガソリンスタンドへ半グレがやってくるが、金を奪ったものの、半グレたちが反旗を翻し、安西も殺されそうになる。ところがそこへ、蜂谷を殺して、安西らの居場所を知った矢野と美流が現れる。そして半グレを一網打尽にするが、安西は窮地を脱する、しかし美流も矢野も怪我をしてしまう。浜田も駆けつけるが、矢野に撃たれて重傷を負う。蜂谷を使っていたヤクザ幹部も矢野と美流に包丁を突き立てられ瀕死のの蜂谷に最後のピストルで殺される。

 

安西は妻子の通る道で待つが、妻は知らないふりをして去ってしまう。安西は浜田と会い、お互い傷を見せて先は短いと笑い合うが、彼方からヤクザ組織のチンピラらがやってくる。銃声だけが聞こえて映画は終わる。

 

とにかく、殺し合いの連続というクライムアクションで、登場人物に何の中身もなくその場限りに人を殺して行く。どの人物にも感情移入できないドライ感が一種のこの映画の魅力のような気がしますが、個人的にはそれほど好みの作品ではなかった。