くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「知と愛の出発」「最後の人」(F・W・ムルナウ版)

「知と愛の出発」

1958年という製作年の世の中の考え方が顕著に描かれている作品で、学歴至上主義、家柄の考え方、男尊女卑、女性の貞操、輸血の考え方などなど、流石に今見ると考えられないくらい極端に描かれています。にも関わらず女性同士の同性愛を仄めかすシーンなどもあるチグハグさもあります。さらに、登場人物やストーリー展開が上滑りで中身がないのが目につく作品でした。監督は斎藤武市

 

諏訪湖畔、高校生の綾部桃子と親友で河野医院の娘恵美が横たわっている。恵美が綾子にキスを迫り、綾子が振り解いたことで恵美が気を悪くして一人ボートで帰ってしまう。困った綾子はボートで来ていた南条靖に助けを求める。実は南条と綾子は密かな恋仲だった。そんな二人を見た恵美はさらに嫉妬する。

 

靖の父は息子は東大法学部に行くことを望み、勉強以外を認めていなかった。一方、綾子の父は教師で、親戚に相続した山林を取られ、綾子に進学を諦めるように進める。恵美の病院には三樹という若いプレイボーイの医師がいて恵美に言い寄っていた。ある夜、綾子と親友の洋子がバイトの帰り道、町から来た青年にナンパされ、洋子はレイプされ、その後恵美の病院で自殺する。その頃、綾子は盲腸になり、輸血を拒否するが靖の血液を輸血されたのを知らないまま汚れたと悩む。

 

退院後も靖と会いづらくなった綾子はつい三樹の誘惑に乗せられてしまうが、それを見た恵美は靖に報告、それらが先日のレイプ事件共々スキャンダルになる。そんな状況で綾子の父も恵美の父も娘や息子を信じなくなる上に三樹は信頼するという流れになってしまう。綾子はのちに輸血されたのは靖の血液だとわかり、なんとか誤解を解こうと会うべく連絡をするが、靖の父も妹も取り合わない。

 

なんとか靖を捕まえた綾子がこれまでの非を詫びるが信じてもらえない。極まった綾子は死ぬことで身の潔白を照明しようとするが、改心した靖は綾子を山に誘う。その頃、三樹の件で取材が河野医院に来ていたが、恵美の父は三樹と妻の不倫現場を目撃、一転して自分の非を痛感する。死ぬために山へ向かった綾子と靖だが、山頂で雄大な景色を見て考えが変わり、前向きに生きる決意をして映画は終わる。

 

あれよあれよと上滑りに展開するドラマがなんとも安っぽく、いくら時代が65年前とはいえ、さすがに古臭かったのではないかと思える。作品の出来栄えも並レベルだし、正直大した映画ではなかった気がします。

 

「最後の人」

鳥飼りょうのピアノ演奏によるサイレント映画イベントで見る。正直、恐ろしいほどの傑作だった。空間の使い方、カメラワークの素晴らしさ、構図の完璧さ、この時代にこんな映像を見せられたら、当時の映画人は度肝を抜かれただろうと思う。サイレント映画ですが字幕はなくシンプルなストーリーを演技と演出だけで見せていく。その圧倒的な迫力に引き込まれてしまいます。素晴らしかった。監督はF・W・ムルナウ

 

一流ホテルのドアマンの主人公、立派な制服を着て髭を生やし堂々とした出立ちで客を捌いていく様から映画は幕を開ける。ホテルの中から遠景に見せるビル群の配置、雨の中通りすぎるたくさんの車の雑踏、次々と入れ替わる人々の流れ、そのすべての絵作りに圧倒される。荷物を運ぶポーターが来なくて仕方なく主人公は荷物を運んでやるが、さすがに老齢には堪える。その姿をホテルの支配人がチェックしていた。

 

家に帰ると、立派な制服の主人公に近所の人たちも羨望の目で見つめる。そんな姿に主人公もまんざらではない。このアパートの舞台美術が素晴らしく、窓という窓が立体的に配置されて、人々が顔を出す。主人公の家には階段を上がっていき、隣近所の人たちが出迎える。

 

翌日、いつものようにホテルに行った主人公は自分の居場所がなくなっていることに気がつく。支配人から、高齢による配置換えで、地下のトイレ担当に変わっていた。手洗いに来る客にタオルを渡してチップをもらい、床を掃除し、洗面台を拭く事になる。しかし、制服の仕事を忘れられない主人公は勝手に制服を持ち出して家に帰る。

 

この日は娘の結婚式で、散々飲んで、自分が軽々と荷物を持ち上げたりする夢を見たまま朝を迎える。いつものように制服を着て出かけるが、途中で駅の一時預かりに預けてホテルへ行く。昨夜の酒のせいか半ば居眠りしながらの仕事になり苦笑される。そんな主人公に近所の女の人が弁当を届けに行く。てっきりドアマンだと思っていたらそこにいたのは主人公ではなく、支配人にその男は地下にいると教えられる。

 

地下のトイレで仕事をする主人公を見た女は絶叫して家に戻り近所に触れ回る、そんな事とは知らず制服を着て家に帰るが誰も冷たく迎え、さらに娘夫婦にも冷たくあしらわれる。男は制服を持って夜のホテルに行き、同僚の警備員に制服を返す。

 

何もかも失った主人公は地下のトイレに行き椅子に座り目を閉じる。ここでテロップが流れ、映画はここで終わるはずだったが、ムルナウはさらにエピローグをつけたと語られる。

 

トイレで大富豪が亡くなり、最後に彼を見た男に全財産を譲ると遺言していた。そして主人公は大金持ちになる。ホテルで大盤振る舞いをする彼の姿、同僚の警備員にも食事を奢る。ホテルの従業員も周りの客も彼にヘイコラする。二人で一緒に馬車に乗り、大手を振ってホテルを後にして映画は終わる。

 

今ならなんのことはない俯瞰で大きくひいてみたり、窓ガラスの外から中に入り込んで行ったりするカメラワークの凄さに度肝を抜かれる。さらに主人公のアパートの空間設定や、ホテルのロビーから外を捉えるセットと雑踏の動きの凄さは今見ても圧巻に近い。さらに主人公の表現力のみでストーリーを見せる演出にも頭が下がります。まさにサイレント映画全盛期の傑作でした。何度も見たい映画です。