くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「セフレの品格(プライド) 決意」「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」

「セフレの品格 決意」

前編のちょっと癖のある物語から、一転して純粋な恋愛ドラマになった感じはしますが、脇に入った高石あかり石橋侑大の存在が彩を与えて、面白い作品になった気がします。監督は城定秀夫。

 

一樹と抄子が蝋燭の明かりの元SEXしている場面から映画は幕を開ける。ある時、一樹は一人の17歳の少女咲の診察をし、中絶して欲しいと依頼される。未成年ゆえ、両親などの同意がいると説明するが、それなら闇医師に頼むという咲に、一樹は内緒で手術してやることにする。抄子がいつものように一樹に呼ばれて自宅に行ったがそこで咲と出会う。てっきり一樹の新しい女だと思った抄子だったが、一樹に説明され、一時自宅で保護しているのだと言われる。一樹に頼まれ母親のように抄子は咲に接し始めるが、咲は一樹のことが好きになっていた。

 

その頃、会社の同僚が書類をなくすミスを犯し、上司に責められているのを抄子が庇って、ゴミに捨てられたらしい書類をアルバイトの市原と探すことになる。以前から抄子を気にしていた市原は、お礼にボクシングのチケットを渡す。市原はプロボクサーだった。そして、試合の後、抄子を誘って市原は自分のジムに連れて行き、ボクササイズを指南、その帰り体を合わせる。しかし、抄子はあくまでセフレとして付き合うとキッパリと告げる。

 

SEXだけの付き合いを続ける市原と抄子だったが、市原には辛かった。一方、咲は、抄子に嫉妬し、昔の仲間に抄子を襲わせる。その言い訳に来た一樹は、咲が虐待を受けている事、咲からの謝罪を待ってやってほしいと頼む。その態度に不満げな抄子に一樹はセフレ関係を解消しようと去っていく。抄子はいつの間にか一樹にセフレ以上の感情が芽生えていた。その辛さを市原とのSEXで紛らわせる。

 

しばらくして、一樹が咲と入籍したと知らされる。複雑な思いの抄子だが、ある日自宅前で咲と出会う。彼女は以前のことを必死で謝る。そして、自分は一樹の娘として入籍したこと、一樹が以前の両親との縁を切ってくれたこと、大検を受けられるように勉強も教えてくれたことなどを告げる。

 

抄子がいつものように市原のアパートでSEXしていると一樹から連絡が入る。咲の18歳の誕生日に来て欲しいという。たまたまそばで聞いていた市原も、気になるなら来ればいいと一樹は告げる。

 

誕生パーティの日、抄子、市原、一樹、咲の四人で食事を始めるが、咲はこれまでのことを謝り、一樹や抄子、市原にこれからは以前のように思うように生きて欲しいという。市原は抄子への思いは諦めきれないので、次の試合で勝ったら抄子にプロポーズすると宣言し、一樹たちを試合に招待する。市原は、とても勝てない上位ランクの相手に勝つつもりで必死に練習し、いいところまで頑張ったが、結局タオルを投げられ負けてしまう。

 

病院のベッドに眠る市原の傍に抄子がいた。抄子は帰りに一樹の車の中で次の同窓会のことを話す。市原は退院したが、咲が出迎え、一緒にご飯を食べにいく。同窓会の日、抄子は以前と同じシチュエーションで、娘に服を借り、会場で一樹と酒を飲み、抄子は一樹をホテルに誘って映画は終わる。

 

傍に配置した若い少年少女の存在が、一樹と抄子の大人の世界を引き立たせる役割を果たし、映画全体が少し深みが出て面白かった。一方で、セフレという言葉の面白さが薄められて、普通の恋愛劇部分が表に出た気がしないでもない作品でした。

 

「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」

これはなかなかの秀作だった。描きたいメッセージがくっきりと見えているのはやはり、制作された1972年の時代背景ゆえかもしれないが、女性を愛するということがまだ特異な頃だったために、物語が明確になった感じです。先日のリメイク版は。すでにゲイやレズが社会に一般化してしまっているために、この物語の魅力がぼやけたのかもしれない。ファスビンダー美学と音楽センスが貫かれた演出も素晴らしい。とは言っても、室内から全く出ない舞台形式の会話劇なので、ちょっとしんどいというのも正直なところです。監督はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

 

ファッションデザイナーのペトラがベッドで目覚める。壁には巨大な宗教画が架けられていて、あちこちに裸のトルソーが置かれている。助手のマレーネがペトラの指示でタイプライターを打っている。ある時、友人のシドニーが一人のかわいらしい女性カーリンを連れて来る。一目でカーリンに惹かれたペトラは、彼女を住まわせ、何かにつけバックアップするようになる。しばらくして、カーリンはトップモデルになり、いつの間にかベタベタして来るペトラを見下げるように自由奔放に振る舞うようになる。そしてペトラを怒らせるように、深夜黒人とSEXしたなどと平気で話すようになる。嫉妬に狂うペトラは、ついカーリンを罵倒したりするが次の瞬間には愛していると呟いていた。

 

ある朝、カーリンに一本の電話が入る。それは夫フレディがチューリッヒからフランクフルトに来るという連絡だった。カーリンはソワソワし始め、ペトラにフランクフルトまでの航空券を取らせ、ペトラが押し留めようとするのをふりほどき、さらに小遣いまで要求して部屋を出ていってしまう。その際、ペトラはカーリンに唾を吐きかける。それからのペトラはアルコールに溺れ、仕事もままならない状態になる。

 

ペトラの誕生日に、娘のガビや母、シドニーもお祝いに駆けつけるが、ペトラの頭にはカーリンしかなかった。自分を利用するだけ利用して出て行ったカーリンを罵倒し、ペトラに近づく人たちは皆自分を利用するだけだと罵り、ガビにも冷たい態度をとってショックを与える。シドニーは誕生日プレゼントに女の子の人形を持って来るが、結局ペトラに罵倒され帰ってしまう。

 

深夜、睡眠薬で落ち着いたペトラの傍らには母がいた。そこへカーリンから電話が入るが、ペトラは冷静に対応し、これからパリに行くというカーリンを祝福してやる。母も帰り、ペトラはマレーネに、これから本当のパートナーになりましょうと柔らかい声で伝えるが、マレーネは荷物をまとめ、シドニーが持ってきた人形を抱いて出て行こうとして暗転、映画は終わる。

 

まさに舞台劇の様相の作品ですが、時折挿入される音楽の効果、背景の巨大な絵画やトルソーの配置などが芸術的に素晴らしい。前半の延々とした会話劇は流石に映画として見ているとしんどいけれども、ラストシーンの後、映像美学に感動してしまう。女の子を愛したというペトラに母が若干のショックを受けるが、この物語の本来の主題もそこにあるかもしれない。故に、フランソワ・オゾン版のリメイクでは、女性同士ではなく男性同士のゲイの映画に置き換えたとしても、今や同性愛に目新しさがないためにぼやけた感じがしたのだろう。なかなか面白い映画でした。