くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「親愛なる日記」「手」「渇きと偽り」

「親愛なる日記」

「ベスパに乗って」「島めぐり」「医者めぐり」の三本のオムニバス形式の作品で、ナンニ・モレッティ自身が語っていくドキュメンタリーのようなユーモアあふれる展開の作品でした。監督はナンニ・モレッティ

 

自分の日記に様々を綴り始めるオープニングから、ベスパに乗ってローマの街を走り回るナンニは、建物を見て回ったり、好みの映画の話をしたり、「フラッシュダンス」が好きだと、ダンスをしてみたり、ジェニファー・ビールズに実際に会ってしまったりしながら、自分の思いの様々を映像にしていく。

 

続いての「島めぐり」は、友人とエオリオ諸島を巡りながら、様々な島の個性をユーモア満点に語っていく映像と展開がとっても楽しい。一人っ子ばかりで、電話を代わってくれなかったり、友人が大のテレビドラマ好きで、次の展開をアメリカ人観光客に聞いてみたり、奇妙な祭りがあるからと聞いて慌ててフェリーに戻ったり、最後の島で、電気がないと知らされて、テレビの見れない友人は叫びながらフェリーに飛び乗る。

 

最後にナンニは、身体中痒みに襲われるようになり、様々な医者巡りをするのを面白おかしく綴っていく。結局、アレルギーでも皮膚病でもなく、リンパ腫の一種で、薬で治る癌の一種だったというオチで映画は終わっていく。

 

全体がコミカルなテンポでくるくる展開していく様が楽しい一本で、小品ながら、退屈しない作品でした。

 

「手」

ROMAN PORNO NOWの一本。ラストで、何を描きたいかが一気に見える作品なのですが、だったら、中盤ももう少し見え隠れしてくれる方が物語としては見やすかった気がします。決して駄作ではないのですが、SEXシーンをもう少し効果的に使ってほしかった気もします。監督は松居大悟。

 

主人公さわ子がバーで飲んでいると、隣のおじさんがカクテルをご馳走してくれる。わざとらしすぎるおじさんトークから映画は幕を開ける。さわ子は、街中のおじさんたちを写真に収めては、アルバムにして様々なおじさんの姿を観察する趣味を持っている。会社では、それなりにおじさんの上司とも何げなく接している。同僚の森が、さわ子に近づいてきて、まもなくして彼が転職することがはっきりしたあたりから付き合うようになる。

 

そんなさわ子だが、父親とはうまくいっていなくて、家ではもっぱら妹と会話をする日々。女子高生の妹は彼氏ができ、初体験もすませ、さわ子と普通の姉妹の関係だが、父親は妹には普通に接するがさわ子とはほとんど口をきかない、かのように見える。それは耳が悪くなっているせいだとさわ子は思っている。

 

さわ子と森は急接近し、二人は事あるごとにSEXを繰り返しながら、普通の恋愛関係を重ねていくが、さわ子の心は少しづつ何か変化してきているのを感じている。それは、上司とのさりげない不倫関係からも何某かの影響を受けていた。やがて、森は仕事の関係で、さわ子と別れる旨の話を切り出し、最後のデートの後、二人は離れ離れになる。

 

そんな頃、母に頼まれて父が病院に行くのに付き添ったさわ子は、次第に弱っていく父を見、また旅行に連れて行ってほしいと声をかけたりするようになって、さわ子の心は徐々にほぐれてきていた。上司との関係も断ち切れ、森と再会して、またSEXしてしまうものの、さわ子の心はすっきりとし始めていた。

 

家に帰り、一人食事を食べる父に、さわ子は旅行に連れて行ってと素直に声をかける。父も普通にさわ子に返事をする。さわ子の姿に父は自然と笑みが漏れていた。こうして映画は終わっていきます。

 

ある意味、大人として微妙な年頃の女性と、思春期の微妙な年頃の妹、そして、これもまた微妙な年頃の中年のおじさんと、若者。このどこか不安定になる瞬間の男女を、その心の成長と転換をさりげなく描写して見せていく展開は、あまりに繊細すぎて、難しい表現になってしまったのではないでしょうか。振り返ってみると、非常に危ういけれど、それなりに感じ入る物が見える作品だった気がします。

 

「渇きと偽り」

原作がいいのでしょう、面白いストーリーなのですが、いかんせん映画としてストーリーテリングがうまく処理されていないので、エッセンスだけを淡々と語るだけになって、物語がリズムを生み出していないのが残念。もっとラストは鮮やかに終わるべきところ、もうちょっと工夫が欲しかった。。監督はロバート・コノリー。

 

メルボルンの連邦警察の警察官フォークは、幼馴染のルークが亡くなったという連絡で、その葬儀のために故郷へ戻って来る。ルークは妻のカレンを含め家族を惨殺した後自殺をしたのだという。故郷に戻ったフォークだが、若き日にガールフレンドのエリーが川で溺死する事件があり、たまたま、フォークがエリーを川に呼び出していたメモが見つかって、フォークに疑いがかかったまま住民たちに追い出されるように街を出たのだった。故郷は一年近くの旱魃で枯れていた。

 

故郷へ戻ったものの、エリーの父や町の人たちから冷たい視線を浴びるフォークだが、ルークらの死に不審を持ったフォークは独自に捜査を始める。地元の巡査も彼に協力するようになる。この地の学校の校長スコットは他所の町から来ていて、フォークの過去はほとんど知らなかった。映画は、フォークらの若き日と現代を交互に描きながら二つの事件の真相を明るみにしていく流れとなる。

 

カレンの持っていたメモにグラントという名前があり、街の住人グラントが土地の問題などからルーク一家の殺害に関与したのではとフォークは考えるが、グッチェンが調べていた、かつてカレンが関わっていた書類から、グラントは奨学義援金(グラント)のことである事がわかる。しかも、フォークが泊まっているホテルの一階のバーにはスロットマシンがあり、スコットが入り浸っているのを思い出す。

 

スコットは、ここに来る以前の街で借金が膨らみ、この街に逃げてきたのである。スコットはカレンに不正受給を発見され、その口封じに一家惨殺をしたのだ。フォークと巡査はスコットの勤め先の学校へ向かうが時を同じくして奨学義援金の団体からスコットに連絡が入り、スコットは枯れた森へ逃げていった後だった。フォークたちがスコットを見つけて問い詰めると、スコットは全てを白状して体にガソリンをかぶって火をつける。すんでのところで森が火事になるのを食い止めたフォークナーと巡査が病院にいる場面へと変わる。

 

事件が終わり、街の人たちもフォークの勇敢な行動に賛辞を送り、フォークは街を出ていくが、途中、若き日にルークやエリーらと遊んだ川辺に行く。そこで、古ぼけたリュックを見つける。その袋の中でエリーの日記が見つけ、エリーは、父親に虐待されていたことを知る。エリーは父親に殺されていたのだ。フォークはその証拠を持って立ち去って映画は終わる。

 

サスペンスミステリーとしてのお話は面白いのですが、映画としておもしろくなりきれていない。脚本が悪いのか演出が弱いのか原因がどこにあるかわかりませんが、この話ならもっと面白くなりべき内容のような気がします。ラストの過去の事件の真相が出るところがかなり唐突で、無理やり原作に合わせた感が満載。その意味でちょっと勿体無い仕上がりの作品でした。