くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「グッド・ワイフ」「リトル・ジョー」

「グッド・ワイフ」

これといって取り立てていい映画でもないのですが、どこか魅力の垣間見られる一本。メキシコという国柄を理解できればちゃんと楽しめるのかもしれません。監督はアレハンドラ・マルコス・アベヤ。

 

主人公ソフィアは、夫が会社の役員で成功しセレブな生活をしている。今日は彼女の誕生パーティで、セレブな友人がたくさんやって来ていた。ただ、ソフィアは、有名人を呼びたいと夢見ている。いつものようにパーティが進行しやがて終わるが、セレブたちの間では証券会社社長を夫に持つアナの存在が気にかかっていた。

 

そんな頃、メキシコに経済危機が到来し、間も無くソフィアの夫の会社も経営危機になる。みるみる生活が荒び始め、それまで女王のように振る舞っていたソフィアにも徐々に暗雲が迫り始める。カードが使えなくなり、使用人に給料を払えなくなり、水道さえも止まってしまう。そんな中でも必死でセレブの仲間に入るべく背伸びをするソフィアだが、周りのセレブたちは彼女のもとを離れ、アナのもとへ移っていく。

 

ソフィアは最後のあがきの如く着飾り、アナのパーティに出かけるが、門に入ったところで躊躇い帰ってしまう。カットが変わると、アナの夫婦とソフィアの夫婦がレストランにいる。お互い食事をし終えたところで、今回の経済危機に独裁的な政策で貧乏人を切り捨てた大統領のロペスが入ってくる。アナやソフィアはロペスを犬の声を真似して追い返すところで映画は終わる。

 

最初から、登場人物がわかりづらく、ソフィアのみがわかるのだが、後のセレブ妻たちの関係は見えない。あえてそうした描き方をしたのかもしれないけれど、ソフィアだけを浮き上がらせたとはいえ、物語の流れに必要なアナの存在もぼやけてしまった気がします。社会派ドラマという一本なのですが、魅力もあるのですが、もう一つ心に感じきらない映画でした。

 

「リトル・ジョー」

感覚で鑑賞する映画で、どこがどうと語ることができない作品。その意味で独特の色合いがあるし、赤の使い方の美しさにも脱帽するし、なかなかの映画でした。監督はジェシカ・ハウスナー。

 

遺伝子操作で新種の植物を開発する研究所、そこで栽培されている植物を俯瞰で回転させながら延々と撮る場面から映画は始まる。研究員で主人公のアリスは、ここでリトル・ジョーという赤い花を栽培することに成功する。その花は人を幸福にするという効用があったが、アリスの助手のクリスを除いて、所長を含め周辺の研究員はまだまだ受け入れられなかった。

 

この研究所にベラというベテランの研究員がいて、いつも愛犬のベロを連れて来ていたが、ある時帰りがけに行方不明になる。クリスが探しにいき、リトル・ジョーを栽培している温室に隠れているベロを見つけるが、飛びつかれて思わずリトル・ジョーの花粉をすいこんでしまう。

 

一方、アリスには一人息子のジョーがいて、別居している夫と交互に会うようにしていた。アリスはジョーのために、リトル・ジョーを一輪、家に持って帰る。

 

翌日、ベラは、愛犬のベロに噛まれる事件が発生。かつてのベロと別の犬になったと、殺傷所分をしてしまう。どうやらリトル・ジョーの花粉は人の脳に感染して、別人に変え、自分を守るために性格を変える作用があると疑い出す。実際、花粉を吸ったジョーの性格が変わり、彼女を自宅に連れてくるようになるし、クリスも異常なくらいにリトル・ジョーを擁護するようになる。

 

アリスは、一人、なんとかリトル・ジョーの危険を証明するべく奔走するが、リトル・ジョーに懐疑的だった所長さえもリトル・ジョー擁護に回り、さらに、危険について声を大きくしたベラを階段から突き落としてしまう。

 

アリスは、精神科にも通っていて、その医師はアリスが仕事に追い詰められ、一人息子ジョーの存在を疎んじているのにそれを押さえつけていると判断する。

 

極まったアリスは、リトル・ジョーを枯らしてしまうべく温室の温度を操作するが、そこにやって来たクリスに殴られ気を失い、その間にアリスはマスクを外され、花粉を吸い込んでしまう。

 

翌日、アリスはリトル・ジョー擁護者となり、精神科の医師にも自分の思い違いだったと告げ、出口にリトル・ジョーを置いて帰る。ジョーは父の元で暮らすことになり、彼を送り出したアリスは、家に帰り、自宅のリトル・ジョーにおやすみというと、リトル・ジョーは「おやすみお母さん」と答えて映画は終わる。

 

SF的にストーリーを追うとこの映画の意図する物は見えない。人間を幸福のすると信じるものがいつの間にか人類に蔓延していく様を植物という暗喩を用いて描いた作品で、ある意味面白さもあるがぞくっとする怖さも伝わる映画でした。カメラの使い方や色彩演出もなかなかのもので、雅楽を使った音楽や、アリスが買ってくるデリバリーが拗ねて東洋のものであったり、ジョーの彼女が明らかに中国系など、どこか東洋的な神秘さも見え隠れする映画、個人的には大傑作と言えないまでも、相当な秀作と思いました。

映画感想「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」「ドラゴンへの道」(4Kリマスター版)

「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」

司教の小児虐待を描いた実話に基づく物語ですが、リレーのように主人公を変化させながら描いていく脚本のうまさと、次第に追い詰めていく展開が相当に良くできた一本。ただ、内容が内容なので重い。それでも二時間以上あるのに全然退屈しませんでした。監督はフランソワ・オゾン

 

リヨンに暮らすアレクサンドルは幼い頃に地元にいたブレナ神父に性的虐待を受けていた。しかし、大人になるまでそのことに触れることはできず今日まで過ごして来たが、そのブレナ神父が今も子供たちに聖書を教えていることを知り、過去の出来事を告発する決心をする。そして地元の枢機卿バルバランに訴えるが、こういう事件を担当のレジーヌとまず会うことになる。しかし、ブレナ神父は罪は求めたものの謝罪はせず、さらに教会もなんの処置もしなかった。

 

アレクサンドルは告訴することを決意する。しかし、アレクサンドルについてはすでに法的に時効になっていた。しかしある女性の息子たちが同じ目にあったことがわかり警察はその人物フランソワに接触する。忘れていた過去を思い出し、悩んだ末に告訴に踏み切る。さらに、警察や教会のみでなくマスコミの利用も考え、徹底的に糾弾することにする。

 

間も無くして彼が作った被害者の会にもメンバーがふえ、新たにエマニュエルという青年も参加。被害者の会を中心にじわじわとブレナ神父を追い詰めていく。

 

映画は、アレクサンドルからフランソワ、さらにエマニュエルを中心にリレードラマのように展開して、それぞれの周囲の人間模様を描いていく。そして、それぞれが被害者の会に集結していき、やがてブレナ神父は罪に問われ、事態を放置していたバルバランも罪を受ける。

 

三人の物語の中心になる人物の周囲の描写が素晴らしく、両親や兄弟らとの確執や、親子の絆など、丁寧に描写される人間ドラマも圧巻。ブレナ神父とキリスト教会への糾弾というシリアスなテーマを軸にした人間ドラマの素晴らしい映画でした。

 

「ドラゴンへの道」

ドラゴンシリーズの中ではストーリーが一番退屈な映画ですが、クライマックスのコロセウムでのチャック・ノリスとのシーンのみが見どころ。でも、やはりブルース・リーは強い。監督はブルース・リー

 

イタリアで料理店を営む叔父の店がマフィアに脅かされているということで、香港から用心棒にタンがやってくるところから映画が始まる。空港でのしつこいほどのコミカルなシーンの後、チェンが迎えにくる。この映画でチェンを演じたノラ・ミヤオの人気が圧倒的になる。本当に可愛らしい女優さんです。

 

あとは、店にやってくるマフィアのならず者を次々とタンがやっつけ、万策尽きたマフィアはアメリカから空手の達人ゴートを呼ぶ。そして、タンとゴートの一騎打ちがコロセウムで行われるクライマックスへ。見事ゴートを倒したタンが戻ってみると、実は叔父さんも悪者でというとってつけた展開の後マフィアのボスがみんな撃ち殺しそこへ警察が来て大団円。

 

なんじゃこりゃという物語ですが、ブルース・リーは強い。という映画でした。

映画感想「銃2020」「ライド・ライク・ア・ガール」「ブリット=マリーの幸せなひとりだち」

「銃2020」

2018年の「銃」を同じ監督で視点を変えて作った作品。中編ですが、前作よりも少し洗練されているように感じました。銃というものに魅せられる主人公の物語という感じで面白かった。監督は武正晴

 

水溜りに東子の文字が浮かび主人公東子がストーカーのような男につけられている。なんとか逃げて、ある雑居ビルのトイレに入って、その洗面の中に沈んでいる銃を見つける。トイレを出たところで和成とすれ違う。東子はそのあと和成を探し、付け狙うが、逆に和成の行きつけのバーに連れて行かれる。この銃はあるヤクザの女の銃で、すでにその女は和成が殺した。したがって、東子が手に入れた銃で人を撃っても、そのヤクザ女が撃ったことになると告げられる。

 

東子は自宅アパートに帰るが、すでに電気も止められたゴミ屋敷で、この日も元ヤクザの大家が家賃催促しに来る。体を求めるような仕草の後、隣の部屋に行った大家は幼い少女と暮らす隣の女を襲う。ある時、隣の女が大家を殺して死体を埋めようと引きずる現場を見た東子は、処理を手伝い、死体を撃つ。

 

まもなくして、近所で発見された死体の調査で刑事が東子のところにやってくるが、東子は適当にごまかす。東子の母は、東子を恨んでいて、男の子が死んだことで気がおかしくなり、女を作っていた夫とも別れ、東子のところにやってくる。しかし、東子は適当に追い返すが、まもなくして、東子の留守にやってきて、東子の銃で自殺する。東子は銃を持って外に出て刑事を誘う。

 

刑事は自分の部屋に東子を誘い入れ、何もかも知っていると東子に迫る。東子は銃を向けるが撃てない。無視してトイレにたった刑事を撃ったには入ってきた和成だった。和成は兼ねてから刑事を恨んでいて、東子を誘ってカフェに行く。しかし、和成を後ろから東子が撃った。

 

逮捕された東子に、隣に住んでいた少女が面会に来る。そのあと、東子を訪ねて来たのは冒頭のストーカー男だった。こうじて映画は終わる。

 

凝縮されたストーリーとメッセージでぐいぐいと描いていく作品で、やや長く感じたのは、どこかエピソードの配分が悪かったのかもしれないが、駄作というわけではなく、それなりの一本だった気がします。

 

「ライド・ライク・ア・ガール」

 なんともシンプル、なんのテクニックも使わずに、メルボルンカップで初めて女性騎手として優勝したミッシェル・ペインの半生を描いていく。そのシンプルさゆえに、物語が短く感じたが、ダウン症で本人自身が演じたジュディスの存在が物語にうまくスパイスになって小気味良い仕上がりになっていました。監督はレイチェル・グリフィス。

 

騎手一家のペイン家の末娘ミシェルが生まれたところからの説明から映画は始まる。母がミシェルが生まれて間も無く死に、十六人家族のほとんどが馬の関連の仕事をしている。中でも末娘のミシェルは気が強い上に、騎手になることを幼い頃から夢見ていた。しかし、まだまだ男性優位の競馬の世界で様々な困難が待ち受けるというよくある設定だが、ほんの30年ほど前の話なのだから驚きです。

 

物語は丁寧にミシェルの成長を追っていき、姉の落馬事故での不幸から、ミシェル自身の落馬による重症を負うくだり、さらにダウン症の弟ジュディスとの交流を通じて、やがてメルボルンカップの騎手として出るチャンスを掴んだミシェルは、見事優勝。こうして映画は終わる。なんともシンプルそのもの。こういう映画の久しぶりに出会いました。

 

「ブリット=マリーの幸せなひとりだち」

なんとも抑揚のない作品で、それが狙いに見えた冒頭から、脚本の流れと演出の意図がちぐはぐになって、結局何を描きたかったのかは主人公に語らせるだけになった仕上がりにがっかりの映画でした。監督はツバ・ノボトニー。

 

何十年も夫ケントと暮らす主人公ブリット=マリーの淡々とした日常がテンポよく描かれて映画は始まる。ある日、仕事に出た夫が心臓麻痺で倒れたという知らせに病院に駆けつけたブリット=マリーだが、そこにグラマーな夫の浮気相手がベッドの傍にいて、看護婦がその彼女を妻と間違えていた。

 

そのままブリット=マリーは指輪を置いて家を出る。ここまでがこの映画の全てで、ここから如何にもな展開から雑な流れに沈んでいく。仕事を探すも63歳ではこれというのもなく、片田舎ボリの街のあるユースセンターの職員募集のみで、仕方なくその地へ行く。ところが、採用の条件は地元の子供達のサッカーの指導も含まれていた。ケントがサッカー気違いだったがブリット=マリーは全くの素人。とりあえず、指導らしいことを始める。ところが、ユースセンターにネズミが出たりとひどいものだったので、サッカーのコーチをしていたオヤジの娘のところに間借りすることになり、地元の警官スヴェンが案内し、なぜかブリット=マリーに惹かれる。って、あまりに雑。

 

あとは、サッカーコーチをするうちに、子供たちと心が打ち解けていき、自分のこれまでの生き方を回想したり、10歳の時に交通事故で死んだ姉のことが出て来たりと、どんどん俗な展開へ。そして最後は、ブリット=マリーのコーチしたサッカーチームが地味にの強豪チームから一点奪取して大団円。

 

ケントが反省して迎えに来たが、複雑な気持ちを伝えて、最後は、憧れのパリにいるブリット=マリーのカットで映画は終わる。では、冒頭のケントの浮気相手はどうしたの?とか、ライセンスがないと試合に出れないと途中で言われるのにコーチを続けて、土壇場でまた蒸し返して、なかったら出れないの?と繰り返すブリット=マリーの態度は何?さらに、死んだオヤジのライセンスで出れるというのもあれ?となって、なんかラストの子供たちに盛り上がりとこの映画の出だしの空気はどこいった感満載で終わる。適当、まさに適当な映画だった。

映画感想「ステップ」

「ステップ」

何の変哲もない映画ですが、とっても優しい映画でした。ちらほら出るお遊びもさりげないスパイスになって、終始涙が止まりませんでした。監督は飯塚健

 

壁のカレンダーに予定を書き込む手が突然止まり、すーっと下に下がってしまって一人の女性が倒れる場面から映画が始まる。彼女は主人公武田健一の亡き妻朋子である。それから二年、シングルファザーで一人娘美紀の子育てに奔走する健一の姿となる。

 

会社を定時で帰り、美紀を迎えに行く。まだまだ幼い美紀を育てることはそう簡単に行かず、朋子の両親村松らや元上司、朋子の兄夫婦の支えの中必死で子育てをする健一。

 

映画は、二歳の頃の美紀を育てる健一の姿から、やがて小学校に入学した美紀と健一の物語へと進んでいく。

 

母がいない事に必死で負けないように頑張る美紀、一方一筋縄でいかない子育てに奔走しながらも美紀との絆を紡いでいく健一。やがて高学年になるころ、健一の前に一人の女性奈々恵が現れる。

 

優しくてひたむきな奈々恵に惹かれる父の姿を、ませた会話で受け答えする美紀だが、複雑な心の中が見え隠れしてくる。

 

しかし、次第に打ち解け、奈々恵、健一、美紀の家庭が見えてくるころ、義父村松が病に倒れる。余命わずかとなった村松の病室に、まもなく小学校卒業を迎える美紀、そして健一、兄夫婦、奈々恵が集う。外は村松の望みがかなったかのように雪が降っている。

 

村松は美紀に、雪兎を作ってほしいと頼む。そして作られた雪兎を囲んで、つかの間の幸福に浸る村松。そこには、健一と奈々恵、美紀、そして朋子の兄夫婦のこれからの未来が見えている。

 

やがて、小学校の卒業式の日、健一は美紀といつもの通学路を歩き、これからの子育ての大変さを思いながら、幸せをかみしめて映画は終わる。

 

何の変哲もないし、技巧的な演出もない。ひたすら淡々と健一と美紀、そしての周りの人々が描かれていく。どの場面にも登場するサラリーマンというお遊びショットはあるものの、概して普通の映画です。でも終始泣いてしまいました。

映画感想「バルーン 奇蹟の脱出飛行」「WAVES ウェイブス」

「バルーン奇蹟の脱出飛行」

もっと面白くなるはずなのですが、脚本の弱さが露呈した作品で非常にもったいない。実話ゆえの緊迫感が弱く、ハラハラドキドキ面白いのですがもう一歩もの足りなかった。登場人物の性格や描写がくっきり浮かんでこないのが残念。監督はミヒャエル・ブリー・ヘルビヒ。

 

ブルーの風船のカットから映画が始まる。東ドイツに住むペーターの家族は2年かけてある計画を企画していた。気球に乗って西側に行くということだった。気球を設計したのはギュンターという友人。そして目当ての北風が吹くことがわかり、旅だとうとするが、大きさが足りず、ペーターの家族のみで出発する。ところが、水滴で重くなった気球は国境線まで二百メートルというところで落下。仕方なく家に戻る。

 

感情的に悲観論で夫を責めるペーターの妻の描写がなんともバカに見える。2年かけて計画したにもかかわらずこの適当な性格描写は何?という感じ。また息子が向かいの少女と付き合っているがこの息子の心の動きの描写が弱い。向かいに住む男は国家保安局のメンバーなのだが、その存在感の緊張も最初に丁寧におこなわれず、ここももったいない。しかも、落ちた気球を隠そうともせず放っておくので、当然、国家保安局に見つかることになる。

 

一時は諦めかけたが、再度気球を作ろうという息子の言葉に再挑戦をする。しかし、ギョンターに兵役が迫っていて、その期限の六週間後までに仕上げようとする。そんなペースでできるなら、なんで最初にやらないのという感じですが、実話だから仕方ないです。

 

映画は、ペーターらが必死で作る様子と、最初の気球を森で見つけた国家保安局が必死で捜査する様子とが交互の描かれていくのですが、保安局のリーダーがなんとも言えず、どこか抜けてる感がある。ペーターの妻が気球のところに落とした薬を調べるのが一番後になっていたり、車の捜査、ギュンターの子供が学校で言った一言を追求する下りもなんとも弱い。

 

ようやくターゲットが絞られた国家保安局はペーターらの家に向かうが、入れ違いに脱出したペーターらは気球を浮かばせていく。飛んだものの、国家保安局のヘリコプターが迫る。このクライマックスはもうちょっと工夫が欲しかった。

 

そして軟着陸した気球はなんとか国境を越えることに成功し大団円。国家保安局のリーダーが更迭されたかのシーンが描かれて映画は終わる。いや、このエピローグを挟むなら、もっと途中に彼らの描写に力を入れるべきだったと思う。面白かったけど、いま一歩物足りない映画でした。

 

WAVES ウェイブス」

ストーリーを語るということ、描こうとすることを伝えようとすることがわかっていないのか感性が悪いのか、なんともよくわからない映画だった。エピソードの配分が悪いのでやたらダラダラするし、独りよがりにしか見えない横長やスタンダード、フルサイズを駆使した画面の変化も意味不明な映画だった。せっかくの美しい長回しもただの技巧にしか見えなかった。監督はトレイ・エドワード・シュルツ。

 

一人の少女の自転車の後ろ姿から映画が始まり、カットが変わると主人公タイラーが乗った車の中、くるくる回るカメラワークへと移る。フロリダへ向かう彼らはしこたま遊んでいかにも青春謳歌。タイラーにはアレクシスという彼女がいて、ラブラブである。タイラーはレスリングの選手で、父も同じくだったようで期待されている。しかし肩の痛みに悩んでいた。

 

検査の結果、試合をするのは無理だと言われるが、両親に黙って試合に出たタイラーは負けた上にしばらく運動ができなくなる。タイラーの母は継母で、父親と事業をしているようである。妹のエミリーもいる。

 

そんな頃、アレクシスは、妊娠したとタイラーに打ち明ける。肩の怪我で落ち込んでイラついている中での彼女の告白に、身を入れて聞けない。アレクシスは一時は中絶を決意してタイラーとクリニックへ行くが、中絶できず、そのことでタイラーと口論して喧嘩別れしてしまう。まもなくして落ち着いたタイラーはアレクシスにメールで謝るが、アレクシスは、子供を産んで両親に援助してもらうと答え、タイラーとも終わりだと告げる。

 

自暴自棄になったタイラーは酒を飲み、ドラッグをし、友達と騒ぐ。そんな頃、ダンスパーティの日がやってくる。エミリーも友達と出かけるが、タイラーは家にいて、次第にアレクシスへの想いが高まり、酒とドラッグの力を借りてパーティ会場へ向かう。そしてアレクシスを捕まえ、話そうとするがすぐに言い争いになり、思わずタイラーは力任せにアレクシスを殴って床に叩きつけてしまう。アレクシスはそのまま死んでしまう。

 

逃げたものの、すぐに逮捕されたタイラーは裁判で無期懲役の判決を受ける。これをきっかけにタイラーの両親の間に溝が深まる。そんな時、エミリーは学校でルークという青年と知り合い、間も無く恋に落ちる。ここからエミリーの物語が延々と語られる。一体なんなのだと思うのだが、エミリーは、癌で入院しているルークの父に会いにいくことをルークに提案。そして二人の前でルークの父が死んでしまい、エミリーは自分が兄を憎んでいたことや両親の絆を取り戻すことを決意。エミリーの母もタイラーに面会に行く。

 

それぞれの家族が前向きに進み始めたという感じの映像で映画は終わるのだが、なんとも脚本がひどい。演出も独りよがりの感が強く、だらだらと長く感じる作品でした。

映画感想「チア・アップ!」「ドラゴン怒りの鉄拳」(4Kリマスター版)「ラ・ヨローナ 彷徨う女」

「チア・アップ」

特に秀でた映画ではないですが、普通に楽しめる作品でした。ダイアン・キートンが出ていなければいかなかったジャンルですね。さすがにお年を召してしまいましたね。監督はザラ・ヘイズ。

 

主人公マーサが遺品を家の前で処分している場面から映画が始まる。一人ぼっちになった彼女はシニアタウンに引っ越して来る。いわゆる老人ホームのシティ版というのがアメリカにはあるんですね。静かに暮らそうとやってきたものの、お節介で騒がしい隣家のシェリルがやたら絡んできて、面倒な日々になる。しかし、次第に打ち解けてきたマーサとシェリルは、マーサが若い頃夢だったリアリーダーの夢を叶えるべくこの町でチアリーディングチームを作ろうと考える。

 

そして、オーディションしてメンバーを集めたものの、メンバーみんなどこか持病もあってすったもんだ。それでも陽気なおばあちゃんたち、次第にチアリーディングにハマっていく。

 

まあよくある展開で、クライマックスは地元の大会に出て大盛況。ところがマーサは癌を患っていて大会の後まもなくして死んでしまう。でもその後、メンバーたちはチアリーディングを続けていくところでエンディング。

 

所々に散りばめられた笑いが今ひとつタイミング悪く生きてこないし、途中から振り付けで参加する若いチアリーダークロエのキャラクターが生き生きしてこない上に、彼女に惹かれているベンとの絡みも弱い。

 

全体に平凡な演出が際立つので、もったいない仕上がりになっていますが、まあ、肩も凝らない映画だし、気楽にみるにはこれでいいかなという作品でした。

 

「ドラゴン怒りの鉄拳」

40年ぶりくらいか、4Kリマスター版で再見。やっぱりブルース・リー映画はこれが最高。やっぱり面白かった。日本人が悪者でコテンパンにやられるのに、それでもブルース・リーがかっこいいと思ってしまう。強い。監督はロー・ウェイ。

 

師匠の葬儀に戻ってきた、弟子で主人公のチェンのシーンから映画が始まり。折しも日本人道場の男たちが中国人を馬鹿にする看板を持って葬儀の場を乱す。その場は我慢したチェンだが、単身日本人道場へ乗り込み大暴れする。

 

ここから日本人道場と中国人道場の諍いがエスカレートし、さらに戦前の中国の差別されている社会が描写される。チェンにコテンパンにされた日本人道場の面々はなんとか中国人道場を痛めつけようと画策。そんな折、たまたま師匠が日本人に毒殺されたことがわかり、チェンは日本人道場の主人スズキを調べ始める。そんな頃、日本人道場に西洋人の屈強な武術家が客分としてやってくる。

 

調べ終えたチェンは単身スズキの館へやってくる。そして西洋人武術家を倒し、スズキも葬るが、そんな頃、スズキの指示で中国人道場のメンバーが日本人道場の男たちに襲われほとんどを殺されてしまう。日本帝国総領事もやってきて、チェンを引き渡すように迫る。

 

身を隠していたチェンだが、そのやりとりを聞いて、いたたまれなくなり姿を現し、自分の自首と引き換えに中国人道場の存続を求めて身柄を預ける。扉の外に出た彼を待っていたのは西洋人らの銃口だった。チェンは絶叫をあげて彼らに向かって飛び蹴りをするところでストップモーション。映画は終わる。結局、日本や西洋の権力に屈せざるを得なかった当時の中国人の悲哀が爆発して胸が熱くなってしまいました。

 

ヌンチャク技、スピード感とキレに溢れた格闘シーン、オーバーラップを使った腕の回転させる場面など、ブルース・リーのカンフーアクションの見せ場がふんだんにある上に、とにかく強い。やはりドラゴンシリーズ最高傑作だと思います。

 

「ラ・ヨローナ 彷徨う女」

しんどかった。特に前半は地味な上に画面が暗くて、後半のホラーテイストが絡んできても結局、静かなエンディングという感じでした。ただ、実際に起こった虐殺事件ということを鑑みれば、それなりのしっかりできた作品だったかと思います。監督はハイロ・ブスタマンテ。

 

何やら女性たちが儀式のようなことをしている場面から映画が始まる。呪いでもかけているのか異様な感じである。シーンが変わるとグアテマラの将軍エンリケの裁判。何やら市民の大虐殺をしたということで、大勢の人たちから非難され、外に出てもいまにも殺されそうな空気でなんとか自宅に帰ってくる。

 

エンリケは、体の具合も悪く、酸素吸入が欠かせず、たくさんの女性の召使に世話を任せながら、年老いた妻や娘、孫と暮らしている。門の外には押し掛けた市民がエンリケをいまにも引きずり出さんという勢いでプラカードを持ち押し寄せている。

 

エンリケは、夜中に幻覚か女性の声を聞き、銃を持って彷徨ったりする。さらに若い召使アルマを襲ったりする。そんな不穏な空気の中で生活していたある時、エンリケのベッドの枕元に異様な模様が浮かび上がる。世話をしている一人の女性が、これは黒ミサだと言い、家族全員で払わないと行けないと儀式を始める。時を同じく、庭に大勢の亡霊のような人たちが溢れ始める。実はアルマこそがエンリケにかつて虐殺された女性であり、エンリケの妻に乗り移ってエンリケを絞め殺す。エンリケの葬儀、軍の関係者が用足しをしていると水浸しになって、映画は終わっていく。

 

虐殺をした恨み辛みが黒ミサによってはらされていくという展開らしいが、とにかく地味に暗いので、しんどい映画だった。

 

映画感想「透明人間」(リー・ワネル監督版)

「透明人間」

女は怖い。これに尽きるほどのぞわっとするラストを見せられた。スタイリッシュな映像はさすがに美しく、流麗なカメラワークも恐怖を倍増させていく。しかしところどころに穴が見える脚本は意図的なものか、ミスか。その疑問を追いかけながらラストシーンを迎える映画でした。オーソドックスなホラーというよりSFの色合いが強い作品。やはりリー・ワネル監督、最後はどんでん返しでした。

 

では物語を整理してみます。ベッドで背後から抱かれながら眠る一人の女性セシリアがそっとベッドを出る。ベッドの下の何やら睡眠薬らしい薬の瓶があり、それを背後の男性に飲ませたらしい。

 

ベッドを写す室内カメラを自分のスマホで見れるように調節して、そっとこの邸宅を抜け出そうとする。海岸べりに立っている豪邸である。どうやら、彼女は夫の暴力から逃げようとしているらしく、迎えに来た妹のエミリーの車で脱出、かと思いきや男が追いかけてきて車の窓ガラスを割る。

 

何とか逃げたセシリアはエミリーの恋人で警官のジェームズの家にかくまわれる。二週間たっても怖くて外に出られないセシリアを励ますジェームス。エミリーからの知らせで夫のエイドリアンが自殺したと知らされ、ジェームズの娘のシドニーと仲良くなり、次第に普通になってくるセシリア。

 

そんなころ、謎の手紙が舞い込む。それは夫エイドリアンが自殺したので、その莫大な遺産をセシリアに託すべく、エイドリアンの弟トムから届いたものだった。こうして巨額の遺産を手に入れたセシリアは、シドニーの教育資金も手配し、ジェームズたちも幸せになるかに思われた。ところが、セシリアの周りで不気味な気配が見え隠れする。

 

セシリアは、夫エイドリアンが生きているのではないかと疑い始め、それは次第に確信に変わっていく。エイドリアンは光学研究の第一人者で、おそらく透明になることができるものを発明したのではないかと思い始める。

 

夜、外に出て白い息を吐くセシリアの背後に、何もないところから白い息が吐かれるショットが怖い。また、セシリアは脱出するときに落とした薬が洗面台においてあることから、自分は監視されていると思い始める。しかし、トムはエイドリアンの自殺した写真をセシリアやジェームズに見せる。

 

しかし、自分が送ったことのないメールがエミリーに届いたり、セシリアが殴っていないのに、殴られたようにシドニーが吹っ飛んで、ジェームズからも遠ざけられたり、さらには何かにつかまれたセシリアが投げ飛ばされるに及んで、確信したセシリアは、元の邸宅へ向かう。そこで、透明になることができるスーツが自動生成されることを発見、一着作って隠したのち脱出、エミリーに再度連絡してどうしても会いたいとレストランに呼び出す。

 

ところが二人で話していると、突然、ナイフがエミリーの首を引き裂き、セシリアは殺人容疑で逮捕され精神病院へ隔離される。そこで、セシリアは妊娠していることを知らされる。

 

トムが訪れ、このまま犯罪者となるとエイドリアンの遺産をもらう権利がなくなると脅し、その解決策として、エイドリアンとよりを戻すことを迫る。トムとエイドリアンは一蓮托生だった。トムを罵倒して、隙を作って万年筆を隠したセシリアは、自室で自殺しようと手首に突き立てる。

 

そこへ透明なエイドリアンが襲い掛かる。罠にかけたセシリアはエイドリアンに反撃、駆け付けた警備員らと半透明になったエイドリアンとの格闘が始まる。外へ追い詰めたセシリアだが、エイドリアンは、セシリアの身近な人たちを犠牲にしていくと捨て台詞を残して消えてしまう。シドニーの危険を察知したセシリアはジェームズに連絡。

 

一方シドニーが眠るベッドへ透明なエイドリアンが迫る。駆け付けたセシリアが消火器を吹きかけて姿を現した透明人間を撃ち殺すが、スーツの仮面をはがすとトムだった。

 

元の邸宅に警官が突入し、壁に閉じ込められていたエイドリアンを発見。エイドリアンも犠牲者だったと説明するジェームズに、セシリアは、すべてがエイドリアンのたくらみだと反論する。

 

エイドリアンに連絡をしたセシリアはジェームズに乗せてもらい、エイドリアンの邸宅へ。外でジェームズが待つ中、セシリアはエイドリアンの用意したディナーの席に着く。途中中座したセシリアだが、テーブルで待っているエイドリアンは、突然ナイフが首に斬りつけられ、自殺したような姿で倒れる。そこへセシリアが戻ってきて、救急車を呼び号泣。ジェームズが駆けつけたが、平然と出てきたセシリアのかばんには、透明スーツが入っていた。そして、セシリアの言葉にジェームズは「エイドリアンは自殺だ」とつぶやく。セシリアの不敵な顔のアップでエンディング。

 

なるほど、すべてはセシリアの画策だったのか。果たしてエイドリアンは本当にDⅤだったのか、エイドライアンがすべての計画をもくろんでいたのか、トムはやはり操られていたのか、最初からトムが透明人間となって襲って来たのか、最後の最後、莫大な遺産を得る権利を確定した勝ち誇るようなセシリアのカットが怖い。

 

シンメトリーで洒落たカメラと、しつこいほどに繰り返される何かがある感の脚本が面白い作品。さすがにリー・ワネルでした。