「アイアンクロー」
物語の構成も展開も良くできているし、登場人物の描写も丁寧に描かれていて、非常に良質のクオリティーの高い映画なのですが、いかんせん実話というのが辛い。次々と不幸が訪れていく流れで、出口はないのかとさえ思うのですが、決して深みに落ち込んでいく演出をせずに次へ次へとコマを進める組み立てが上手い。ラストはなんとか救いが見られたので、いい映画を見たという感慨に耽ることができました。監督はショーン・ダーキン。
暗闇に浮かぶリング、そしてタイトル、アイアンクローを武器にプロレス界を席巻するフィリップ・フォン・エリックの活躍場面がモノクロで描かれて映画は幕を開ける。この日も試合が終わり息子たちに出迎えられるフィリップ。やがて時は経ち、四人の兄弟は立派な大人になっている。長男、というか幼くして亡くなったジャックが実際は長男だが、最年長のケビンはプロレスラーとなり地元テキサスで優勝するほどの実力となる。ケリーは円盤投げでオリンピック選手となり、末のマイクは音楽活動をしていた。デビッドもプロレスラーとなっていく。
しかし、時はソ連のアフガニスタン侵攻で、モスクワオリンピックにアメリカは不参加となりケリーの夢は消えてしまう。地元に戻ったケリーにフィリップは、プロレスラーにならないかと提案しケリーも受け入れる。やがてケビンはフィリップが果たせなかった世界チャンピオンのタイトリマッチを目指すが、なかなか実現しない中で、チャンピオン戦は別のレスラーが奪い取ってしまう。その中、次第に実力をつけてきたデビッドを世界チャンピオン戦に挑戦させることにフィリップは決断する。
デビッドは世界中で試合をしながら力をつけていくが、日本へ渡った際急病で亡くなってしまう。失意の中、デビッドが果たせなかった夢をケビンかケリーが受けることになる。そしてコイントスでケリーが試合に臨むことになる。見事チャンピオンになったケリーだが、優勝の日、バイクで事故を起こし足首から下を切断してしまう。悲しみの中、マイクもプロレスラーの世界に飛び込んでくるが、父フィリップのプレッシャーに耐えきれずとうとう自殺してしまう。
ケリーは足首に義足をつけてプロレスラーの世界に戻ってくるが、フィリップの団体とは所属を変え、その中でしだいに追い詰められていく。そして、ケビンに電話をした直後、フィリップの実家に戻って銃で自殺してしまう。兄弟で一人残ったケビンは父のプロレス事業を受け継ぐが、父は経営には無頓着で破綻寸前だった。ケビンは会社を売ることを決意し、その資金で、牧場を買い、妻パムや息子らと幸せに暮らす。こうして映画は終わっていく。
実話というのが本当に辛いのですが、映画としては実に誠実で丁寧な作品に仕上がっています。不幸に苛まれる家族の物語を楽しむようで心許ないものの、良い映画を見た感じでした。
「フォロウィング」
時間と空間が交錯して、真実が覆されながら展開していく凝縮されたサスペンス作品。面白い作品で、監督のこの後を匂わせるエッセンスが散りばめられている映画だった。監督はクリストファー・ノーラン。デビュー作である。
ゴム手袋をはめている手から、何やら証拠物件のようなものを取り上げて、ビルという男を尋問している刑事の場面で映画は幕を開ける。ビルという男は他人をつけ回し、その姿を追い求めることが趣味になっている作家志望の男だった。ある日、一人の男をつけていてカフェでくつろいでいると、つけていた男に声をかけられる。その男はコッブと言って、空き巣を趣味にしているという。コッブのカバンには盗んだCDや女物の下着、ピアスなどが入っていた。
コッブに言われるるままにビルも彼と空き巣に向かう。最初の部屋でカバンを盗み、置いてあるコートに女物の下着を忍ばせ、ピアスを残し、台所でワインを飲んでいるところへ、この家の住民らしい女と男がかえって来る。二人は慌てて、部屋の見学に来たと言って部屋を出ていく。二人がカフェで座っているとさっきの女が入ってきたので、また慌てて外に出る。コッブはビルに、顔や服をかえろと言われ、ビルは髭を剃り、髪を短くし、スーツを着る。
バーでダニエルという男が一人の女性に声をかける。ダニエルというのは前半で出てきたビルである。女は連れ合いがいるという。その連れ合いは危険な人物なのだというが、女はダニエルの部屋にやってきて体を合わせる。女は、連れ合いの男の部屋の金庫に自分のいかがわしい写真が隠されているので盗んで欲しいという。ダニエル=ビルはコッブに提案するがコッブは乗ってこない。ビルはコッブが盗んだ品物を金にしようとしたができず、コッブに返す。
実はコッブと女は知り合いだった。コッブは、自分が盗みに入った部屋で老婆が死んでいて、刑事に事情聴取されたので、自分が疑われていると思い、身代わりを探していてビルという男を見つけたと話している。ビルは女の連れ合いの部屋に行き金庫を開けて金と写真を盗み出す。しかし、連れ合いの男が戻ってきたので金槌で殴り倒してしまう。しかも、盗んだ写真は普通のモデル写真だった。騙されたと思ったビルは女に詰め寄る。一方、コッブは女に、すべてうまくいったらしいことを話し、最後に、ビルが使った金槌で女を殺す。
冒頭のシーン、刑事はビルの供述の中で、コッブなどという男はいないし、老婆の殺害事件も報告はない、一人の女が殺されているということだけ話す。こうして映画は終わる。
複雑に入り組んだように交錯させる手法でシンプルなミステリーを組み立てていく面白さはなかなかのもので、これだけ複雑にしながらもちゃんと整理されていく構成のうまさは流石だと思える一本だった。
「ゴッドランド」
超弩級の一級品の北欧映画を久しぶりに見た感じです。スタンダート画面ながら広大な自然を背景にしたカメラが抜群に美しいし、そこで展開する人間ドラマの素朴さと、崇高な宗教観がおおう空気感に画面から目を離せないほどに釘付けにされてしまいました。景色の変化を細かいカットを繰り返して時間の経過を表現したり、シュールで無駄のない映像を繰り返す映像演出も素晴らしい作品だった。監督はフリーヌル・パルマソン。
アイスランドで発見されたデンマークの牧師が持参した木箱に入った七枚の写真から着想を得たというテロップの後、一人のデンマークの牧師ルーカスがこれからアイスランドへ布教に行く場面となり、その注意事項を上級司祭から聞いている場面から映画は幕を開ける。場面が変わり、アイスランドへ向かう船の中、ルーカスがカメラをセットして仲間を撮っている。そして小舟でアイスランドの浜辺へ上陸し、現地のラグナルという年老いた案内人と会うが、どうもルーカスとは馬が合わない上に、アイスランドの言葉しか話さないラグナルと意思疎通ができないまま旅が始まる。しかし、デンマーク語がわからないラグナルもまた、ルーカスに接近できなかった。
アイスランドの自然は厳しく、岩山を登り、沼地を通り、川を渡り目的地を目指すものの、次第に精神的に参ってきたルーカスは、夜も眠れなくなる。そしてとうとう途中気を失って倒れてしまい、ラグナルらに引き摺られていくことになる。
ルーカスが目覚めたのは、教会を作る目的地のカールという男の小屋だった。ラグナルらは教会建設を進め、回復したルーカスも手伝い始めるが、アイスランドの言葉がわからないルーカスは、村人とは常に溝ができていた。カールの家にはアンナとイーダという娘がいた。ある朝、ルーカスの馬がいなくなり、その馬を探しに行こうとアンナが提案、イーダの馬を使って探しにいくが、いつのまにかアンナとルーカスは惹かれあっているのがイーダやカールらも気づき始める。
カールはアンナに、ルーカスに近づかないようにと忠告したりするが、ある日、アンナはルーカスと体を合わせてしまう。教会がほぼ完成し、ラグナルはここを立ちたいとルーカスに告げる。そして最後に自分の写真を撮って欲しいというが、ルーカスはデンマーク語で、ラグナルを罵倒する。実はラグナルはデンマーク語が理解できていた。そしてルーカスに、これまでの自身の失敗や悔やんでいることを懺悔し、最後にルーカスの馬を盗んで殺した事を告白する。ルーカスは感情的になってラグナルに襲い掛かり、岩に頭を押し付けて殺してしまう。
間も無くして、初めての教会でのミサが執り行われ、村人たちが教会に集まり、ルーカスが演壇に立つが、ラグナルが可愛がっていた愛犬が外で激しく吠え、村人の一人の赤ん坊が泣き止まず、ルーカスは耐えきれなくなり教会の外に出るが、泥で滑って汚れてしまう。いつまでも戻ってこないルーカスを気にしてカールが探しに出て、ルーカスに追いつく。ルーカスはカールの娘の馬を使って逃げ出していたのだ。カールはルーカスを馬から下ろし、その場で殺してしまい、落馬した事にしてくれと言ってその場を去る。
冬が来て春が来て、季節が流れ、ルーカスの遺体は朽ちていく。春になりイーダがルーカスの遺体を見つける。こうして映画は終わっていく。
細かいカットで季節の流れを表現したり、研ぎ澄まされた無駄なシーンを削除した映像演出、広大な大自然の隅にポツンと人物を配した映像など、非常に卓越した画面に圧倒される作品で、背後に見え隠れする宗教的な視点が映画を奥深く大きくしている。相当なクオリティの見事な映画でした。