くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「フェリシーと夢のトウシューズ」「夜明けのうた」「執炎」

kurawan2017-08-15

「フェリシーと夢のトウシューズ
やっぱりアニメはディズニーでないと夢は見られないですね。とにかく、ストーリーの配分が良くないし、見せるところが見せ場になっていないので、楽しめない。オペラ座の振付師が担当したという場面が本当に少ないし、主人公が夢を叶えるといううっとり感が今ひとつなのは残念でした。監督はエリック・サマー、エリック・ワリンという人です。

舞台は19世紀末、まだエッフェル塔も未完成で、自由の女神アメリカに渡っていないフランスパリ、バレエダンサーに憧れる主人公のフェリシーは孤児院施設を友達と脱走、パリへ向かう。

そこで知り合った女性の下働きを始めるが、たまたまオペラ座のバレエ学校の入学許可書が雇い主の娘にきたのをいいことにそれを使って学校へ潜り込む。この展開自体がまず夢がないですね。どこか俗っぽくスタートしてあとは例によって、それがバレてしまうけれど、バレエ学校の先生に認められ、一旦は追い出されるも再度戻って、初舞台踏んでエンディング。

いたるところにアニメらしいシーンを放り込んでいるにもかかわらず、どこかお話が大人向けで世間擦れしているのが、その度に夢を壊されるという感じです。夢物語なのに擦れているという中途半端が気になって仕方ない。

こうしてみると、本当にディズニー映画のうまさを実感してしまいます。それに、せっかくのバレエシーンもわずかだし、もったいないと言えば勿体無い映画でした。


「夜明けのうた」
蔵原惟繕監督作品ですが、ちょっとした出来上がりの素敵な映画でした。全体の物語の見せ方からラストの畳み掛けがとってもうまくいったという感じです。岸洋子さんの「夜明けのうた」をモチーフにした物語ですが、ギュッと凝縮されたテーマが一気に放出されるラストは見事です。

大人気のトップ女優緑川典子が仕事を次々とこなし、やっと終わったと思ったら夜明けというシーンから映画が始まる。豪華な外車を用意され意気揚々としている彼女に次のミュージカル舞台の台本「夜明けのうた」が渡される。

ホテルでは愛人が待っているが、そそくさと帰る。新車で出かけたものの、眠気で力尽きドライブインで帰る手段を考えているところへ、若いカップルが名乗りを上げて東京まで戻る典子。そして、自分の経歴をミュージカルにした「夜明けのうた」はでないとプロデューサーに宣言する。

物語はここから、その夜一晩の出来事を描いて行く。若いカップルの女性は間も無く失明する病気を抱えていて、何かの壁にぶつかりもがく典子は彼らのために、いろんな場所を連れ回し始める。そして若いカップルはやがて前を向いて進む決心をし、典子と別れる。

典子が自宅に戻ると、ホームパーティの残骸が散らばっている。典子は自ら片付け整理して、脚本家に電話をする。あの舞台に出たいと。脚本家は窓を開けて外を見なさいと言い、典子がカーテンを開けると、美しい夜明けと、国立競技場の屋根が見える。若いカップルは結婚を決めて田舎に帰るカットが挿入され、細かいシーンで最後を締めくくる。こういうエンディングは蔵原惟繕監督はうまいなと思う。いい映画でした。


「執炎」
これは素晴らしい名作、冒頭から引き込まれて画面から目を離せなかった。物語の展開、浅丘ルリ子扮する主人公の圧倒的な迫力、美しい画面作り、どれもが映画として迫ってきます。監督は蔵原惟繕です。

山陰の漁村、これから葬儀のような行事が行われようとしていて、山に住む村人と浜に住む村人が挨拶を交わし、やがて船に乗り込んで供養する場面から映画が始まる。かつてこの村で1組の夫婦が戦争によって引き裂かれ命を失ったことによる供養のような慰霊行事である。そして物語は当のきよのと拓治が出会う少年少女時代にさかのぼる。

やがて成人となった二人は、会うべくして再会し、二人は恋に落ちて行く。献身的に愛を与えるきよのとそれを受け止める拓治、村人達からも祝福されやがて二人は結婚する。しかし、すぐ目の前に大きな戦争が迫っていた。

間も無く、拓治は出征、愛するきよのは無事だけを祈るものの、根っからの堪え性のない精神の細さは逆に彼女を強くしていく。

程なくして拓治は戻るが足に重傷を負っていた。医師が足を切るというのを反対し、必死で看病し奇跡の回復をした拓治はきよのの希望で山奥の小屋に二人きりで暮らすようになる。やがて、拓治の足も完治し、幸せな暮らしが続くが戦局は混迷を極めて行く。

そして、再び赤紙が届き拓治は出征、狂ったように神社に祈るきよのはある夜、昏睡状態になりそのまま心神喪失となってしまう。そして、やがて、終戦の年の6月、拓治の戦死の訃報が届くが、きよのは認識することもできなかった。

しかし、終戦の日の盆踊りの夜、余部鉄橋をぼんやり歩いていたきよのは走ってくる汽車を避け、汽笛に耳をふさいだ途端、若き日、拓治と同じ行動をしたことを思い出し、意識が正常に戻る。そして家にかけ帰ると、そこには拓治の遺骨があった。

家族の心配の中、きよのは懐かしい小屋を訪れ自宅に戻ると、仏壇の前で髪を切り、そのままがけに出て身を投げる。

雪景色の村を真上から捉えるショットや、美しいススキの中の二人の抱擁のシーン、桜の枝の隙間から静かに捉える縁側のシーンなど実に美しいし、浅丘ルリ子伊丹一三の迫真の演技が素晴らしく、映画に物凄い迫力と執念に囚われた恋の物語を描いてくれる。

山の村人であるきよのと海の村人である拓治の存在感も非常に情緒的で美しく、脇で描かれる郵便配達の男達や、それぞれの家族、兄弟の描写、能の効果的な挿入など素晴らしい効果をもたらしている。何もかも完璧とは言えないまでも相当な完成度に日本映画の実力を見た気がしました。素晴らしかった。