くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「歌うつぐみがおりました」「四月」「水彩画」「珍しい花の歌」「ベネデッタ」

「歌うつぐみがおりました」

なるほどそういう映画かと、全て見終わってから振り返ってこの作品はなんの映画だったかを思い起こせる作品でした。見ている間は、一体なんの話かと思うのですが、背後に流れる時計の音やメトロノームの音、主人公がティンバル奏者であることなどが全て明らかになるラストは秀逸。才能がなせる一本でした。監督はオタール・イオセリアーニ

 

部屋の中にツグミの鳴き声がして、カメラは窓から外に出ると主人公ギアがガールフレンドと歩いている。タイトルの後バレエの舞台の伴奏をするオーケストラの段取りをしている男が駆けずり回りギアを探している。間も無くティンバルの演奏場面だが奏者のギアがいないのだ。こうして映画は始まる。いつも遅刻してギリギリで間に合うのを繰り返しているティンバル奏者のギアはこの日も、間一髪で舞台に入り自分のパートをこなす。劇場の所長は彼に話があるからと声をかけて、指揮者はもう彼を首にしろと言っている。

 

そんな声を聞きながらギアは家に帰り母に会い、翌日、友人を招待したから必ず顔を出すようにという。通りで出会う人たちに次々に声をかけ、そのたびに何かに誘われ、その度にそれぞれに顔を出す。時計の修理店に顔を出し、道ゆく女性に声をかけ、家に帰ると近所の子供が音楽をかけて欲しいというのでオルゴールをかける。会いたくない男がきたので隠れ、また外に出ると別の人物に声をかけられる。

 

翌日、演奏の途中でネクタイを変えて自宅に戻り、母の友人の相手をしてまた演奏に戻り、ギリギリで自分のパートをこなす。舞台が終わり、仲間とレストランへ行くことになるがその前の約束に顔を出し、遅れてその場に行き同僚に嫌な顔をされる。それでも、また家に帰り、母の相手をし、眠りにつく。翌日目覚ましで目を覚まし、いつものように劇場へ向かう。いつものように出会う人々に挨拶をし、いつものように路面電車に乗ろうとして通りを渡り、車に轢かれる。救急車で連れていかれるギア。時計の修理店ではこの日も時計のギアをいじっている。そのアップで映画は終わる。

 

時計のギアのように秒刻みで毎日を送る一人の男の一瞬の人生を描いた見事な作品で、女遊び好きな男の話かというとそうではないと見えてくる後半が素晴らしい。映画全体が一つの映像表現になっていて、個別のエピソードは全て映画全体を飾る装飾でしかないという演出には頭が下がります。

 

「四月」

傑作でした。音楽と環境音、効果音のみで綴る物語は、映像表現の究極を目指している気がします。しかも皮肉混じりに文明をコミカルに切り取る展開がとってもシュールかつユーモアに溢れています。魅了される作品でした。監督はオタール・イオセリアーニ

 

昔ながらの路地、アパート、その窓で一人の女性がトレーニングしている。窓が順次開いてそれぞれから顔を出した老人たちが楽器を奏で始める。通りでは黒服の人間たちが慌ただしく家具などを運んでいる。その雑踏の中、一組の若いカップルが口づけをしようと場所を探すが、すぐに黒服の人物が入り込んできてムードを壊されてしまう。丘の上には一本の古い木があり、傍に馬がいて、そばに楽器を奏でる人がいる。

 

時が流れると共に、近代的なアパートがみるみる完成されていく。楽器を奏でていたりトレーニングしていた人たちがそのアパートに移り、さっきまで窓一つ一つに映されていた人々は一つの画面に一同に映される。部屋の中には何もなくて、若いカップルもその一室に入る。ゆっくりキスをすると天井の明かりが灯り、次にキスをすると水道が出てきて続いてガスの火がつく。

 

廊下に一人の黒服の男がいて、このアパートの部屋部屋をのぞいている。そして若いカップルの部屋にたどり着くが、カップルが部屋の隅で寄り添っているのを見て耳打ちする。二人が男についていき、近くの部屋を覗くと、老夫婦がガラス食器を磨いていたり、所狭しと置いた家具の中で過ごしているのを見かける。男が一脚の椅子をカップルの部屋に運び入れる。何やら椅子が雑音を奏でる。まもなくして、次々と家具が運び入れられ、冷蔵庫や掃除機が入り、部屋の中は狭苦しくなっていく。それに伴い、何やら雑音が増え、音楽を演奏していた部屋は窓を閉める。黒服の男が苦情を言いにくるが追い返される。丘の上の木が切り倒される。

 

ところがある時、花瓶に水を入れようとしたら水道が止まる。イラついた女性がガラス食器を落として割ってしまう。天井の電気が消え、ガスも火を止める。ここで、初めて二人は言葉で言い争うが、おそらく言語ではないのだろう。仲の良かったカップルはなぜかお互いによそよそしくなって不貞腐れて座り込む。画面が懐かしい路地になり、女性がその路地に現れる。そこに男性も現れる。二人はかつてのように路地を歩く。

 

アパートの窓から大きな家具が投げ捨てられる。続いてさまざまな部屋から家具が外に投げつけられる。呆気に取られる黒服の男。部屋の中は何もなくなり、カップルの部屋に明かりが灯り、水が出て、ガスの火がつく。丘の上の切り株のそばにカップルが佇む。こうして映画は終わっていきます。

 

文明への風刺と愛の大切さを描いた実験的な作品ですが、映像だけで語りかけてくる演出が素晴らしい。路地を練り歩く黒服の男たちや音楽を奏でながら出入りする通りの様々、その合間に仲のいいカップルが愛の時間を過ごそうと探し回るくだりが素晴らしい。映像で物語を語るとはこういうことだろうと思う。素晴らしい映画でした。

 

「水彩画」

10分の短編映画ですが、凝縮された暖かさに胸打たれる一本でした。監督はオタール・イオセリアーニ

 

いかにも貧しい部屋、大勢の子供たちがいて、飲んだくれの夫が酒を飲む金を妻に無心している。しかし無視する妻。子供たちを部屋の外に出し、宥めようとして出た隙に夫はベッド脇の金を取って逃げる。それを追いかける妻。夫はとある美術館に逃げ込み、後を妻が駆け込む。

 

彫刻や絵画の顔という顔が夫と妻を睨みつけているが、夫は一枚の絵の前で立ち止まる。妻もその絵を見る。説明者が、この絵はとっても暖かい家庭の家の絵だと説明している。じっと見ている夫はこの家が自分たちの家だとわかる。妻も自分たちの家だとわかる。一人の画家が夫婦の家の前で、家を背景にした夫婦と子供たちの絵を描いている。そこにはさっきまでの殺伐としたものはなく暖かい空気が流れている。

 

映画学院時代の監督の処女短編らしいが、さすがに才能を感じさせる一本でした。

 

「珍しい花の歌」

検閲で、監督の意思に反して勝手にナレーションを入れられた短編映画です。延々と美しい花を捉えていく作品です。監督はオタール・イオセリアーニ

 

美しい花々が咲き乱れるジョージアの景色、それを繰り返し繰り返し捉えていく。1人の年老いた造園家が、花々や石を使って丁寧に飾りつけていく。ところが突然、トラクターなどが花を踏み潰していく。やがて何もなくなり整地された地面。画面は再度冒頭の美しい景色と花々を映し出して映画は終わる。

 

自然が破壊されていく様をさりげなく揶揄しながら映像で描いていく作品。才能の成せる一本ですね。

 

「ベネデッタ」

聖人か狂人か、実話をもとにミステリー仕立てで神の存在を問い詰めていく怪作。実在の修道女ベネデッタ・カルリーニの半生を描いた作品なので、いわゆる聖人映画かもしれませんが、全体はミステリーホラーテイストでグイグイと引き込んでいきます。その迫力に二時間越えながら飲み込まれてしまいました。果たして彼女はなんだったのか、ラストは不思議な感動を覚えてしまいました。監督はポール・ヴァーフォーヴェン。

 

17世紀ぺシアの町、一人の少女ベネデッタは、父らに付き添われてテアティノ修道院に向かっていた。途中、聖母マリアの廟があり、ベネデッタは、その前で祈りを捧げ歌を歌う。折しも盗賊らしい一団がやってきて金を要求、ベネデッタの母のネックレスを取り上げる。盗賊の首領に向かってベネデッタは、返さないと神の罰が降りると宣言、直後、木の中から現れた小鳥が盗賊の一人に糞を落とす。首領はネックレスを返し、笑いながら去っていく。

 

テアティノ修道院でベネデッタらを迎えたのは院長のシスターフェリシタだった。入所にあたり金を要求し、折り合いのついた金額を渡すことにしてベネデッタは修道女として仕えることになる。そして十八年が経つ。時折、キリストに会う夢を見るベネデッタは、自分はキリストの妻だと公言し始める。たまたま、司祭がやって来てベネデッタの父も同席、食事をした後の帰り際、突然、一人の女バリトロメアが飛び込んでくる。父親の虐待を逃れて来たという彼女に、ベネデッタの父は金を修道院に渡すことにして修道女として入所させる。それから、ベネデッタとバリトロメアは親しくなる。

 

ベネデッタはその後も悪夢や幻覚を見て、その度に、讃美歌の途中でも突然叫ぶようなことが頻繁になる。そんな彼女は、重病になって寝込んでしまう。その看病につきっきりになったのがバルトロメアだった。回復したベネデッタの両手両足にはキリストと同じ聖痕が残されていた。夢で、磔になったキリストに誘われた直後の出来事だった。司祭長らは、これを聖痕だと公言して利用することを提言するが、聖痕であるもう一つの証拠、頭の傷が欠けていた。ベネデッタは、聖母マリアの像の前で転倒し、頭に怪我を負う。しかし、それは自分でつけたものだとフェリシタの娘の修道女のクロスティナは訴える。しかし司祭長は強引に聖痕だとする。さらに、民衆の支持を盛り上げるために院長の座をベネデッタに譲り、フェリシタはシスターになってしまう。クロスティナは納得がいかず、神父に懺悔をして、ベネデッタが自分で額に傷をつけたと訴えるが、修道女たちの前で宣言せよと言われ、結局、フェリシタにも守られず鞭打ちを言い渡される。

 

屈辱を感じたクロスティナは、彗星が修道院の空に輝く夜、飛び降りて死んでしまう。一方、修道院長となったベネデッタはバリトロメアを自室に引き入れる。バリトロメアはベネデッタに情欲の行為を教え、やがてその行為にベネデッタははまっていく。バリトロメアは、マリア像で精具を作る。ところが院長の部屋にはフェリシタがかつて作った覗き穴があった。ことの次第を目撃したフェリシタは、夜間、フィレンツェ教皇大使の元を訪れ真相を話す。フィレンツェではペストが大流行していた。教皇大使のジリオーリは、フェリシタと共にぺシアの街にやってくる。ベネデッタはジリオーリを誘惑して味方にしようとするが、拷問を受けたバリトロメアは真実を告白し、証拠となる精具も発見、ベネデッタを火刑にすることを決定する。しかし、フェリシタはペストに感染し地下室に隔離される。

 

やがて刑の執行日、最後に自ら告白せよというジリオーリに、ベネデッタは悪態をつき、さらにフェリシタもジリオーリを非難するかのように自らの病を公にする。ベネデッタは処刑の磔に拘束されるが、民衆の反乱が起き、ベネデッタは解放され、ジリオーリは民衆に袋叩きにあった末殺されるが彼もまたペストに感染していた。フェリシタはベネデッタらの前で自ら炎の中に飛び込んで果てる。

 

ベネデッタとバリトロメアはぺシアの街を望む洞窟で体を合わせていた。このまま逃げようというバリトロメアに、ベネデッタは、終生修道院で過ごす誓いを立てているからとぺシアの街に帰っていく。こうして映画は終わる。テロップで、ベネデッタは修道院の地下牢で七十年過ごしたと出る。

 

聖人映画なのですが、単純にサスペンスとして面白い。果たしてベネデッタは本当に悪女だったのか、それとも聖人だったのかを考えると、神の存在の定義さえ揺らいでくる。教皇大使も娼婦に孕ませたという描写もあり決して聖人ではない。フェリシタも修道女を迎えるにあたり金を要求する。その俗っぽさこそがこの映画の言わんとすることかもしれません。でも面白かった。