くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「せかいのおきく」「郊外の鳥たち」「アダマン号に乗って」

「せかいのおきく」

スタンダードモノクロ映像で美しく描く糞まみれの映画ですが、台詞が実によく練られていて美しい上に、掛け合いのテンポがとってもいいので映画がほのぼのとしてきます。世の中で生きていくことの人それぞれの役割というものがあるんだというメッセージに勇気づけられていく不思議な作品ですが、とってもいい映画でした。それほど出番のない佐藤浩市石橋蓮司もとっても良いし、映画の隅々まで行き届いた演出が見事。良かったです。監督は阪本順治

 

戸外の廁で、肥溜めをさらっている下肥買いの矢亮の姿から映画は幕を開ける。モノクロ映像ながらさすがにリアリティを感じざるを得ない糞の描写に、臭いが漂ってきそうです。雨が降ってきて、雨宿りに紙屑拾いの中次がやってくる。続いて元武家であるが今は長屋住まいのおきくもやってくる。どうやらおきくは中次のことが好きらしいが、軽妙な会話からスタートするオープニングが実に良い。おきくが廁に入るというので中次と矢亮は場所を移す。矢亮の相棒が体を壊して人手が欲しいと中次に言って二人は下肥買いを一緒にするようになる。

 

映画は、序章、一章、二章と展開し、場面の代わり際に一瞬カラーになる。長屋に住むおきくの父源兵衛は、いつも周囲に手を合わせて朝を迎え、長屋の人たちとも快く暮らしている。気の強いしっかり者のおきくはそんな父に意見をしながらもお寺で読み書きを教えて生計を立てている。雨が降れば長屋の廁が溢れて、一面糞まみれになる。ある時、中次が長屋の糞をさらっていると、源兵衛が「せかいというものは果てのないほど大きいものだ」というようなことを言い、直後迎えにきた侍たちについていく。それを聞いたおきくも懐刀を持って後を追う。

 

森で、背中を斬られた源兵衛は息を引き取るが、そばにおきくが喉を切られて倒れていた。おきくは数ヶ月治療をして戻ってくるが声を失っていた。読み書きを教えてもらっている寺の坊主が来て、「人には役割というものがあるから」とおきくを誘いに来る。それまでふせっていたおきくだが、手習所へまた行くようになる。

 

おきくが、手本を書いていて、思わず「ちゅうじ」とかいてしまい、一人で照れてみたりする。中次に握り飯を届けようと持ち出すが、気持ちが浮ついてしまって、途中で荷車とぶつかって、握り飯を落としてしまう。このシーンが実に良い。それでも中次の長屋まで行き中次に経緯を身振り手振りで伝えて、中次は思わずおきくを抱きしめてしまう。次第に降り積もる雪が二人を包んでいく。

 

中次は、手習所で読み書きを習うようになり、矢亮は、中次に言われた、いつまでも卑屈になるのは良くないという言葉を噛み締め、それまで罵倒されてきた武家屋敷の下働きの男に糞を投げて逃げていく。手習所では、おきくは「せかい」という手本を示していた。坊主が訳のわからない説明をするが、生徒やおきくらが首を傾げるシーンもユーモア満点。長屋は、かつての活気が戻った風の場面の中、映画は終わっていく。エンドクレジットに被って、中次、矢亮、おきくが森を歩いてくる。中次が「青春だなあ」とつぶやいて映画は幕を下ろします。

 

江戸末期の時代の変わり目を、源兵衛のエピソードや石橋蓮司演じる孫七の姿などさりげなく描写したシーンが実に素晴らしく、たわいない台詞の数々に奥の深い意味合いをユーモアいっぱいに盛り込み、池松壮亮、筧一郎、佐藤浩一、石橋蓮司ら、演技者の実力を遺憾無く発揮させた演出も素晴らしい一本。本当にいい映画でした。

 

「郊外の鳥たち」

正直、何のことか分からなかった。ズームインズームアウトを繰り返す素人映画のようなカメラワーク、区別のつかないキャラクターたち、交錯する空間と時間、それぞれが整理ができていないのか、あえてシュールに展開させているのか、全くついていけなかった。監督はチウ・ション。

 

地質調査にやってきた測量技師ハウたちが測量儀を覗いている場面から映画は幕を開ける。地盤沈下が進み、ゴーストタウンとなった地方都市、対岸には巨大なマンションが建ち並んでいる。彼方まで続く道路は寂れたままである。ハウは、廃校になった小学校で自分と同じ名前の少年の日記を発見、そこには開発が進む都市で毎日を楽しんでいる少年たちの日常が綴られている。映画は、少年たちのまるで「スタンドバイミー」の如き映像と、測量しているハウたちの危惧を交互に重ね合わせるように描くが、時折挿入されるラブシーンのような絵や、ハウが鼻血を出すエピソードなどはちょっと意味がわからなかった。

 

少年たちの映像と重なって、眠っている現代のハウたちの姿にオーバーラップし、工場途中のトンネルに調査に入ると、亀裂や水漏れが見つかる。森の中、ハウと友達がバードウォッチングに来ていて、双眼鏡をのぞいていると少年たちが見える。ハウたちはその場で眠ってしまい、映画は終わる。

 

開発が進む中国の時の流れをシュールに捉えた作品なのかと思うのですが、平行線で展開する少年たちと地質調査に来ている人たちとの交錯が今一つまとまってこないので、結局、非常に不確かな作品のようにしか見えなかった。

 

「アダマン号に乗って」

ベルリン映画祭金熊賞受賞作品ということなので、ドキュメンタリーは見ないのですが見に行きました。セーヌ川に浮かぶアダマン号というデイケアセンターを描いた作品で、船の特異な姿を効果的に捉えたカメラアングルと、ゆっくりと船窓が開く絵画的な効果、機関銃のように自分の思いを語る精神疾患の患者たち、ピアノやギターを奏でる姿を捉えていく面白さは映画として楽しめました。監督はニコラ・フィリベール

 

一人の男性が延々と歌を歌っているシーンが終わるとタイトル、そしてセーヌ川に浮かぶ木造船アダマン号が捉えられる。精神疾患のある人々を迎え入れているデイケアセンターで、時間と空間を提供して彼らの支えとなるべく文化活動をしている姿を捉えていく。絵画や音楽、詩など、自らの表現する患者たちの姿を淡々と描き、アダマン号の船窓がゆっくりと開く様は映像的にとっても美しい。ラスト、雪景色の中でのアダマン号の姿で映画が幕を閉じる様は、時間がゆっくりと流れていくのを感じさせてくれました。