くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「TAR ター」

「TAR ター」

クオリティの高い作品でした。全編、音が迫ってくる重圧感に息苦しくなる感覚を味わう映画で、セリフさえも音にしか聞こえず、いつの間にか主人公の周りの存在さえもが音の化身であるかのような錯覚に陥ってしまう。主人公リディア・ターの心象風景が画面に展開していくある意味恐怖の塊のような作品。ケイト・ブランシェットの狂演とも言える映画だった。特に後半はヴィスコンティの「ベニスに死す」の如し恐怖感だった。とはいえ、どの段階で締めくくるかという部分で傑作となるか、今一歩となるかの境目が見えた映画でもありました。作品としてはかなり上質の一本です。監督はトッド・フィールド。

 

プライベートジェットで居眠りをするがリディア・ター、それをスマホで撮影し、中傷する文章を打ち込んでいる画面が被さる。終盤でわかるがこのスマホはオルガのものである。そして暗い画面に民族音楽が流れ、延々とクレジットが映されていく。そして場面が変わると主人公リディア・ターがテレビの公開インタビューだろうかステージで司会者と話をする。司会者がリディアのこれまでの偉業を淡々と、しかも延々と語っていく長台詞。ここで、リディア・ターの音楽に対する考え方が事細かに語られ、それが全編にわたって意味をなしてくる。

 

カットが変わるとリディアが恩師アンドリスとカフェにいて、ここでも延々と長台詞でリディアのこれまでの成功談が語られる。このオープニングにさすがに参るが、ここまででまず一定レベル以下の観客を排除したのではないかと思う。それなりに鑑賞眼のある観客はこの後圧倒的な画面に釘付けになる。

 

天才的な能力とたぐいまれなプロデュース力でドイツのベルリンオーケストラの主席指揮者として活躍するリディアの姿。しかし彼女にはパートナーのシャロンがいる。公に誰もが知るレズビアンである。二人の間にペトラという幼い女の子がいて、ペトラはシャロンの実子で、シャロンはカミングアウトしてリディアと暮らしている。シャロンはベルリンオーケストラでは第一バイオリンである。リディアはペトラが学校でいじめられたと聞くと、ペトラの父親だと言っていじめた子に脅しをかけたりする。

 

リディアは、間も無く予定されているライブ録音でマーラー交響曲5番をする一方、新曲の創作も進めていた。マーラーの曲をこれまで八曲演奏してきたが、一つのオーケストラで全てを演奏した指揮者はいなかった。リディアにとって偉業まであとは5番を残すのみだった。しかし楽団員の稽古も思うように進まず、新曲も前に進んでいなかった。

 

仕事場ではチャイムの音にさえも敏感になり、家では深夜メトロノームに起こされ、冷蔵庫の音にさえも敏感になったりする。仕事場の部屋の向かいの老婦人に苦情を言われ、それさえも彼女を苛立たせた。

 

リディアは、オーケストラの中では絶対権力者の地位を持ち、長年の功労者でもある副指揮者のセバスチャンを追い出したりする。さらに、かつて指導したクリスタが自殺してしまう事件が起こる。ネットに悪意の噂が流れ、リディアがクリスタに性的行動を強要したなどと騒がれ、クリスタの両親はリディアを告発する。

 

リディアは、楽団員の囁き声さえもリディアを非難しているかのように聞こえ、リディアが講師を務めるジュリアード音楽院で学生のマックスに差別的な指導をしたというフェイク動画さえ流れる。フェイク動画はオルガが撮影したように思われるし、クリスタの件が炎上してきたのも裏にオルガがいたようにも思える。

 

リディアは次第に周囲の人間からも疎まれるようになり、秘書のフランチェスカもある日突然愛想をつかし出ていってしまう。さらにフランチェスカがクリスタとリディアのメールのやり取りを公開したためにさらにリディアは追い詰められていく。リディアはチェロ奏者を新たに雇い入れることにし、オーディションをして選んだのは、楽団員ではないオルガという女性だった。オルガは貧しい家庭らしく、スラム街のようなところに住んでいた。リディアはオルガに惹かれるようになり、シャロンは不安になっていく。

 

リディアはオルガが車に忘れたぬいぐるみを届けにオルガの入って行った貧民街へ紛れ込み、男の影のようなものに追われて転倒し顔に怪我をしたりする。やがてシャロンだけでなくスポンサーにも見放され、とうとう主任指揮者の地位を追われてしまう。さらにシャロンからは唯一の拠り所ペトラさえもリディアから引き離されてしまう。

 

そして迎えたライブ録音の演奏会。大勢の観客の前で、リディアは後任の指揮者に暴力を振るい退場させられてしまう。リディアはフィリピンに行き、一からやり直そうと考えます。迎えられたオーケストラで新たな旅立ちとして指揮をすることになる。大阪から来る作曲家が来れなくなったとのことでリハを進める。

 

演奏の日、楽屋ではリディアの前の鏡が向かい合わせになっていてリディアの姿は永遠の彼方まで映し出される。ステージに向かう途中にはドアの枠が重なっている。そして指揮台に立つリディアにヘッドフォンが手渡され、それをつけると目の前にスクリーンが降りてきてモンスターハンターの口上が流れる。客席には様々なモンハンのコスチュームを着た観客が舞台上のリディアを見つめている。暗転して、ハイテンポな民族音楽が流れてエンドクレジット。

 

とにかく映画全体が狂気のような重圧感で包まれている。息つく暇もない息苦しさのままラストまで引き込まれる作品で、リディアが楽団員に指示するドイツ語には字幕もつかず、言葉さえもリディアにとっては音符の一つなのではないかとさえ思ってしまう。ヴィスコンティというセリフが聞き取れたことから、明らかに「ベニスの死す」を意識した演出も見られます。全体が一人の天才指揮者の追い詰められる苦悩、そして頂点まで上り詰めた音楽家を追い落とそうと野心に燃える若き天才オルガの姿を映像化した感じの作品でした。見事です。