「小さき麦の花」
ハロゲン光を基調にした柔らかく温かい照明演出が秀逸で、戸外の場面の色彩演出と構図も絵画のように美しい。そんな画面の中で展開する、家族からも疎まれている貧しい夫婦の純粋な愛の物語、というベールを被った鋭い政府批判の映画だった。考えすぎかもしれない。しかし見え隠れするのは、主人公夫婦に誰も助けの手を出さずに、搾取は普通に行い、都合よく利用し、しかも、そんな現実を知らない中国政府は農民の感情を無視した近代化を卓上の理論だけで進めている。そんなメッセージが見えるために素直に感動も涙も浮かばなかった。監督はリー・ルイジュン。
ロバの糞を窓から掻き出している場面、掻き出している男ヨウティエを呼ぶ義姉の声、カメラがパンすると雪が降っている。詩的で美しい場面から映画は幕を開けるのだが、何か違う。ヨウティエが呼ばれた部屋に行くと兄夫婦達が集まっていて、一人のどこか不具合のありそうなクイインという女性がいる。どうやらヨウティエとクイインの見合いらしい。クイインは義姉に言われトイレに立つ。まもなくして二人は結婚になるが、クイインには障害があるようで、左手が動かず、また意思に反して漏らしてしまう。初夜のベッドで床を濡らしたクイインを横目になんの非難もせずヨウティエは外で一仕事して戻ってくる。
村の地主のチャンが入院していて、特殊な血液が必要になったという。しかも、それは村人の中でヨウティエだけらしく、クイインの反対をよそにヨウティエは献血に赴く。チャンの息子は借地代も払わず贅沢三昧している風だが、ヨウティエに、クイインにやるコートなどを買ってやったりする。ヨウティエとクイインの生活は貧しいながらも幸せな日々だった。空き家を壊すと補助金が出るからと、ヨウティエ達は家を立ち退かされ、近所の空き家に移り住む。そこで暮らしながら、ヨウティエはレンガを錬って新居を作り始める。
クイインは麦の穂で作ったロバの人形をヨウティエにやったり、手の甲に麦の実で花をこしらえてやったりする。村人に卵を借りて、孵化させて鶏にし、たった一頭のロバを可愛がり、麦を育て、とうもろこしを育てる毎日だが、ヨウティエはクイインを大事にした。チャンの息子がことあるごとにヨウティエを連れて輸血させに行くが、クイインはいい顔をしない。麦が実り、荷車に積む際についヨウティエはクイインに強い言葉をかけてしまい、反省してしまうこともあった。
近くに流れる近代的な用水で、クイインの体を洗ってやり、麦でかぶれた体を癒してやる。街には近代的な住居ができ、抽選で農民が移り住めるようになり、チャン達はヨウティエにも勧めるが、街に住んだら、どうしたら良いかわからないと応える。やがて家も完成するが、しばらくしてクイインが病に倒れる。ベッドに寝かせ、初めて鶏が生んだ卵を食べさせ仕事に出るが、夜戻ってみると、小作人が集まっている用水の橋の上で、クイインがヨウティエを探しにいき用水に落ちたと知らされる。ヨウティエは必死でクイインを引き上げるがすでに息がなかった。
葬儀を終えたヨウティエは、蓄えていた小麦やとうもろこしを全て売り、借金を全て払い終え、クイインの遺影の前で眠りにつく。手にはクイインが作った麦の穂のロバを持っていた。可愛がっていたロバを解き放ってやり、抽選で当たった街の家に移るべく去っていく。ヨウティエが作った家もまた地主が補助金をもらって取り壊されてしまう。傍にヨウティエが可愛がっていたロバがいた。こうして映画は終わっていきます。
果たして感動のドラマだろうか?ヨウティエが家の軒に住むつばめをことさら大事にしたり、決して地主を非難することもしない。淡々と日々を暮らしながら貧しい日々を過ごすが、誰も助けようともせず、結局、近代化を進める国が作った住まいに移っていく。この冷たさはなんだろう。考えすぎなのかもしれないが、ここまで美しい映像とピュアなドラマなのに全く感情的な感動は覚えなかった。
「群盗、第七章」
面白い作品ですが、ジョージアの歴史を知らないとちょっと理解しづらいところもある映画でした。様々な歴史の一ページにその時代の物語の主要人物を同じ俳優が演じるという形式なので、ストーリーを追うのに苦痛はない。ラストに何もかもが整理されていくくだりの面白さとエンディングののどかな映像が語るメッセージに安心感を抱いて映画を見終わる事ができました。監督はオタール・イオセリアーニ。
現代のパリ、一台の高級車がやってきて試写室に入り、たばこを吸い始める。映写室ではフィルムがかけられ映像が映される。豪邸で酒を飲み何やらゲームに興じる大人達。一人の少女が機関銃を持って現れ、彼らを撃ち殺す。フィルムを交換しなさいという女性に映写技師は次のフィルムをかける。
場面が変わると中世のジョージア、王は森で出会った羊飼いの娘を見初めて王妃として連れ帰る。そしてタイトル。一人の男がベッドで目覚め、街に出る。内戦下のジョージア、街を装甲車が行き交う中、男は酒瓶を売りに行く。銃を持って戦いに行く男達を見送る。中世のジョージアでは、王妃が不義を働き、王に斬首される。革命前のジョージア、スリの男ヴァノは品物を売りに行って共産主義の男達に脅され仲間になるように言われる。中世、サルタンは第一夫人に毒を盛られて倒れるが一命を取り留める。共産主義の実力者となったヴァノは非道の限りを尽くし、あらゆるところで密告をさせ、拷問をして次々と敵対する人物を殺していく。内戦下、革命の同志は銃で共産主義者のリーダーの息子を射殺。
豪邸に集まった男女は、ゲームで半裸になりながら乱痴気騒ぎをしているが、突然現れた少女に機関銃で射殺され、少女は人殺しをしたと警察に通報。内戦下、浮浪者の男は知り合いに、自分と瓜二つの顔の王の肖像画が売られていると見せに行く。その後通りでアコーデオンを奏でていて傍で、浮浪者は通りかかった一人の女性に声をかける。中世での王妃の女性であるが、言葉が通じないと去られる。現代、試写を見終わった人々はラストが見たいと去っていく。のどかな丘の場面、広がる平原のカットで映画は終わっていく。
様々な時代を同じ俳優に演じさせることで映画全体を一つにまとめていく手腕が見事な一本で、ジョージアの歴史をちゃんと知っていればもっと理解できたかもしれないが、知らなくても一つの映像として仕上がっている面白さを堪能できました。