くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「チケット・トゥ・パラダイス」「狂った一頁」(サイレント版79分版)「十字路」『衣笠貞之助監督版 87分英語字幕版)

「チケット・トゥ・パラダイス」

思いの外いい映画でした。アメリカ映画らしい陽気で明るいラブコメディという感じで、ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツの熟年の魅力が等身大に描かれていてとってもいい感じになっているし、小さなトラブルを絶妙のタイミングで挿入した脚本が全体にいい感じのスパイスになり、前半のテンポのいい掛け合いから、バリ島に移ってからの、古い風習と現地の言葉が入り込んでからの温かいドラマ展開が上手い。ラストの処理も思わずニンマリとしてしまう仕上がりだったのがいい。気持ちのいい映画を見ました。監督はオル・パーカー

 

デヴィッドとジョージアは結婚して25年が経つが、5年目で離婚して20年近く別居生活をしている。二人に一人娘で弁護士を目指しているリリーがいて、この日、リリーから二人に、卒業式への招待が来たことから映画は始まる。いきなり、デヴィッドとジョージアはお互いに悪態をつきながらの道行となるが、とにかく明るくて、暗さが全くないのがいい。

 

卒業式は無事終わり、リリーと友人のレンは卒業旅行でバリ島へ旅立つ。バリ島でリリーたちが泳いでいたら、連れてきてもらったボートに置いてきぼりを食わされる。そこへ通りかかったのは地元で海苔の養殖をしている青年グデだった。リリーはグデに一目惚れしてしまい、それから57日が経つ。

 

デヴィッドとジョージアの元にリリーから結婚式の招待が来る。慌てて向かう二人だが、彼らはリリーの結婚を阻止するべく作戦を練り始める。飛行機の中では、ジョージアが今の恋人ポールと出会う。デヴィッドとジョージアは、席が隣同士なので間に老婦人が座るが、この老婦人をラストでさりげなく生かしているという展開も上手い。現地では、バリ島の古い風習のままに出迎えられ、現地の言葉も入り混じる何処か異世界だったが、デヴィッドたちは、まず結婚式に先立つ指輪の交換を阻止すべく子どもがあづかっている指輪をジョージアが盗む。

 

しかし、結婚式に向かって着々と進む中、ポールもジョージアの元に駆けつけ、彼らは、結婚前に恋人同士が行くと呪われるという寺院に行ったりする。ポールはそこでジョージアにプロポーズをするが、ポールは蛇に噛まれて病院に担ぎ込まれる。デヴィッドらはリリーらと酒の飲み比べをしたり、デヴィッドがイルカに噛まれるなどの小ネタエピソードの配置が実にうまく、いよいよ明日に式が迫った時、デヴィッド、ジョージア、リリー、グデで無人島へ遊びに行くが、ボートが流され、一夜を過ごすことになる。そこでジョージアのバッグから指輪を見つけたリリーは、険悪なムードになってしまったまま翌朝を迎える。翌日、やってきた観光客に助けられるがなんと飛行機の中で知り合った老婦人だったりするお遊びが上手い。

 

そして滞りなく式は進むが、その頃にはデヴィッドとジョージアはリリーの結婚を暗に認めていた。ポールは再度ジョージアにプロポーズすりも、頭突きされてしまい、今回もうまくいかずじまいで、結婚式が始まる。最後の儀式で、グデはデヴィッドとジョージアにちゃんと祝福してほしいと訴え、デヴィッドたちは自然とそれに応えて無事、式が終わる。

 

ジョージアはポールのプロポーズを断り、デヴィッドと共に島を離れることになるが、船の中で、二人はいつの間にかこの島を気に入り、一緒に住もうという意見となる。そして船から飛び降りるストップモーションで映画は終わる。

 

とっても明るいし、デヴィッドとジョージアのセリフの掛け合いも実にテンポ良い。ストーリー展開も肩が凝らない軽い流れなのですが、しっかりと心に染みて行くセリフを散りばめてあるので、安っぽくならない。ラストの処理もいかにもアメリカ映画らしい心地よさで、本当に楽しい映画を見れたなあという感じでした。

 

「狂った一頁」(サイレント、オリジナル染色版)

多重露出を多用したクライマックスだけでなく、狭い空間をカットの切り替えで見せる編集のリズム、クローズアップと明暗の画面のテンポなど、とにかく前衛映画のテクニックを凝らした絵作りは、ある意味癖になる作品。まさに映画史に残る傑作でした。とはいえ、横光利一の提案による全く字幕の無い映画なので、ストーリーを知らないとなんのことかわからないのですが、映像を楽しむという純粋な原点を見たような気がします。監督の衣笠貞之助がやりたい放題に作ってみたというだけあって、映画が映像の塊になっています。26歳の時の川端康成が脚本に参加、若い円谷英二も参加しているという一本です。衣笠貞之助自らが再編集したニューサウンド盤は59分版ですが、サイレント版は79分です。

 

とある精神病院、一人の元船乗りの男は、この病院に入っている妻のそばで働きながら妻の姿を見つめていた。そんなある日、結婚を控えた二人の娘が病院に訪ねて来る。男は妻を逃がそうとするが妻に抵抗され、ささやかな夢に囚われていった男は幻想を見るようになる。

 

映画はこの男が見る現実とも幻想とも言えない場面を、多重露出を駆使したり、フラッシュバック、多重露光などしながらシュールな映像表現で映し出していく。それは狂気なのか正気なのか、見ている自分達も次第に陶酔感の中にのめり込んでいく。わかりやすい物語を、語るというより、映像を創造した作品という感じの映画で、ラストは元の仕事に戻った男がいつものように掃除をしている場面で映画は終わる。

 

映像で表現するということを突き詰めた作品で、字幕が全く無いので、どういう展開なのか、どういう設定なのか全く伝わってこないけれど、その不確かさが、独特の映画の魅力を生み出しています。これは究極の映像表限でしょう。本当に癖になる一本でした。

 

「十字路」

これは傑作でした。真上から捉える斬新なカメラアングル、西洋建築のように、階段の踊り場を取り入れた大胆な美術、歪んだ梁や渦巻きに襖絵、当時のカメラ技術を最大限に使ったオーバーラップによるズーム効果など、当時として驚くべき映像を完成させています。しかも、ストーリー展開のリズムも見事で、古典ながらも日本映画の真骨頂を見せられた気がしました。輸出したフィルムが英国で発見されその里帰りをしたフィルムなので87分英語字幕版かつてビスタサイズになっています。監督は衣笠貞之助

 

一人の若者が血だらけで家に駆け込んでくる。迎えたのはたった一人の姉お菊。駆け込んできたのは弟だった。血だらけの姿を見たお菊はてっきり弟が何かやったのだろうと押し入れに匿う。お菊らが住んでいる部屋は二階で、一階からは舞台セットのように階段が続いている。下に、一人の十手を持った男が立っている。お菊は十手の男に誰もいないからと追い返す。弟は、吉原の矢場にいる女お梅にぞっこんだった。弟は、姉が裁縫を頼まれている着物を奪ってお梅にプレゼントしようと飛び出して行く。

 

矢場に着いた弟はお梅に着物をやろうとするが、横から一人の男にその着物を奪われ破られてしまう。さらに、先日喧嘩をした恋敵の男が現れ取っ組み合いになり、弟は恋敵の男に灰をかぶせられ目が見えなくなってしまう。さらに、思わずしがみついた女をお梅と勘違いしてみんなの笑いものになってしまう。弟は一緒に笑う恋敵の男に耐えきれず、その男を刺してしまう。弟はてっきり殺したと思い、逃げるのだが、恋敵の男は死んだふりをして騙していたのだ。

 

家に戻った弟は人殺しをしてしまったと姉に告白、しかも目も見えなくなったと訴える。そこへ十手の男が現れる。実はこの男は十手を通りで拾っただけの偽物の役人だった。しかし、役人と信じるお菊は、十手の男に「秘密にしてやる」と意味ありげに言われ身をひいてしまう。お菊は苦しんでいる弟を見ていられず、お梅をつれに矢場へやって来るが、そこではお梅が、「あんな男嫌になった」と言っているのを聞いてショックを受ける。そんなお菊に女衒の婆さんが近づき「金がいるなら稼げるよ」と誘う。

 

家に帰ると、十手の男がいて、お上にバレたが金があれば助かる。とお菊に持ちかける。金は俺が出していやるからついてこいという。お菊は女郎屋へ行く覚悟をして白粉を塗ったものの、弟の寝顔を見て明日まで待ってほしいという。夜、十手の男がお菊を連れに来る。お菊は十手の男について下に降りる。十手の男はまず自分のものにしようとお菊に迫る。その頃、二階では弟が目覚める、しかも目は見えるようになっていた。姉を探して下に降りたが、そこには十手の男を刺した姉お菊の姿があった。

 

弟は姉を連れて雨の降る外へ出ていき、ボロ屋に落ち着く。弟はお梅のことを思い出し、眠っている姉を残して矢場へ行く。ところがお梅は恋敵の男とよろしくやっていて、弟のことなどなんの未練もないなどと話していた。それを見た弟は悶絶した上に「姉さん」と呟き、その場に倒れ息絶えてしまう。ボロ屋で待っていた姉は、弟が戻ってくるのを十字路で待っている。こうして映画は終わります。

 

突然真上にカメラアングルが変わったり、オーバーラップを繰り返してズーム効果を生み出したり、極端なクローズアップを挿入して映像のリズムを作ったり、雨や猫などのインサートカットを挿入して緊張感を生み出したり、限られた当時の撮影技術で最大限の映像効果を狙った絵作りが素晴らしい一本で、矢場や姉弟の住む住居のセットなどのスケール感も歪んだシュール感も素晴らしく、日本映画史に残る傑作と言える映画でした。