「ラ・ブーム」
ソフィ・マルソーのデビュー作。細かいカットとハイテンポなストーリー展開で、思春期の揺れ動く少女達のラブストーリーを、ヒット曲に乗せて描くとっても心地よい映画でした。監督はクロード・ピノトー
父フランソワに送られて夏休みが終わった新学期、学校へ来た主人公ヴィック。ペネロブという友達もできて、かっこいいレマン先生や、イケメン男子に目移りするばかり。週末にあるブーム=パーティで恋が芽生えるのを夢見ているヴィックとペネロプは、男子から誘われるように心ときめかせている。
一方、まだまだ子供と思っているヴィックの父フランソワも母フランソワーズも気が気でないが、義母でモダンな考えの音楽家のプペットはヴィックの良き相談相手でもあった。ブームにうまく誘われたものの両親の許可を取るべく奔走するヴィック。なんとか許しをもらったが、心配な両親は二人で娘を車で送っていく。そして若き日、二人もブームで知り合った思い出を話す。
ヴィックはそのブームで一人の青年マチューと出会い一目惚れで恋に落ちてしまう。気もそぞろな日々が始まり、ブームでデートしたり映画を見たりと楽しい日々が続く。一方、フランソワにはヴィクトリアという愛人がいた。なんとか誤魔化しながら逢瀬を続けるフランソワだが、とうとう、隠し切れず告白してしまう。怒ったフランソワーズは、別居して頭を冷やすことにする。
一方、マチューは、別の女の子とブームにいるのを見かけて、ヴィックとの仲が疎遠になる。しかし、それぞれのわだかまりが解けたかに見えるたころ、マチューを愛するヴィックは、プペットのアドバイスのもと、マチューが両親と向かった旅行先へ追いかけていき、ベッドインの覚悟を決めてマチューを呼び出すが、乗り切らないマチューは途中で帰ってしまう。
そんな頃、フランソワーズは、ヴィックの学校のイケメン教師レマンといい仲になってしまう。その気配を知ったフランソワは、自宅を見張り、フランソワーズとレマンとのデート現場を見てしまう。まもなくして、フランソワーズは妊娠していることがわかる。もちろん父親はフランソワだった。
それぞれが罪の意識を感じ始め、それでもなかなか言い出せないままに仲直りできない。フランソワーズは、レマンに誘われアフリカに一緒に旅立つことを決意する。一方、フランソワは、フランソワーズとの仲を取り戻すべくベニス行きの航空券を二枚手に入れた。しかし、言い出せないまま、フランソワーズを空港へ見送ることになる。
一旦はフランソワと別れレマンと一緒に飛行機に向かったフランソワーズだが、引き返して、若き日の思い出のカフェを覗くと、一人食事をしているフランソワを発見、こうして仲は修復される。
この日、ヴィックの14歳の誕生日のブームが自宅で開かれていた。密かにマチューを待つヴィックだが、一向に現れない。諦めて別の男の子とダンスをするヴィックの前にすっかり大人になったマチューが現れる。二人は愛を確かめ合い、いつまでもダンスを続ける。こうして映画は終わる。
短いエピソードのカットとストーリー展開が実にリズミカルな一本で、ほのぼのした大人と思春期の少年少女のラブストーリーが描かれる様がとっても素敵な一本。テーマ曲も素晴らしく、ソフィ・マルソーの可愛らしさのみでなく周囲の脇役も魅力的で、何度も見直したくなる作品だと思いました。
「ニューヨークの王様」
軽妙なドタバタ喜劇を挟みながら、独特の風刺を散りばめていく作品で、そのテンポの良さはさすがに絶品。事実上国外追放され、イギリスに帰っていたチャップリンのアメリカ文明批判が鋭い作品です。監督はチャールズ・チャップリン、彼の最後の主演作です。
原子力の平和利用を訴えた計画が原因で自国に革命が起こり、アメリカに亡命したシャドフ国王がニューヨークのホテルに到着するところから映画は始まります。自身の財産を首相に持ち逃げされ、一文無し同然となった国王ですが、アメリカメディアが放っておかず、アン・ケイというやり手のキャスターを派遣、隠しカメラで国王に巧みに演技をさせてテレビ放映し話題をさらいます。その出演料でなんとかそに場を凌いだものの、テレビに対する嫌悪感は拭えない国王ですが、次第にお金の必要に迫られるとともに、大口の出演依頼が舞い込み始め、どんどんテレビ出演をし始めます。一方、顔立ちを若くするために整形を勧められたり、皮肉混じりのエピソードが展開。
たまたま、到着直後に立ち寄った学校で知り合った弁のたつルパート少年が、寒空に通りにいるのを見かけた国王は、部屋に連れ帰り保護してやります。ところが彼の両親は共産党員で、裁判にかけられ、ルパートを保護した国王にも嫌疑がかけられ裁判所に召喚されてしまいます。あれよあれよというまに、騒動に巻き込まれていく国王。中心の物語の随所にサイレント映画的なドタバタ劇を挿入、チャップリン映画の真骨頂を見せていきます。
嫌疑が晴れた国王は、ニューヨークを離れヨーロッパに行く決心をします。離婚間近だった妃との仲も元通となり、ルパート少年やアン・ケイに別れを告げた国王は飛行機に乗って旅立って映画は終わります。
チャップリン映画らしい風刺とドタバタ劇の一本で、チャップリンの名人芸も見られる作品。トーキー作品なのでちょっと違和感が見え隠れするところもあるけれど、毒のある風刺を織り交ぜた作品の厚さは見応え十分でした。
「柳川」
これというドラマティックな物語はなく淡々と進むストーリー。静かな映像と素朴な構図、人生を振り返る瞬間を描いていく作品で、意外に退屈を感じさせないのは、演出の賜物か脚本の不思議なリズムか、良い映画でした。監督はチャン・リュル。
北京大学の病院、一人の男ドンが出てくる。校庭のベンチに座る婦人に、自分は癌で、それも末期だと呟くところから映画は始まる。カットが変わり、中国の日本居酒屋で兄のチュンと酒を飲むドン。日本にある柳川という街の話をする。柳川は中国読みするとリウ・チュアンになるという。それはかつて二人が愛した女性チュアンと同じ読みになる。
場面が変わり、二人は柳川にいた。民宿のような旅館で、日本人の主人中山と話し、チュアンが日本で仕事をしているバーを教えてもらう。そこにいく前に日本の居酒屋に寄り、女将と話したりする。その後、目当てのバーに行き、そこで歌っているチュアンと二十年ぶりに再会、三人が出会った頃の話をする。物語は三人の懐かしの話を柳川の街や運河の上などで延々と語り、時に中山の娘のエピソードや居酒屋の女将との会話などを挿入、繰り返していく。チュアンはチュン達の前から突然消えてロンドンへ行きその後柳川にきたのだという。
やがて、ドン達は中国に戻り一年が経つ。チュンは、妻と家の改装を相談している。父の遺言で家はドンに譲ったらしいが、ドンはチュンに贈ったのだ。そこへチュアンが訪ねてくる。かつて遊びにきた家を見て、チュンにドンが過ごしていた寝室を案内されるが、そこには何もなかった。後に何も残さず消えたいと言っていたというが、チュンはドンに預かったテープをチュアンに渡す。そこに流れるチュアンの歌声を暗転して映画は終わる。
柳川の運河の如く、淡々と流れるストーリーは、ある意味三人の人生の流れであるかのように、これという劇的なものがなかったにも関わらず心の行き交いが見えてくる。そんな二十年に渡る物語を映像にしただけという作品ですが、なかなか良質の一本だった。