くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「罪と悪」「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」

「罪と悪」

思いの外めちゃくちゃ良かった。役者がどれも物凄くいいし、ストーリーの細かい場面が非常にしっかりと描かれているので、話が嘘くさくならない。それでいて、幼馴染同士の切ない過去とどうしようもない現在との交錯感が素晴らしくて、どんどん引き込まれのめり込んでしまいました。ラストの処理もあまりに現実的すぎるリアリティも上手い。良質のいい作品を見ました。監督は齊藤勇起。

 

幼なじみの中学生が自転車で疾走しているのを真上から捉える画面から映画は幕を開ける。正樹、春、晃、朔、直哉はいつも一緒に通学し、好きなサッカーに興じる日々だった。晃の父は地元の警察官で、頼り甲斐のある男だった。春の父親は暴力的で母も寄り付かず、そんな中でも友達同士労わりあう日々だった。そんなある日、正樹が河原で死体になって発見される。たまたま、春はその二日前に正樹とつるんでいて、正樹が春の家に忘れた財布を朔に届けるように学校でいう。

 

晃、朔、春は、正樹を殺したのは、河原のそばの空き地に住むおんさんという男だと推理し、三人でおんさんの小屋を訪ねる。おんさんは地元の中学生の間では、遊び相手でもあるがどこか変態めいたところがあることを知っていた。小屋に入った晃らはそこで、正樹のスパイクを発見、さらにそこに血がついているのを見つける。てっきりおんさんが犯人だと思った朔は、戻ってきたおんさんに殴りかかる。そして三人が揉み合う中、突然春がスコップでおんさんの頭を強打し、それが原因でおんさんは死んでしまう。春は朔と晃にこの場を去るように言い、小屋に火をつける。そしてタイトルの後二十年の時が流れる。

 

この日、少年たちがクラブで騒いでいるという情報で警察が店にやってくる。中に、今は刑事になった晃もいた。父が亡くなり、地元に戻ってきたのだ。未成年のような少年たちを尋問しているところへ、ベテラン刑事の佐藤がやってくる。彼は一人の少年小林を呼び出し、その場から逃してやる。その扱いに晃は不信感を持つが、他の刑事は関わらないように言う。

 

春は、この地で、行き場のない少年たちや、男たちを取りまとめて、ヤクザまがいの勢力を持っていた。そんな彼に、この日、地元ヤクザ白山会の清水組の組長が訪ねてくる。一人の少年を探してほしいと言う。春は情報だけ与えるからあとは勝手にしてくださいと仕事を引き受けるが、後日、清水たちが春のコンビニや重機置き場に嫌がらせに来る。情報はもらったものの全く捕まらないのだと言う。そして、春が小林を匿っているのではと疑ってのことだった。ところが、しばらくして、小林は二十年前正樹が殺されていた河原で同じ姿で死体で発見される。

 

晃は捜査する一方で、幼馴染の春、朔らに会いにいく。春は、自分が二十年前に捕まったあと、晃の父に世話になったと話す。晃の父はこの地の警察とヤクザらとをうまくまとめながら街を収めていた人物だったと言う。朔は引きこもりの弟直哉の世話をしながら農業をしていた。晃は朔の家を訪ね、懐かしい話をする一方、二十年前、春がみんな罪を被ったことを悔いていると話す。

 

春の手下は、清水組の機嫌をとるようなそぶりをしながら、一人づつ清水組の幹部を痛い目に合わせていく。どんどん、エスカレートしていく中、春は佐藤に相談する。佐藤は白山会の会長にわたりをつけ、春は白山会の会長宅に挨拶に行き、全てを収めていく約束をする。

その頃、晃は小林の遺留品に見慣れた財布を見つける。それは二十年前正樹が持っていたものだった。朔と直哉が怪しいと考えた晃は春と共に朔の家に行き、直哉が毒で死んでいるのを発見、そこで、小林を殺したであろう石を見つける。

 

この夜、春らが企画した夜店に三人は集まっていた。春と晃は、朔に、二十年前の真実を語り始めた。実は朔は、おんさんの小屋で正樹がおんさんにレイプされるのを目撃、さらに、おんさんの畏怖に動けなくなった朔もおんさんにレイプされた。この事件は二人だけの秘密にしようと決めたが、なぜか街の人の知ることになり、朔は正樹がバラしたのだろうと詰め寄る。そして、言い争いの際に突き飛ばされた正樹は石に頭を打って死んでしまう。

 

そこへ通りかかった直哉はそれを目撃し、朔は正樹を川に流した。二十年後、朔は全てを直哉のせいにする計画で、小林も殺した。しかし、全て推測だろうと朔は言い、この街を出ると言って二人の元をさる。春は晃に最期の別れを言って、何やら電話をしながら雑踏に消える。夜店の賑わいから出た朔は交差点を渡ろうとするが、暴走してきたトラックに跳ね飛ばされる。運転していたのは春が世話をしている少年だった。春は正樹と小林が死んだ河原に立っていた。こうして映画は終わる。

 

切なさと、どうしようもないしがらみ、人生の残酷さが滲み出てくるような作品で、高良健吾が抜群の存在感で全体をまとめるのと、脇役がしっかりとした演技で物語を語っていく演出が見事。良質の作品を見た満足感に浸れる映画でした。

 

「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」

想像以上に感動してしまいました。とってもクオリティの高い作品で、基本に忠実な画面作りとカメラが抜群に美しく、構図の取り方も丁寧で、画面が非常に大きく見える演出も上手い。さらに、脇役の存在感を丁寧に描いたことで、ともするとドロドロの宮廷劇と言う下世話な仕上がりになるのを、上品な作品に仕上げているのもいい。真摯な映画造りの跡がはっきり見えるいい映画でした。監督はマイウェン。

 

広い草原の一角、一人の少女ジャンヌが絵のモデルになっている場面から映画は幕を開ける。細かいカットを切り返して広いフランスの大地を描写しながら、ジャンヌが修道士と料理人の間に生まれた私生児で、世間から蔑まれる存在である説明が入る。母の雇人が立派な人で、ジャンヌを修道院に入れるように手配してくれる。やがてジャンヌは娘になるが、俗世間の本ばかり読むジャンヌは修道院を追い出される。

 

ジャンヌは、母の雇人の妻の嫉妬で盗人として追い出されるが、次々と裕福で地位のある男性と関係を持って高級娼婦として生業を送るようになる。そんな時、デュ・バリー伯爵の目に止まり、デュ・バリー伯爵に可愛がられるが、サロンで、王室に出入りするリシュリュー侯爵が、時の王ルイ15世の寝所に忍ばせる女性を探していて、ジャンヌに目をつける。

 

ルイ15世に引き合わされたジャンヌはルイ15世と瞬く間に恋に落ちる。まもなくして妃が亡くなり、ジャンヌはジャンヌ・デュ・バリー伯爵夫人として公妾としてルイ15世のそばに仕えるようになる。しかし、王の娘たちは素性のわからないジャンヌを冷たくあしらう。そんなジャンヌを支えるのは王の側近ラ・ボルドだった。ジャンヌはデュ・バリー伯爵の息子アドルフを可愛がり、やがて宮廷に迎える。

 

王太子が結婚することになり。オーストリアからマリー・アントワネットが迎えられる。しかし、ジャンヌはますます王の娘たちから蔑まれる。それでも王太子はジャンヌに優しかった。そんな時、アドルフが決闘で重傷を負った末、亡くなる。憔悴しきったジャンヌだが、ラ・ボルドらの懸命の行いとルイ15世の愛にとうとう元気を取り戻す。

 

マリー・アントワネットもとうとうジャンヌに声をかけて、身内であることを認める。しかし、ルイ15世天然痘の病に倒れる。そして、寿命を悟ったルイ15世は、神に最期の告白をするにあたり、不徳の象徴であるジャンヌを遠ざけることにする。ジャンヌは王の元を去るために荷造りをし、馬車に乗りかけるが、もう一度戻って来る。しかし王族らは病床の部屋に入れてくれない。しかし王太子が、ジャンヌを部屋に入れてやり、最期の別れをしたジャンヌは、馬車に乗ってベルサイユ宮殿を去る。

 

まもなくしてルイ15世崩御修道院に戻ったジャンヌは、幽閉され、やがてフランス革命ルイ16世マリー・アントワネットらが処刑されたのちジャンヌも処刑されたと言うテロップが流れる。

 

美しい構図と、豪華絢爛たるベルサイユ宮殿の場面、そのほか至る所に貴賓を伴った画面づくりを心がけた映像が素晴らしく、主人公二人の周囲の人物にも細かく演技演出された展開も映画に深みを与えた気がします。良質の佳作でした。