くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「トリコロール/青の愛」「いのち・ぼうにふろう」

トリコロール青の愛

トリコロール青の愛」
以前、この三部作が公開されたときに「トリコロール青の愛」だけみて、どうもあわないと思ったのだが、今回、権利切れ最後の上映ということで再挑戦しました。20年ぶりです。

今見ると、やはり鑑賞力もついたのか、非常に優れた映像作品で、引き込まれる魅力が満載の秀作であることに納得しました。あまりにも繊細すぎる画面づくりで詩情あふれるショットの数々、音楽と映像を交錯させて心の劇的な動きを表現するという卓越したリズム感によるクシシュトフ・キェシロフスキ監督の演出。本当に評価されるだけの作品だったと思います。

ハイウェイを失踪する車のショットから映画が始まります。窓からなにやら銀紙を捨てる少女の手、そして、何カットかの後にけん玉をする青年のショット、そこへカーブを曲がって車が止まり、少女アンナがトイレなのか林の奥にいって戻ってくる。車の下部のブレーキオイルの漏れのショットから再び走り出し、青年の脇を通って急ブレーキの音。駆け寄る青年、病院のショットへと続く。

パトリス・ド・クルシュという著名なピアニストの妻ジュリーがベッドに横たわる。脇に夫のパートナーのピアニストだったオリビエの姿が瞳に映る。夫と娘アンナが死んだことが知らされ、ジュリーは薬室から睡眠薬らしいものを盗んで死のうとするが死ねない。このときの廊下のシーン、黄色の日差しがサイケデリックな映像である。

物語は夫と娘を一気に亡くしてしまった妻ジュリーの孤独と哀愁、そして再生の物語として展開する。夫が最後に手がけていた曲の楽譜を捨て、自宅を売りに出して一人アパート住まいを始める。自宅の青の部屋にあったリースのガラス飾りをアパートの飾り、絶望の日々を送るジュリー。

真っ青なライティングのプールで泳ぐ姿、時折、夫の最後の曲ががーんと流れ画面が一瞬暗転する。アパートに住む娼婦と友達になり、事故現場に居合わせた青年から車のそばに落ちていた十字架を見せられるがそれは青年に与える。痴呆の気配のある母を見舞うがすでに自分の認識も頼りない。

角砂糖にコーヒーがしみるショットや、街角でリコーダーの箱を枕に眠る浮浪者風の男が夫の曲を吹いていたりする細やかすぎる映像があちこちにちりばめられ、非常に線の細い今にも壊れそうなジュリーの心が丁寧に演出されていく様がすばらしい。

そんなある日、オリビエが捨てたはずのパトリスの楽譜を持ってテレビに映るのをみる。そして、そこには恋人と写る夫の姿の写真さえも。ジュリーはその恋人に会い、彼女が妊娠していることを知り、売りに出していた家を彼女に与えることにする。そして、オリビエと一緒に最後の曲を完成させ、オリビエの元にいって身をゆだねる。

かねてからの噂で、パトリスの曲は妻が書いているというそのことを証明する。
オリビエと抱き合うジュリーのシーンにカメラがパンすると青年のシーン、母の姿、パトリスの恋人が超音波でおなかを検査している姿が純に流され、画面がゆっくり暗転、ブルーに染まってエンディングになる。

どこをとっても余りにも壊れそうなくらい繊細なシーンの数々で、しかもブルーを基調に美しくファンタジックでさえある。ジュリーの今にも壊れそうな心の葛藤か、強く生きようとせんがためにもがくジュリーの姿の表現か、背後に挿入されるパトリスの未完の曲の効果が映像と見事にマッチングしてヨーロッパ映画らしい秀作として完成されていたと思います。ジュニエット・ビノシュがとっても素敵でした。

「いのち・ぼうにふろう」
典型的な山本周五郎原作の人情劇であるが、小林正樹ならではのクローズアップとワイドスクリーンを最大限に利用した映像演出と必要以上にバックミュージックを挿入せず、最大の効果を上げる場面でのみ使用するこだわりの演出によって、ほかの時代劇監督とはまた違った重厚な群像劇として完成された傑作でした。

冒頭、この物語の舞台になる川の中州にある安楽亭という酒場の説明が語られ、唯一、こことつながる橋から物語が始まる。いきなりど迫力のチャンバラシーン佐藤慶扮する与兵衛と仲代達矢扮する定七が一人の頼りなげな富次郎(山本圭)を助け安楽亭へ連れ込む。

この安楽亭奉行所の役人さえも足を踏み込めないほどの命知らずのごろつきのたまり場で、実に個性豊かな住人が見事に描き分けられているのがすばらしい。そして、毎晩どこからともなくやってくるのんだくれの男勝新太郎の登場がストーリーのあちこちに微妙なアクセントになる。

唯一、ここの娘おみつを演じる栗原小巻がどことなくさわやかな風をそよがせて、ぶこつな舞台を終始息苦しくしないところも絶妙の脚本である。

何とかぼろをつかんで安楽亭をつぶそうとする奉行世の役人二人が影のように不気味なムードをたれこませ、それが安楽亭の中にどうしようもない緊張感を生みだし、結果、この安楽亭のごろつきたちがしがない富次郎の恋人の身請け金を作り出すために命を張って危ない仕事へ向かっていくクライマックスが最大の見せ場なのである。

ところが、当然のように罠にかかった与兵衛と定七たちだが、かろうじて定七は抜け出す。一方富次郎は勝新太郎扮する男が持つ金を奪うために二人で夜道を行くが事情をわかった男は自分の身の上話を聞いてもらう代わりに50両を与える。ところがこの富次郎、再び安楽亭に戻ってしまったために、最後の捕り物をしようと取り囲んだ奉行所の連中との大立ち回りとなる。

残る安楽亭の住人や、頭が命を張って富次郎を逃がすクライマックスの展開、ちりばめたように夜の中州に広がる御用提灯はまさに伊藤大輔監督が得意の時代劇のクライマックスのごとくであるが、どこか微妙にちりばめられた配置はやはり小林正樹の演出である。

たった一人の男のために、いままで怖い物知らずに好き勝手に悪事をしてきた男たちが無駄とわかって命を捨てていく。その潔さより、どこか人間らしい心根がじわっと沸き上がってくる様子が見え隠れする終盤の展開こそがこの作品の真骨頂だった気がします。

水谷浩の中州の安楽亭あたりの美術セットのすばらしさと川面を中心にとらえる岡崎宏三のカメラの美しさは解説の通りすばらしいし、武満徹の絶妙の音楽効果、クローズアップを繰り返しながら時に俯瞰で安楽亭を見下ろすカメラ演出の絶妙なバランスなど、さすがに完璧を目指す小林正樹ならではの重厚な時代劇だった気がします。ただ、個人的にはここまで長くしなくてももっと凝縮したストーリー展開でまとめあげる作り方もあったような気がしないでもないとも思えますね。