くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「帰れない山」「ウィ、シェフ!」「EOイーオー」

「帰れない山」

可もなく不可もない、スタンダード画面と押さえた色調で描く良質のヒューマンドラマですが、原作が膨大なのか、脚本にする段階で焦点が定められていないために、淡々と何もかもの物語が展開して行くだけにとどまったのはちょっと勿体無いです。いい映画なんですが、もう少し思い切るところは必要だったかもしれません。監督はフェリックス・バン・ヒュルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュ

 

1986年、山好きの父ジョバンニが手に入れた北イタリア、モンテ・ローザ山麓の家に12歳の主人公ピエトロがやってくるところから映画は始まる。もともと友達もいなかったピエトロだが、十人余りの過疎化したこの村に住む同じ年のブルーノという少年と知り合い友達になる。ブルーノの家は酪農家で、父は出稼ぎに行っていて叔父と叔母のもとで暮らしていた。

 

ジョバンニはピエトロとブルーノを連れて山登りをするようになる。ある時、氷河を目指して三人で登るが、ピエトロは体調を崩して、三人下山することになる。ピエトロとブルーノはお互いの少年時代を楽しむ。裕福ではなブルーノにジョバンニは援助を申し出、ブルーノはトリノの町の学校に行くことになるが、ブルーノの父親は勝手に出稼ぎの場所にブルーノを連れて行ってしまう。ピエトロはそれから次第に山から遠ざかるようになる。やがて思春期を迎えたピエトロは山好きな父に反抗するようになり、家を離れることになる。

 

やがて15年の歳月が流れ、父の死でモンテ・ローザ山麓に戻ってきたピエトロはブルーノと再会する。ブルーノはジョバンニと再三山に登っていたらしく、ジョバンニの生前の意思を継いで、山小屋を作る計画を話す。ピエトロとブルーノは手作りの小屋を完成させ、ピエトロはトリノの街の友人たちを招待したりする。ブルーノは父の牧場再建の夢を叶えるための行動をし始めるが、ピエトロは小屋を離れ、モンテ・ローザの山々を訪れ、そこにある父の日記を読む。そこにはピエトロとの思い出と、ピエトロがこの地を去ってから、ブルーノとの思い出が綴られていた。

 

ピエトロはさまざまな山地を渡り歩き、ネパールの地に定住することになる。そこでアズミという女性と知り合う。一方、ピエトロがかつて連れてきた若者たちの一人ラーラがブルーノを手伝い始め、やがてブルーノと結婚し、娘のアニータが生まれる。ピエトロは時々、小屋にやってきてはブルーノたちと交流する。

 

時が流れ、ブルーノの牧場は資金難に陥り、やがてラーラは娘を連れて実家に帰ってしまう。ピエトロはブルーノに手伝いを申し出るが、結局、山を離れられないブルーノはピエトロと口喧嘩し、ピエトロは小屋を後にする。やがてブルーノの牧場は差し押さえられ、ピエトロと作った小屋に一人住むようになる。

 

山を降りることを勧めるピエトロを追い返し、やがて冬がおとづれる。その冬は大雪で、ブルーノを心配したいとこが救助隊を要請し、ヘリコプターが雪に埋もれた小屋の穴を開けるが、ブルーノの姿はなく、付近にも見当たらなかった。そして雪解けの頃、ピエトロはネパールで、アズミと共に生活をしながら、ブルーノとの日々を回想していた。最初に登った高い山に戻ることはできないものだと考えながら。こうして映画は終わって行く。

 

ピエトロとブルーノの友情のドラマとして焦点を絞って描けばもっと心に訴えるものがあったように思うが、ラーラやアズミら女性とのドラマ、さらにピエトロがネパールに移り住んだ心の動きも描写しきれていない。ブルーノとジョバンニの交流のドラマやジョバンニの心の物語ももっとしっかり描けていればさらに深いものになった気がしますが、これだけの尺では難しいでしょう。あれもこれもと盛り込んだ結果映画全体がダイジェスト版のように仕上がった感じでした。

 

「ウィ、シェフ!」

軽快なテンポで進むストーリーが心地よい作品で、その分映画に厚みがなくなり、メッセージに強烈な訴えかけは弱くなったかもしれないが、こういう映画が少なくなった中では、ちょっとしたエンタメだったのではないかと思います。監督はルイ=ジュリアン・プティ

 

有名レストランに勤める主人公カティの仕事ぶりから映画がは幕を開ける。しかし、ここのシェフはテレビカメラやマスコミでも有名なシェフではあるものの、今は自分のレストランの宣伝しか興味がなく、カティの作った料理にも勝手な指示をする。それをカティがこっそり自分流に戻したため、撮影の後、オーナーらに呼ばれる。その場で啖呵を切ってやめたカティは、次の仕事先を探し始めるが、一向に進まない。女優志望のファトゥの協力もあり、なんとか見つけたところは、移民を管理している施設の厨房の仕事だった。

 

厨房は荒れ放題だったが、カティは一人で立て直しにかかる。そして、施設の移民たちに料理を教え、厨房の機能を回復させて行く中で、移民たちとの交流、成人になったら強制送還されるのでそれまでに、学校へ入学させる等の苦心を感じ始める。親しくなった移民の一人が骨年齢の検査で成人と判断され強制送還されるにあたり、施設の長ロレンゾ、世話人のサビーヌらとある作戦を思いつく。そして、かねてから出演を望まれていた「ザ・コック」に出演することを決める。

 

カティは順調に勝ち進み、最後に残った三人は好みの店を見つけてそこで客をもてなす勝負をしなければならない。そして本番の夜、カティの店にキャスターらがやってくると、店の扉が開かない。無理やり開けて中にカメラが入ると、なんと、移民のための料理コース設定の要望のビラや、強制送還された移民の写真などが張り巡らされていた。しかも厨房には施設のメンバーがそれぞれ故郷の料理を作っていた。生放送で、中止もできないまま放送が続けられ、カティらの作戦は大成功する。そして、施設のメンバーらがその後どうなっていったかを料理コースができた学校の廊下に飾られた写真で語られ、映画は終わって行く。

 

この手のドラマにありがちな、途中のさまざまな困難はそっちのけで、とんとん拍子に前向きに物語が展開して行く。そして、あまりに出来上がりすぎたストーリーの先に、メッセージを鮮やかに描いたエンディングはある意味爽快でさえあります。決して出来のいい映画ではないかもしれませんが、こういう肩の凝らない軽いタッチの語りの映画があってもいいのではないかと思います。

 

「EOイーオー」

美しい。本当に美しい映像詩でした。それぞれのエピソードや場面に具体的な解釈を求めるのではなくて、画面に映された映像を感じ取って、メッセージを心に思い浮かべて行く作品で、シュールな映画かといえばそれとは少しニュアンスが違います。究極の映像表現を駆使して描く動物への温かい愛情、人間のおかしさ、そんな作品でした。監督はイエジー・スコルモフスキ。さすがの映像感性です。

 

真っ赤なライティングが点滅する中、サーカスの舞台上、少女カサンドラと相方のロバEOとのショーが佳境を迎えている場面から映画は幕を開ける。大喝采の後ショーが終わるが、翌日、座長とEOはゴミを運ぶための荷車を引っ張っている。山と積まれたゴミ置き場を歩くEOとその荷車にゴミをつかむクレーンのシルエットが被る。そして、そこには動物愛護協会の団体らしき人たちがサーカスでの動物虐待に反対を訴えている。その中をEO達が進んでいくと、突然やってきた役人が、サーカスは破産したから動物は全て引き渡せと言ってEOだけでなくサーカスの動物は没収される。

 

輸送列車の中、EOの背後の窓の外には美しい馬が疾走している。EOは連れていかれたところで馬達に餌を運ぶ荷車を引かされるが、馬達は洗ってもらったりして大事にされるがロバのEOは蔑まれている。厩舎を抜け出す機会があり、EOはまたさすらいに旅に出る。途中草サッカーの試合の場に遭遇し、PKシュートの場で思わず声を出してシュートを失敗させるが、勝った方は大歓声で勝利のロバだとEOを連れて打ち上げの場に行く。

 

騒ぎの中、EOは付き合いきれず、一匹で店の外に出るが、直後、負けた方のチームが店に襲い掛かり、EOも棒で殴られて重傷を負う。EOはなぜかロボットの姿になり、走り抜けて目が覚めると動物病院で手当を受けていた。そこから馬と一緒に売られてしまったEOは、長距離トラックで移動する。ところが、トラックがドライブインで休息している時にドライバーが何者かに喉を切られ死んでしまう。警察沙汰になりドタバタしている中、EOは一匹で佇んでいたが、通りかかったイタリア人司祭と一緒に司祭に家に一緒に行くことになる。

 

司祭の家には伯爵夫人がいて、どうやらこの司祭が博打で財産を無くしてしまい家を出ていたらしく、伯爵夫人は義母なのかどうか、司祭はなじられてしまう。外にいたEOがふと門を見るとゆっくりと門が開く。EOは門の外に出る。そして、いつのまにか牛が追われておる中に紛れ込んでしまい、追われるままに建物に追い立てられ、暗転と同時に斬首された音がして映画は終わる。

 

とにかく画面が抜群に美しく、そんな映像詩の中で描かれる人間社会の温かさと不条理さ、残酷さを交えたおかしさ満載の映画は、無駄な解釈を排除した一本の芸術作品を見ている私たちに提供してくれます。うまく感想は書けないけれど、見ればわかる、そんな作品でした。