くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「渇水」「パッション」(ゴダール監督版)

渇水

小説なら、それなりに引き込まれるのだろうが、映像になった時点で、あの脚本では弱いし、演出にも迫力がないためにラストのサプライズがインパクトを呼ばなかった気がします。平凡で稚拙なエピソードの羅列が終盤まで展開して、そのどれもに、観客に訴えて来るものがない陳腐さ、しかし、それを活かすバイタリティある演技演出が伴わないため、ダラダラ終盤までいく。そしてラストの主人公の行動、当然、そのあとはゆるくハッピーエンドは予測がつくがそこも普通。水というものを愛情や、人間の心の象徴として比喩させて、ともすると機械的で殺伐とした生き物になりかねない今の人間の生き方に問いかける。そんなささやかなメッセージがなんとも平凡な映像になった感じでした。監督は高橋正弥。

 

二人の少女が自転車でプールに行くべく楽しそうに走っている場面から映画は幕を開ける。しかし、取水制限で、プールは休業、仕方なく二人は水のないプールで泳ぐ真似をして遊ぶ。ここに水道局に勤める岩切と相棒の木田は、滞納が続く市民の家を周り最後の催促と、停水執行という事務を行なっている。二人は自分勝手な言い分で水道料を払わない市民に停水執行をし、次の家に向かう。

 

そこにいたのはマニキュアを塗っているいかにも派手な母親小出有希だった。停水執行を決断した岩切の前に、冒頭の二人の少女が帰って来る。どうやら有希の娘らしい。それを見た岩切は停水執行を一週間後に延ばす。

 

一週間後、小出の家に行った岩切は子供たち二人きりで、母親の姿がないところに出くわす。仕方なく停水執行しようとするが、まず貯めれるだけの水をバケツなどに入れ、妹は岩切に金魚鉢の水を変えてもらう。岩切達はアイスを買ってきて子供達と一緒に食べる。岩切は妻と別居していて、息子は妻のもとにいた。毎日一人で生活することに孤独を感じ始めていた。庭のひまわりを切って妻のところへ行った岩切は、息子を海に誘うが結局妻に断れら、一人妻の実家を後にする。帰り、川遊びをしている子供達を見て降りてみると滝壺に辿り着く。

 

小出有希は、夜、体を売って生計を立てていたが、年齢的に客も少なく、居酒屋で不貞腐れていたところ一人の男に声をかけられ親しくなる。この場面がいかにも安っぽい。後日、岩切達は小出有希が一人でいる姿を見つけるが、彼女は居酒屋で知り合った男と出ていくところであった。

 

その頃、木戸は恋人から妊娠を告げられていた。岩切との仕事の時、木戸から、昼食時に話したいことがあると言われるが、たまたまそのスーパーで小出の娘を見かける。岩切が注視していると、娘は万引きをしていた。岩切は慌てて金を払い、娘を車に乗せ、小出の家に向かう。そして勝手に開栓して水道を再開させ、金魚の水を換え、公園に行き、水栓を開いて水を撒き始める。岩切は駆けつけた水道局員に取り押さえられたが、空が曇り、雨が降り始める。

 

逮捕された岩切は退職願を書くことで釈放される。そして職場に行くと小出の娘が金魚を置いて行っていた。木戸とアイスを食べ、自宅に戻る。小出の娘達は施設に引き取られることになり、迎えを待っていると、外のプールで水が張られているのを目撃して、二人でプールサイドへ行き、そのままプールに飛び込む。岩切がベランダで一人タバコを吸っていると妻から電話が入り、出てみると、息子から海に行きたいと言ってきて、岩切の顔が緩んで映画は終わる。

 

ヘタをすると、水道局の人間が悪くて、支払いしない人間が善人であるかのようになるストーリーなので、そこをもう少し巧みに演出してほしかった。小出有希の娘二人、特に姉の方を掘り下げて描き出せばもっと深みが出たかもしれないし面白くなったかもしれない。門脇麦を途中で消してしまったのはもったいなかった気もします。ラストのサプライズがちょっと平凡すぎた。普通の映画という感じでした。

 

「パッション」

わからなかった。さすがにジャン=リュック・ゴダール監督、なんのことか不明の物語に終始混乱してしまうのですが、エンドクレジットになると、なぜか不思議な魅力を感じてしまって、またどこかで見ようかと思ってしまう。とはいえ、ついていけない映画でした。

 

空にロケットの軌跡を捉えるカメラから映画は幕を開ける。そしてポーランド人の映画監督ジェルシーらがスイスらしい風景の村で映画を撮っている。スタッフはヨーロッパ各地の混成で、彼らが撮っている「パッション」という映画はレンブラントドラクロアの名画を生きた人物で再現しようというものだった。しかし膨大な予算がかかり監督は光の具合が気に入らないなどとNGを連発していた。

 

プロデューサーのラズロは制作中止を宣言するが、それにジェルシーもならやめようとやり返しあう。時は1981年、ポーランドでは戒厳令が敷かれ冬の日が訪れる。イザベルは工場を首になり違約金を払わない工場長に抗議集会に来るように迫る。撮影隊が泊まっているホテルの女主人ハンナ、ハンナとジェルシーの関係を怪しむハンナの夫のミシェル。ハンナはジェルシーから映画出演を迫られ、ハンナは迷っている。様々なトラブルが繰り返され、撮影隊は決裂、ラズロはアメリカのMGMが制作に合意したからと、ハンナもイザベルもジェルシーも出発して映画は終わる。

 

なんともいえない混沌とした作品で、突然大きな音が挿入されたり、レンブラントの絵画の如き美しい撮影シーンが出てきたり、とにかく混乱してしまうのですが、唐突にエンディングを迎えると、なぜか面白かったなと思える。そんな映画だった。