くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ヘアー」「ひみつのなっちゃん。」「ファミリア」

「ヘアー」

名作ですね。時代とお国柄は今見るとやや鼻につくとはいえ、奥にパンしていく映像演出や、バイタリティ溢れるストーリー展開は見事。ラストシーンで一気にメッセージをぶつけて来る構成も秀逸。必見の一本でした。監督はミロス・フォアマン

 

オクラホマ州ベトナム戦争へ向かうために招集されたクロードが、入隊までにニューヨーク見物をするべくバスに乗るところから映画は始まる。着いてみると、セントラルパークでは髪の長いヒッピーのような若者が乱舞していた。そこで、いかにもブルジョワジーな馬に乗った一人の女性シーラに惹かれる。たまたま騒いでいたヒッピーのリーダー的なジョージ・バーガーが率いるメンバーと親しくなったクロードは、ジョージらに入隊まで楽しませて欲しいと頼む。

 

ジョージは、クロードがシーラに恋したことを知り、シーラらの家族のパーティに強引に潜入して大暴れし、警察に捕まってしまう。ジョージが両親に保釈金をもらい、とりあえず全員が釈放される。ジョージは、シーラとクロードの仲を盛り上げるために、シーラを何かにつけて誘い出す。堅苦しい生活に嫌気がさしていたシーラは次第にジョージ達のグループと行動を共にするようになる。

 

しかし、クロードの入隊日は迫ってきた。最後の夜、池でジョージ達が裸になって泳ぐのにつられてクロードやシーラも池に飛び込むが、ジョージ達のイタズラで服を持っていかれる。シーラは半裸のままタクシーで逃げ帰り、クロードもイタズラがすぎるとジョージ達と別れる。やがて、クロードは入隊し訓練に入る。

 

シーラはクロードに手紙を出していて、その返事をもらい、クロードがネバダで訓練していることをジョージ達に知らせる。ジョージは、車を手に入れ、シーラらを伴ってネバダを目指す。しかし。基地についた物の入れてくれるわけがない。シーラの機転で、バーで一人の軍曹と親しくなり、服を頂戴して、ジョージが髪の毛を切り、軍曹に扮して基地へ潜入、クロードを連れ出そうとするが、クロードは点呼があるから無理だと答える。

 

ジョージはクロードと入れ替わり束の間のシーラとの逢瀬を助けたやることにする。クロードは、なんとかシーラと再会、束の間楽しむが、戻らないといけない。ところが基地では突然、戦地への派遣が決まる。そしてジョージはクロードの名前のまま戦地へ向かうことになる。慌てて戻ったクロードだがすでに間に合わなかった。そして場面が変わりと戦没者の墓地。ジョージ・バーガーの墓の前で乱舞する若者達。そしてホワイトハウスの前に集まる若者達の大群衆の映像で映画は幕を下ろす。

 

ベトナム戦争をテーマにした名作舞台の映画版ですが、冒頭の手前から奥にピントとシーンを区切りながらの導入部を含め、映像が映画になっている演出はさすがと言わざるを得ません。ミュージカルなので、ナンバーも歌声も素晴らしいし、名作の一本という感じの映画でした。

 

「ひみつのなっちゃん。」

安直な脚本とセンスのない演出で、せっかくの面白そうなアイデアをぶち壊していく映画でした。脇役の甘さ、無意味なセリフの数々、不必要なエピソードの連続による時間稼ぎ、一貫した展開の欠如、とにかく凡作が極まったという映画でした。面白そうな気がしたのにがっかりです。監督は田中和治朗。

 

ダンスの練習をしているかつてのドラァグクィーンのバージン場面から映画が始まる。自宅で毎日練習しているものの何故かステージに戻る予定はない。そんな彼に、先輩なっちゃんの死の知らせが入る。知らせてきたモリリンと、なっちゃんの部屋に行ったバージンだが、なっちゃんがオカマであるのを隠していたことがわかり、大騒動になる。なっちゃんの後輩でもあるズブ子も呼んで、なっちゃんの自宅にあるおかまの証拠を整理しようとするが、そこへなっちゃんの母がやって来る。そして、話の流れでなっちゃんの実家郡上八幡へ行く羽目になるのが本編。

 

なのですが、セリフに散りばめられた伏線は全く回収していかない上に、バージンがなぜここ一年踊らなくなったのかの解決もなく、とにかくなっちゃんの自宅に到着。なんのこともなく普通に葬式が終わりかけるが、もう一度棺に駆け寄ったバージン達は思わず棺をひっくり返し返してしまう。すると、なっちゃんの遺体にはスカートが履かされていた。母はなっちゃんがおかまだと知っていたのだ。バージン達は郡上踊りの場にやってきて、踊る訳ではなく紛れて映画は終わる。じゃあ、バージンが頑なにダンスに戻らない理由はなんだったのか、全く説明ないエンディング。

 

とにかく雑そのものの映画だった。

 

「ファミリア」

現実離れしたストーリー展開と、日頃作者が問題視している社会問題を羅列しただけの脚本で、一体何を描きたいのか、言いたい放題に押し付けられる観客はたまったものではない。そんな最低に近い映画だった。もちろん、物語の中で描かれる、テロの問題や半グレの問題、移民の問題など、それぞれのエピソードは現実に起こっていることだし、目を向けなければいけないことかもしれないが、それを映画で訴えたいのであれば、ちゃんと映画として作り上げないといけなくて、無意味なシーンの連続ととってつけたような事件の連続には全く考えさせられるものも何も生まれてこない。監督は成島出だが、いったい何をやっているのかという作品でした。

 

山奥の窯で焼き物をしている一人の男誠治の場面、カメラが大きな団地を映すと、そこから仕事に行く若者達と戻ってくる若者達。どうやら彼らはブラジル人らしく、ここはそんな人たちの団地のようである。誠治は、息子の学が出張先で知り合ったナディアという女性を連れて戻って来るというので迎えに行く。アルジェリアのプラントで仕事をしている学は、今回ナディアと結婚し、今のプラント事業が終わったら父の元に戻って焼き物の仕事をしたいと話す。誠治は、反対する。焼き物で生活するのは厳しいからだが、それでも学の心は固まっていた。

 

そんな頃、ライブハウスでトラブルが起こり、一人のブラジル人が半グレの金を盗んだということで追い詰められ殺されてしまう。その場にいたマルコスもそのトラブルに関わってしまう。そして、半殺し同然のまま逃げたマルコスは誠治の所へ逃げ込む。誠治と学は彼を手当てしてやり、後日、マルコスの幼馴染のエリカの誘いでブラジル人のパーティに呼ばれる。

 

半グレのリーダー榎本らは、自分の家族がブラジル人の運転するバスに殺されたことで逆恨みし、ブラジル人に執拗に当たっていた。マルコスらに、盗まれた金を返せと迫り、覚醒剤をブラジル人の団地で売るように強要するが、マルコスらは、ヤクザの青木に処分を依頼し逆に覚醒剤だけ取られてしまう。青木らも榎本の仲間だった。

 

やがて学夫婦は一旦アルジェリアに帰ってしまうが、現地でテロ事件が勃発、学やナディアが拉致されてしまう。誠治は、なけなしの金を外務省に届けたりして懇願するも受け入れられるはずもない。一方、マルコス達はその後も榎本に追い詰められていく。焼き物に興味を持つマルコスとエリカは何かにつけて誠治のところへ来るようになっていた。

 

そんな時、学とナディアが現地で殺されたことが伝わる。気力をなくし誠治は、ある決断をする。彼には定年前の刑事駒田という知り合いがいた。警察も榎本ら半グレに手を焼いているのだと聞いていた誠治は、自ら榎本の右腕の半グレをリンチにして、マルコスの友達を殺したことなどを自白させる。その録音を持って榎本に会いに行き、榎本を怒らせて自分を刺させ、そこを駒田に逮捕させる。なんともありきたりでお粗末なクライマックスである。一命を取り留めた誠治のところに、焼き物を教えてほしいとマルコスとエリカがやってくり。こうして映画は終わる。

 

ありえないでしょうというエピソードの羅列と、それぞれの登場人物の本当の苦悩は全く描かれていない薄っぺらさがたまらなく、安物のテレビドラマを見ているような出来栄えだった。榎本の家族に突っ込んだブラジル人のバスの運転手は泥酔していたというところはそっちのけで、ただ榎本が悪いだけという展開、さらに、学達がテロに巻き込まれて死ぬという必然性も何もかもありえないし、いい大人が、外務省に金を持っていってなんとかしてもらえるという判断はさすがにありえない。青木というヤクザはどうなのか?などなど、細かい部分の処理もおざなりで、お粗末そのものの映画だった。