宗教を背景にしたドラマは、なかなか入りにくくて、今回の作品も、ただひたすら鬱陶しく感じてしまった。物語の展開に波が弱かったというのもあると思う。ロニートとエスティの二人のドラマが描き切れていなかったという感じでした。監督はセバスティアン・レリオ。
イギリスの正統派のユダヤコミュニティ、ひとりの老ラビが説教の途中で突然倒れそのまま死んでしまうところから映画は始まる。ひとりの女性ロニートがニューヨークから駆けつける。彼女は亡くなったラビの一人娘だが、コミュニティにいた頃、エスティという女性と同性愛関係になり、町を出ていた。
街の人々から白い目で見られる中、ロニートは、エスティの家に泊まることになる。エスティは幼馴染のドヴィッドと結婚していた。しかし、エスティはロニートの姿を見た途端に過去が蘇り感情を抑えられなくなっていく。しかし一方で厳格なコミュニティの掟に束縛されていた。
最後の別れの追悼式が近づく中、エスティはロニートにのめり込んでいき、とうとう、ロニートが急遽ニューヨークへ帰る日、姿をくらます。そして、戻ったロニートとドヴィッドの前に現れた彼女は、妊娠したことを告げ、自由にしてほしいとドヴィッドに懇願する。
やがて追悼式の日、後継者と指名されていたドヴィッドは辞退し、エスティに自由を与え、ロニートと三人抱き合う。ロニートはひとりニューヨークに帰る。空港への途中、父の墓を訪れて映画は終わる。
自分たちのために作ったはずの宗教が、いつのまにか自分たちを束縛してきたことに気がつく物語。作品の出来は並みという感じの映画でした。
「ガス人間第一号」
「ウルトラQ」の挿入曲としてテーマ曲が使われていることでも有名な東宝のカルトムービーの一本をついにスクリーンで見る。映画の出来不出来はともかく、くそまじめに作られた力強さに感動してしまう。なんといっても能の家元藤千代を演じた八千草薫の存在感に牽引される映画でした。監督は本多猪四郎。
ある銀行が、謎の強盗犯に襲われ金が奪われる。その犯人の車らしいのを追ってきた岡本警部補は、車が崖から落ち、犯人がいなくなった側にある能の家元の家が怪しいと考える。そこには美しい藤千代という能楽師がいたが、今や落ち目で、発表会もままならなくなっている。
ところが、なぜか金回りが良くなり、一方で、ガス人間だという男から発表会を邪魔すると大変なことになると警察に脅迫が来る。なんと、その男は、佐野博士という人に実験台にされ、自由にガス状の人間になる力を得ていた。
警察は、ガス人間を倒すべく、大ホールにガスを充満させて爆発させる作戦に出る。そのホールは藤千代最後の舞台だった。やがて舞台が始まり、いざスイッチを入れたが爆発しない。演目が終わり、藤千代は自分を愛して犯罪を犯してくれたガス人間と抱き合って起爆装置で大爆発してしまう。
とまあ、かなり強引な物語ですが、引き込まれるほどに面白い作品づくりではないのですが、楽しめます。八千草薫の舞台シーンが本物ゆえでしょうか。円谷英二の特撮も楽しめるカルトムービーのある意味名作ですね。
「ハチ公物語」(神山征二郎監督版)
ベタな人情ドラマですが、新藤兼人の脚本なので、物語の構成がいいバランスになっていて、退屈する時間がほとんどないのは見事なものです。素直に感動できる佳作でした。
秋田の雪深い一軒で秋田県が子犬を産み落とそうとしている。かねてから東京の大学教授上野秀次郎から頼まれていた役場の男が生まれた秋田犬を東京へ送るところから物語は始まる。
上野教授のもとにやってきた秋田県の子犬はハチと名付けられ、やがて大きくなって、教授を駅まで送り迎えするようになる。ところがある時、教授は学校で突然亡くなる。一人になった妻の静子は娘千鶴子の元へ行き、ハチは叔父の家に引き取られるが、事あるごとに逃げ出し駅や元の家にやってくるようになる。仕方なく、長屋の植木屋のところに引き取られるもその男も突然亡くなり、ハチは野良犬になる。
それでも毎日駅にやってくるハチを新聞社も取り上げる。その記事で静子もやってくるが引き取るわけにもいかず、ハチは静子の前から姿をくらましてしまう。それから時が経ち、ある冬の夜、ハチは渋谷駅前で息を引き取り映画は終わる。
今となっては懐かしいくらいの人の人情の暖かさをハチ公の犬の姿を借りて描く形になっている脚本が実に美しい。良質な作品という感じが素直に伝わる一本でした。