「十一人の賊軍」
退屈しないし面白かったのですが、リアリティを手や首が飛ぶ残酷シーンに頼ったために、周囲の人間ドラマが薄れてしまい、さらに脚本のストーリー構成のバランスが悪いので、緩急のない作品に仕上がった気がします。監督は白石和彌。
一人の男政がひたすらかけているシーンから映画が幕を開ける。耳の聞こえない妻が新発田藩の藩士に手籠にされたと聞いて妻の元に駆けつけて来た。政は張本人の藩士を辻で襲い掛かり斬り殺して捕縛されてしまう。死罪を待ち磔りつけられた政は死を覚悟して最後を待っていた。時は戊辰戦争の真っ只中、新発田藩は、官軍に付くか幕府同盟軍に付くかで今後が決まるということで、老中溝口は思案に暮れていた。
藩内でも、鷲尾ら若き藩士は同盟軍に付くべきと決起はやっていたが、官軍が勝利することが目に見えている中、溝口はある決断をする。間も無く、官軍が新発田藩の意向確認のため新発田の城へ向かってくる。一方、同盟軍もまた新発田藩へ向かって来たが、官軍到着よりわずかに早くくることがわかり、溝口は同盟軍を一旦招き入れ、出陣して城を出た隙に官軍を招き入れる策を考える。そのためには官軍の足止めをする必要があり、しかも新発田藩がそに画策に加わっているとわかってはいけなかった。
溝口は、罪人十人を選び、官軍が通るであろう砦を死守するべく藩士とともに派遣することを決する。罪人には、見事役目を果たせば無実にするという名目で政らもその軍に組み入れられる。砦の前には吊り橋があり、そこが雌雄を決する場となる。決死隊のメンバーは道場主鷲尾や、力自慢、古の剣豪、詐欺師、花火職人など多彩なメンバーが揃う。
官軍は、大砲を擁していて、みるみる劣勢になった決死隊の砦だが、砦の中にあった花火玉を花火職人で、やや頭が弱く、政を兄貴と慕うノロの活躍で、一気に劣勢を覆していく。一方新発田藩の城では、同盟軍がなかなか出陣しないので溝口は苦心惨憺していた。決死隊を率いた溝口の娘婿入江は、事が成就したら罪人は無罪放免ではなく皆殺しにするという裏画策を知るに及んで、その藩士を殺し、無罪を勝ち取って見せると豪語して罪人の心を一つにする。
花火玉を使った画策でみるみる優勢になっていく決死隊は、目の前の吊り橋を落として、官軍の足を止める。その頃、城では溝口の画策が同盟軍にバレて、溝口は切腹させられようとしていた。そこへ、官軍が長岡城を奪取した知らせが届き、急ぎ同盟軍は長岡へ向かう。官軍は溝口の画策を知るに及んで、決死隊が守る砦を引き上げて遠回りに新発田藩へ向かおうとしたのだ。
しかし、砦前で対峙している官軍は、大勢の同士を殺されたことで意地になり、決死隊を皆殺しをせんとしていた。官軍の集結場所の真上に油井戸があることを見つけた決死隊は、密かに官軍の背後頭上に周り、油井戸を使って官軍を殲滅するが味方も大半が死んでしまう。
やがて守り抜いた決死隊は、溝口による無罪放免の下知を待っていた。しかし、新発田藩に入った官軍は全てを闇に隠すように指示をする。溝口は自ら砦に赴き、残る賊軍を皆殺しにし始める。あまりの仕打ちに鷲尾も溝口に刃を向ける。一旦は砦を逃げた政も戻って来て、ノロを逃した後、残った花火玉を抱いて溝口の手下全員を殺してしまう。全てが終わり平和になった新発田藩の町では町民たちに喜びの声があった。溝口の娘が賊軍の中の女に託した金がまさに妻に届けられる。しかし城内では溝口の娘が自害した。こうして映画は終わる。
個性的なキャラクターを配しながら、その個性を描ききれなかったのと、鷲尾や溝口の苦悩の描写が弱いために、全体が薄っぺらくなって通り一遍の娯楽時代劇になってしまった。もう少しじっくり作っていけば、中身の濃いいい作品になった気もしますが、オリジナルの笠原和夫の脚本が現存せず、アイデアだけで組み直したために、どこか未完成な状態になったのだろう。白石和彌監督の演出でカバーしきれなかったというのはいかにも勿体無い作品だった
「アイミタガイ」
普通にいい映画だった。様々なエピソードが最後に一つにまとまっていくには若干やりすぎている気がしないでもない。ポイントを絞ってそこに集中させればもっと緩急のついた出来栄えになったろうにと思えなくもないけれど、人生の出会いの数々がさりげない日常の出会いに散りばめられている不思議さに感動するには十分の出来栄えだったと思います。監督は草野翔吾。
ウェディングプランナーの梓が恋人澄人と食事をしている場面から映画は幕を開ける。澄人は梓と結婚を考えているが、梓は両親が離婚した際のいざこざのトラウマから、最初から結婚はないと断言していた。梓には親友の叶海がいた。中学時代、両親の離婚でいじめにあっていた梓を叶海が助けてくれて以来友達付き合いだった。この日梓と叶海はお茶をして、叶海が写真の仕事で海外に行く話をしていた。しかし、叶海は、そこで事故に遭い亡くなってしまう。
梓はそれを知りながらも、叶海のスマホにメッセージを送り続けた。叶海の両親は叶海の四十九日の日、児童養護施設からクリスマスカードが届いて驚く。最初はイタズラかと思ったが、父優作がメールで尋ねると返事をもらい、優作と母朋子が尋ねる。写真の取材で来てくれた叶海が、ふとしたトラブルのお詫びでいつもクリスマスケーキや柏餅など送ってくれ、それが慣例になって、写真を撮ってトイレに飾るようになったのだという。
梓はヘルパーをしている従姉妹範子と話していて、範子の行った先で、93歳でかつてピアノを習っていたという老婦人の話をする。たまたま式場で金婚式のプランをしていて、高齢のピアニストを探していた梓は早速範子に紹介してもらう。ところが範子に連れて行ってもらった先は、中学時代、叶海に、ピアノを聴きに家の裏庭に忍び込んだこみちと云う婦人の家だった。こみちは戦争中頼まれて、出兵する若者に向けてピアノで送り出した経験から、ずっとピアノを控えているのだと答える。しかし、梓の話を聞き、考え方を少し変える。
その頃、澄人は婚約指輪を探しにとある小さな趣のある宝石店に立ち寄っていた。その店の片隅には店主の孫が飾っている孫の宝物のショーケースなどもあった。澄人はいつものように梓とデートをするべく待ち合わせ、宝石店に誘うが遅れてしまっていけなくなる。梓は祖母の家に行かなければいけないと言い、澄人もつい同じ電車に飛び乗ってついていく。その途中、澄人はいつも乗る通勤電車で居眠りしてしまっているサラリーマンに本を落としておこしたエピソードを語る。そこで梓の祖母に会い、また来てくださいと送り出される。
梓は、相変わらず叶海にメッセージを送っていたが、朋子がそれに気がつき、叶海が亡くなったことで前に進めない梓の気持ちをくみ始める。叶海の家の前を通ったと云うメッセージに思わず飛び出した朋子だが、後ろ姿だけしか分からなかった。梓の祖母に会った帰り、澄人は梓に婚姻届を渡してプロポーズする。そのメッセージも朋子は読んでいた。梓は、次第に前に進み始めていた。
金婚式のイベント、こみちは会場でピアノを弾き、金婚式を迎えた夫婦に喜ばれる。その席で、式をした食品サンプルを作っている夫は引き出物に可愛らしい一品を忍ばせていた。出席していた一人の少年はそこでバナナを手にする。優作と朋子は、叶海の保険金の小切手を施設に寄付する。最初は辞退した施設長だが、両親の気持ちに応える。
この夜、梓は澄人に呼び出された。梓はメッセージを書き込む。ところが待ち合わせの場所に行く途中優作と朋子を見かける。叶海の写真に優作と叶海が映っているのを見たことがあったから声をかけたのだ。梓が声をかけると、優作は、この写真は、電車で居眠りしていて乗り過ごす前ある若者におこされ、駅に降りたらたまたま叶海に会い、その時に撮ったものだと話す。
梓は約束の場所へ急ぐ。いつのまにか、中学の頃と同じく叶海が梓を引っ張っていた。しかし、着いてみると澄人は既にいなかった。しばらくして公衆トイレから出て来た澄人は梓に、指輪の店に行こうと誘う。行ってみると、臨時休業だった。がっかりしている二人の前に孫を抱いた店主が戻ってくる。お世話になった人の席に出席していたのだという。孫の手には食品サンプルのバナナが握られていた。こうして映画は終わっていく。
あれもこれもが全て絡んでいくのは少々やりすぎかなと思いますが、もともと短編集なので、どれもこれも詰め込んだ感じでしょう。でも、それなりに綺麗にまとまっているし、丁寧に作られた作品という感じがとっても良かった。