「逃げきれた夢」
淡々とした長回しと、長台詞で、最初は面白い演出やなと見入っていたが、終盤近くになると、意味ありげなカットの切り返しを連続させながらの無言のシーンの場面などなどが、眠気を催してきた。一人の男の人生の、終盤に差し掛かっての人生を振り返ると共に、見つめ直そうとする前向きさから、そんなことは今更という開き直りのラストまで、面白い空気感がある映画ですが、ちょっとテンポが良くない気がする。監督は二ノ宮隆太郎。
ベッドで目覚めた末永周平が階下に降りていくと娘がスマホを触っているだけ。そして主人公末永周平が父の老人ホームを訪ねていく長回しから映画は始まる。延々と独り言のように父に語りかけ、周平はその場を後にする。定時制の高校の教頭をしている周平は、かつての教え子平賀南がバイトしている定食屋へ行き食事をするが、支払いをせずに帰ってしまう。追いかけてきた平賀に、一旦は金を出すが、自分は忘れていく病気だからと金を引っ込めて帰っていく。
学校では、気さくに生徒達に話しかけ慕われている風である。先生達ともうまくやっているようである。その朝、周平は学校を休んで旧友の石田のところへ行く。そして、夜飲みに行こうと約束をして、馴染みの店に出かける。その帰り、どこか様子がおかしいと石田に詰められるが、周平はさりげなく交わしてしまう。
翌日、平賀の定食屋に行くが、昨日の詫びを入れて、支払いを立て替えてくれた平賀に、今度礼をするというが、平賀が連絡先を交換しようとしたら困った顔で答える周平だった。これまで学校でも生徒達に適当な態度で接してきた自分が思い出されてきた周平は、彰子に迫ってみたり、由真にあれこれ聞いてみたりして、やり直そうとするが、結局変わることはなかった。周平は学校を辞めることにして家族に話すも、すんなりと受け入れられるだけだった。
周平は平賀に礼をするべく自分の若い頃に立ち回った先を連れ回した末、喫茶店に入る。そこで平賀は、今の仕事を辞めて中洲で高収入の仕事に変わると告げる。なんの仕事かわかるかと聞かれた周平は答えず、好きに生きたら良いと言うが、それは適当な返事なんじゃないかと言われる。店を出て、周平は、好きなことをして生きていけば良いのではないかと平賀に話す。それは自分に言い聞かせたことでもあるのかもしれない。平賀は去っていく周平を捉える場面で映画は終わる。
淡々と繰り返す会話の応酬と、時折周平の長台詞でひたすら場面を繋いでいく。学校でのさまざまなが、実は過去の話なのではないかとさえ思わせる平賀との会話、家族との会話。医師と話すシーンもあることから病気は本当なのだろうが、周囲の人たちに決して明かさず、適当な日々を送っていく主人公の淡々とした佇まいがなんとも不可思議な空気を生んでいく。比較は正しいかどうかわからないが小津安二郎の淡々としたリズム感にスタイルは似ているが、この退屈さはなんだろうと言うほどなぜかしつこい。静止場面の長さが微妙に狂っているのか、何が原因か分かりづらいけれど、面白い演出のみが前面に出た映画だったように思います。
「Rodeo ロデオ」
カンヌ映画祭この映画のために賞を作ったと言われる作品で、期待に膨らんで見たが、少々脚本が荒っぽいが、なるほど傑作だった。手持ちカメラでグイグイと主人公を捉える部分と、バイクを捕らえる疾走感あふれる固定カメラによる移動撮影に引き込まれていく。さらにシュールなラストシーンに魅せられる。エピローグは若干ありきたりと言えなくもないけれど、主人公が燃え尽きていく展開が見事。躍動感とバイタリティそしてやるせない青春のワンシーンが素晴らしい一本でした。監督はローラ・キボロン。
罵声を浴びせながら狭い廊下を飛び出して来る主人公ジュリア、彼女を止めようと男達が立ちはだかるが、ものともせずに非常階段を駆け降りて戸外に出る。このファーストシーンから呆気に取られる。どう見てもわがまま放題で、しかも美人でもなんでもない女は、外に出た途端、知り合いらしいトラックの運転手に無理やり乗り込んで、ある場所へ向かわせる。バイクが盗まれたと叫びながら。
次の場面で、自分のポシェットに石ころを詰め込んでいる。そしてフリマサイトでのバイクの取引だろうか、持ってきたバイクを試乗したいと言って、ポシェットを人質にして相手に預けてバイクに乗りそのまま盗んで走り去る。クソな女やと思っていたらさらにジュリアのクソ加減が出てくる。ヘルメットも被らずウィリー走行を楽しむクロスビトゥームというバイク集団が遊んでいる場所に行き、ガソリンを分けてくれと言って回る。なんとも自分勝手な女だが、一人の若者カイスがガソリンを分けてやる。しかし、トロトロ運転で走るジュリアに、ウィリーを楽しむ男達が罵声を浴びせる。この場面がまず素晴らしく、工夫されたカメラ映像とスタントシーンに引き込まれます。このバイク集団にとって女であることが邪魔なだけなのだ。
そんな中一人の黒人青年アブラが近づいてきてジュリアにバイクの乗り方を教える。教えられた通り練習するジュリアだが、サツが来たと言う声で、その場が一瞬で修羅場の如きに変わり、メンバー達は各々逃げ始める。発煙筒を焚いて視界を乱したこともあり、事故が次々と起こり、アブラも巻き込まれて事故を起こす。ジュリアには医療の知識があるのか、アブラに駆け寄り、安静と救急車が必要と叫ぶが相手にしてもらえない。もう一人、足に怪我を負ったマネルの応急処置をするが、女であることに罵倒されるだけだった。
ジュリアのバイクはこのどさくさで盗まれ逃げ遅れるところを、カイスのトラックに助けられ、メンバー達の工場に連れて行かれる。どうやら、仕入れたバイクにナンバーを付け替えて売り飛ばす場所らしく、オーナーのドミノは今刑務所で、彼の指示でカイス達が動いているのだった。
カイスの推薦で、ジュリアのバイク窃盗の手際を気に入ったドミノはここに寝泊まりさせることを許す。一方アブラは昏睡状態だったが結局死んでしまい、アブラが担当していた、ドミノの妻オフェリーの買い物の仕事をジュリアが受け持つことになる。オフェリーにはドミノとの間にキリアンという子供がいたが、外出をドミノに制限されていたオフェリーは子育てでストレスが溜まっていた。
ジュリアは、次々と鮮やかにバイクを盗み、ドミノにも気に入られていたが、女を認めないマネルは気に入らなかった。ジュリアが買い物をオフェリーの家に運んでいる時、背後から何者かに襲われるが、マネルの仕業だろうとジュリアは考える。現金も持たせてもらえないオフェリーとキリアンのために、ジュリアは二人をバイクで連れ出し、ボートなどの廃工場へ連れて行って遊ばせるが、そのことを知ったドミノはオフェリーらに外出を禁じる。
実はジュリアにはある計画があった。バイクを運ぶトラックを走りながら中にバイクを盗むというもので、ドミノも気に入り、計画を進めることになる。カイスは密かにジュリアに惹かれるものの、ジュリアはその気は全くなく、稼いだ金は自分のバイクのタンクに隠していたが、何に使う当ても来なかった。
やがて、計画実行に夜、ジュリアに脅しにメールが入る。そんな中、強奪計画が決行されるが、後ろからトラックに乗り込んだジュリアに、メンバーの一人が襲いかかる。なんとかふりほどきバイクに乗ったジュリアは夜の街を疾走するが、待ち合わせ場所に来ないジュリアを心配してカイスがバイクで探しにいく。そしてジュリアの後ろ姿を見つける。
ジュリアは兼ねてから彼女を狙っていたマネルを蹴り飛ばし、一人疾走していた。カイスがその後を追っていくと、ジュリアの体は燃え始め、やがてバイクも転倒して燃え尽きる。カイスの目の前で、ジュリアの体は何やら影のようなものに変わり、闇に消えていく。カットが変わるとバイクのおもちゃで遊ぶキリアンが座席を開けると、中に、ジュリアがバイクのタンクに隠していた金を見つける。キリアンがオフェリーにそれを見せて映画は終わる。
バイクシーンの疾走感が素晴らしいのですが、前半、ジュリアを追いかける手持ちカメラの躍動感も半端ではない。次第に、物語にメッセージが垣間見えてくると、カメラは定点撮影に変わり、ラストのシュールなエンディングで閉じられる。アブラの亡霊がジュリアの夢の中に何度も出る場面に深い意味も、宗教的なニュアンスもあるのかもしれないが、そこは理解しきれなかった。ジュリアがなぜ医療知識があるのか、家族の背景はどうなっているのかと言うあえて描写しない部分が、かえって映画のメッセージをストレートに訴えて来る気がして、その作劇のうまさに感心してしまう。見事な映画でした。