くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「サン・セバスチャンへ、ようこそ」「燈火(ネオン)は消えず」

サン・セバスチャンへ、ようこそ」

いつものウッディ・アレン監督らしい洒落っ気が少し弱い気がして、ちょっとファンとしては物足りなさの残る映画でしたが、散りばめられる名作映画の数々とセリフ、美しい色遣いの画面作りはさすがヴィットリオ・ストラーロのカメラ、やはり素敵です。

 

小説家のモートは妻スーに誘われてサン・セバスチャン映画祭に行くことになったと語っている場面から映画は幕を開ける。本人は映画祭に興味はないのだが、妻が映画監督のフィリップと浮気をしているのではないかと疑っていてそれが気になりついていくことになった。しかし、現地で、フィリップに会った途端、モートの話を聞こうともせずスーとフィリップは二人の世界で会話を始め、モートのクラシック映画論などどこ吹く風で無視される。

 

そんなモートは、夢で過去の名作映画の中に自分が登場する夢を見たり、現実で名作映画が目に前に広がる幻覚に囚われたりする。そんなモートは現地で友人のトマスと出会い、胸に微かな痛みを感じていたモートはトマスに推薦されて現地の医師ジョーの元へ赴く。男性だと思っていた医師は実は美しい人妻だった。モートは理由をつけてはジョーの診察してもらうようになり、一方でスーの行動について行きながら必ず現れるフィリップに辟易としていた。

 

モートがある日診察してもらっていると、ジョーの夫から電話が入る。スペイン語らしい激しい会話を聞きながらただならぬ雰囲気を感じたモートは電話の後、泣き崩れるジョーを酒に誘う。何気ない会話の後、車でデートすることになるが、途中車がパンクし、モートとジョーはジョーの自宅にやってくる。ところがそこにはジョーの夫で画家のパコがモデルとベッドインしている現場に遭遇する。激しく言い争った後、ジョーはそのモデルとモートを送り出してくれるが、モデルは、パコはジョーを愛していると一言告げる。

 

そんなモートはホテルに戻る。間も無く映画祭も終わりに近づいていた。そんな時スーはモートに別れようと告げる。モートは、夢で死神とチェスをするが死神は途中でゲームを残して消えてしまう。モートは一人飛行機に乗りニューヨークへ向かう。冒頭のシーンになり、モートの意味ありげな微笑みで映画は終わる。

 

画面はとってもファンタジックでおしゃれだし、クラシック映画を賞賛する主人公のセリフの中に、現代のさまざまを風刺する展開は流石にウッディ・アレン映画だと思わせるが、もう一歩、踏み込んだウィットが足りないのは物足りなさを感じてしまいました。「市民ケーン」「81/2」「男と女」「ペルソナ」「第七の封印」などなど、名作をパロディにして面白い映画ですが、最近のウッディ・アレン作品としては中レベルだった。 

 

「燈火(ネオン)は消えず」

落ち着いた良い映画なのですが、廃れていく香港ネオン文化の話なのか、最愛の夫を亡くした妻の再生の物語なのか、母と娘の物語なのか、そのどれもに力が均等に配分された演出で、全体がぼやけてしまった仕上りが勿体無い映画でした。ネオンを通じての様々なドラマも肝心の核の話に絡みきっていないし、ラストの処理もちょっとわかりずらいのも残念。でも香港ネオン芸術の存在が理解できたのは見た甲斐がありました。監督はアナスタシア・ツァン。

 

香港のネオン看板が九割無くなったというテロップから映画が幕を開ける。ゲームセンターでコイントスをする一人の婦人メイヒョンの姿から、その婦人が洗濯機で洗った衣類を出している。どうやら最近夫を亡くしたようで、その衣類を洗濯しているらしい。異音に気がついて、洗濯物の中からポケットに入った鍵を見つける。ビルのネオン工房という札のついた鍵を見つけたメイヒョンは、かつての夫の仕事場へ向かう。

 

鍵を開けて中に入ったメイヒョンは、奥の方で人の気配を感じて蝋燭の炎で近づくとなんと一人の青年が頭に袋を被って立っていた。後にわかるが、この時青年は自殺するつもりだったらしいが、原因がわからない。思わず声をかけるとその青年はレオと言ってビルの弟子なのだという。メイヒョンはレオから、亡きビルが最後のネオンを完成させると言っていたことを知る。一方、メイヒョンは香港を離れてオーストラリアに移住しようという娘チョイホンとは確執ができていた。チョイホンは建築設計の仕事をしていて職場のロイと結婚してオーストラリアにいく予定をしていた。

 

メイヒョンは、レオに工房を手伝わせて、夫の希望を叶えようと工房に入り浸るようになるが、そんな母にチョイホンは反発していく。物語は、ビルが最後に作ろうとしていたネオンがなんなのかを探す展開に、レオの取り組み、チョイホンの思惑が絡んでくるが、ネオン文化が廃れている現実、ビルとメイヒョンとの若き日の思い出などが絡んで、どれを描くのかわからないままあちこちに展開していく。

 

ビルの遺品の手紙に一人の女性宛の手紙を見つけ、ビルの携帯からその女性の連絡先を見つけたメイヒョンが会いにいくと、その女性はビルに、今は認知症になった夫と出会った時の目印のネオンをもう一度作って欲しいと依頼していたことを知る。一時はチョイホンに言われて工房を離れたレオは、メイヒョンの熱意に絆され戻ってきて、最後に作ろうとしていた看板ネオンを完成させようとする。そんな母にチョイホンも応援するようになり、かつてのビルの同僚らも巻き込み、資金はクラファンで調達して、ネオンは完成、完成したネオンの前で関係者が写真を撮る。まもなくしてオーストラリアに旅立つチョイホンの身支度を整えるメイヒョンの場面から、チョイホンの母への気持ちも素直になった言葉で映画は終わる。エンドクレジットで香港ネオン芸術を担っている職人や芸術家の様子を被せて映画は終わっていく。

 

結局何が物語の中心なのか見えづらい作品で、監督の熱い思いがどこにあるか掴めなかったものの、映画としては実に真面目な作品だった。