くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ウィッカーマン」(final cut)「サンタ・サングレ/聖なる血」

ウィッカーマン

真面目に作っているようでなんか変、伝説のカルト映画とうとう見ました。思い返してみても何か変な映画でした。監督はロビン・ハーディ。

 

一人の警部ハウイーが水上艇でサマーアイル島にやって来る。一人の少女ローワン・モリソンが行方不明なので探してほしいと直接手紙をもらったためである。ついてみると島民はボートもよこさず、この島は私有地だから上陸できないという。そこを強権で上陸したハウイーは、ローワンの母が営む郵便局に行くがそんな娘はいないし、手紙も出していないという。島民もみんなそう答えるが、学校へ行ってみるとそこの名簿にローワンの名を見つける。

 

島では、なんとも猥雑な歌や遊戯が行われているし、公共の場で平然とSEXしたり裸で踊っていたりする。ハウイーは、この島の性風俗の乱れを訴えかけるが、島の領主サマーアイル卿は、そんなことは全く完治しないと答える。ローワンが死んでいるらしいと思ったハウイーは、墓を掘り起こすが中からうさぎの死体が出てきたりする。

 

ハウイーは、応援を呼んで島を粛清しようと水上艇にいくがエンジンがかからず、戻ってくる。どうやら、間も無く開催される祭りの生贄にローワンが捧げられると呼んだハウイーは、仮装して村人に紛れ込む。ところがようやく見つけたローワンの後をつけていくと、そこにはサマーアイル卿らがいて、実は生贄はハウイーその人なのだと告げられる。

 

ハウイーは村人たちに抱えられ、岸壁の上に作られた木の人形ウィッカーマンの中に閉じ込められ、火をかけられる。焼け殺されていくハウイーのシーンで映画は終わっていく。で、なんなんだという物語である。まさにカルト。

 

「サンタ・サングレ/聖なる血」

これはなかなかの傑作でした。シーンの一つ一つがしっかりと全体を支えているし、画面の展開も美しくて幻想的。グロテスクなフェリーニ作品という感じの見事な映画でした。監督はアレハンドロ・ホドロフスキー

 

映画が始まると一人の青年が、部屋の中鳥のように木の上に止まっている。医師らしい人たちが彼に食事を与えると、彼は木を降りてきてむしゃぶりつくと共に彼の体は鳥になり羽ばたく。鳥がついたところはサーカスのテント、そこに幼い頃の彼、フェニックスがいる。口のきけない女性アルマが、サーカス団の調教師に火のついた縄の上を綱渡りするように命令されている。アラジンという小人の芸人がそれを見つめ、少年のフェニックスが彼女を見つめる。

 

ここに新興宗教の教会が取り壊される現場がある。その教祖は両手をもぎ取られた処女を聖女として崇めることをしていたが、司教がやってきて、それは邪教だと教会を取り壊させる。その教祖はサーカス団の団長の妻である。

 

フェニックスの父親はサーカス団の団長で、母は団長の妻で、髪の毛でぶら下がる芸を持っている。団長は、全身刺青のナイフ投げの芸人の太った女と浮気をしている。何度か母が咎めるがそのたびにかわされている。ある時、母が芸をしているときに、団長がその女と抱き合っているのを見つけ、母はナイフを持って襲いかかる。その前にフェニックスをトレーラーハウスに閉じ込める。母は、団長の股間に薬品をかけ、女を殺す。団長は襲ってきた母の両腕を切り落として殺してしまう。自らも死んでしまう。

 

やがてフェニックスは青年となる。彼は、両手のない母が芸をしている小屋に行く。そこで、母の腕となって芸を披露するようになるが、次第に母に征服され始める。そして、フェニックスが女性に気を惹かれると、母はフェニックスの手で、その女を殺させるようになる。母の嫉妬であり、フェニックスという腕を取られることを防ぐことでもあった。

 

殺した女は、フェニックスが穴を掘って埋めている。ある時、フェニックスは街で、靴磨きをしているアラジンを見つけ自宅に招く。さらにアルマも発見する。フェニックスの母はアルマを殺そうとするが、フェニックスは必死で抵抗し、逆に母を殺す。しかしそれは幼い日、トレーラーハウスから見ていた死んだ母への想いから生まれた幻覚だった。アラジンも消えてしまい。全てがフェニックスの幻覚とわかり、アルマと共に外に出ると警察が待っていた。フェニックスとアルマが手を挙げて映画は終わっていく。

 

カーニバルのような雑踏にもみくちゃにされる場面や、やたら太った女性がでてきたり、サーカスが舞台になっていたりと、明らかにフェリーニの世界である。ただ違うのはグロテスクな場面が随所に盛り込まれているところでしょうか。それでも、映画作品としての全体の仕上がりは見事なものであり、監督の才能を実感できる一本でした。

映画感想「約束の宇宙(そら)」「ハンバーガー・ヒル」

「約束の宇宙」

とっても丁寧に作られた作品で、子供を残して宇宙に旅立つ女性の物語で普通の映画ですが、不思議なほどに心に響かせてくれる作品でした。監督はアリス・ウィンクール。

 

主人公サラが宇宙飛行士の訓練を受けている場面から映画は幕を開ける。シングルマザーで、一人娘ステラは発達障害なのか幾つかの認識障害をもっているが明るく元気で母を慕っている。そんな時、サラはプロキシマと名付けられた火星探査のミッションのクルーに選ばれる。子供時代からの夢が叶うと嬉々とする反面、一年近く娘と離れることの抵抗もあった。

 

ステラを元夫に預けてサラは過酷な訓練に入る。そしてステラと、発射前のロケットを一緒にみにいくという約束を交わす。娘のことが気がかりで一時も気を許せないサラだが、訓練も進み、出発の日が近づいてくる。映画は、離れた娘のことが気がかりな母の姿と母を慕うあどけない娘のシーンを交互に描きながら、大きなミッションの背後にあるドラマを描いていきます。

 

そして、いよいよ出発の日が来ますが、ステラは飛行機に乗り遅れ、サラの元に着く頃にはサラは隔離スペースに移動していた。ガラス越しにサラとステラは最後の会話を交わすが、去り際に、バイバイママというステラの言葉にサラはある決意をします。

 

深夜、隔離スペースを抜け出し、サラの泊まるホテルに行き、二人でロケットを見に行く。夜明けに浮かぶロケットを二人で見た後、ステラを部屋に送り、サラは消毒液で全身を満面に洗い、そして他のクルーと発射台へと向かいます。

 

父の肩車でじっとロケットを見つめるステラ、やがてカウントダウンからロケットは発射され、宇宙空間の彼方へ去っていきます。それを見つめるステラのシーンで映画は終わります。

 

エンドクレジットでは、さまざまな宇宙飛行士たちがまだ幼い子供たちと映る写真が次々と写されます。宇宙飛行士も一人の人間なんだとサラに話すアメリカから来たマイクの言葉が蘇ってきます。これという仕上がりの映画ではないけれど、ステラが可愛いし、サラもいかにもな人間として描かず、非常にか弱さを滲ませていることもあって、どこか心に染み渡ります。いい映画でした。

 

ハンバーガー・ヒル

特に主人公というものを設けずに、ほぼ無名の役者を使って、ひたすらベトナム戦争の凄惨さ、無意味さを描いていく作品で、その描写のリアルさはなかなかのものです。面白いとかそういう類の作品ではなく、奇妙なリアル感を見せていく映画でした。監督はジョン・アービン。

 

南ベトナム1969年、ある部隊が北ベトナム軍に囲まれ、ヘリコプターによって救出されるところから映画は始まる。そして間も無く、再びエイショウ・バレイへ派遣されることになる兵士たち。減った兵士は新兵で補われ、再びヘリで向かう。エイショウ・バレイ奪還が任務である。

 

麓のベトナムの女たちを抱き、馬鹿騒ぎをしながらも、ふとしたことで諍いになったりするという一触即発の緊張感に取り憑かれている兵士たち。故郷からの手紙を読み、本国では戦争反対を訴える様が伝わり、現地の兵士たちの姿など蚊帳の外のような世界が伝わってくる。しかし、派遣された兵士たちにとっては、今この状況がそのまま現実だと言わんばかりである。

 

映画は、丘の麓で冗談を言いながら緊張をほぐし、そして丘を目指して上がっていき、仲間が死んではふもとに戻り、また丘の上を目指すという繰り返しを描きながら、味方のヘリにさえ誤射されたりしながら、凄惨な状況を繰り返す様が描かれていきます。

 

そして次々と仲間を亡くしながらも20日間戦い、とうとう丘を奪取して映画は終わっていく。そこにあるのは、虚しさ、脱力感のみ、達成感などというものはない。映画はこうして終わります。

 

馬鹿を言ってははしゃいでいる場面から一転して丘へ向かう兵士たち、それが繰り返される映像展開に見ている私たちも、その虚しさに打ちひしがれていきます。好みのジャンルではありませんが、一見の価値のある作品だったと思います。

映画感想「ザ・バッド・ガイズ」「街の上で」

「ザ・バッド・ガイズ」

お世辞にもよくできた映画ではないし、ツッコミどころ満載の脚本ですが、これが韓国映画という典型的な作品でした。こういうのを作らせると香港映画はうまかったのですけど。監督はソン・ヨンホ。

 

刑務所で服役しているウンチョルがミシンをかけている場面から映画は始まる。かつて、一人で縄張りを制圧したという男で刑務所内でも一目置かれている。そんな頃、護送者が覆面集団に襲撃される事件が起こる。

 

かつて、犯罪者を組織して特殊犯罪捜査課を作っていたオ・グタク元警察官は再び組織を再結成することを指令される。そして、ウンチョル、天才詐欺師ノスン、元警官ユソンらを減刑を条件に引き入れる。

 

あとはひたすら派手なアクションで、ストーリーテリングなどそっちのけであれよあれよと展開していく。そしてどうやら警察長官と日本のヤクザが絡んだ麻薬と臓器売買の犯罪が絡んだことが見えてきて、そのアジトに突入したグタクらが敵を退治して映画は終わる。

 

マ・ドンソク扮するウンチョルが主人公なのだろうが、全く引き立てた演出を行っていないので、ただのスター映画で走っていく割り切りはなかなか頭が下がります。しかも、クライマックス、全く銃が出て来ずに肉弾戦で結局悪者を倒してしまいますが、踏み込んできた警官は皆銃を持っているという矛盾もまた楽しい。

 

まあ取り立てるほどの映画ではないけれど、韓国映画の色は楽しめた作品でした。

 

「街の上で」

期待通り、とっても洒落た素敵な映画でした。やっぱり今泉力哉監督作品はこうでないといけません。さりげないけれどどこか身近でどこか寓話的な会話シーン、それとなく絡んでくる小さなエピソード、何かを予感させる本当にたわいのない小道具の数々、二時間以上あるのに全然退屈しないし、微笑ましい感じの笑いも出てくる。いい映画に出会いました。ますます今泉力哉監督ファンになります。

 

次々と本を読む人の場面から映画は始まる。荒川青の部屋で、彼女の川瀬雪が、別れ話を持ち出している場面から物語は幕を開ける。雪の誕生日ケーキが置かれていて、どうやら誕生日らしい。雪の言葉に青はわかれたくないと食い下がる。雪は別に彼氏ができたと言って後へ引かない。

 

カットが変わる。古着屋に勤める青だが、この日一組のカップルが服を選んでいる。男の方がこれから告白に行くのに服を選びにきていて彼女ではないが友達がついてきた。しかしこの彼女はこの男が好きらしい。男は、もしこれから告白する相手に振られたら付き合おうと言う。

 

古本屋に青がやってきた。この店の主人は先日亡くなって、田辺冬子が店番をしている。青は冬子とさりげない会話をするが、つい冬子が店の主人と交際していたのかと問いかけてしまい冬子にそっぽを剥かれる。帰ってから反省した青は古本屋に電話をして留守電で謝る。

 

青は行きつけのバーに行く。そこで友人に会う。その友人は役者を始めていて役作りに太っているにだという。青はマスターに雪と別れた話などをする。

 

青がいつものように古着屋で店番をしていると、一人の女性高橋町子がやってきて、自分の映画に出てほしいという。本を読んでいるシーンだけだからというので承諾するが、初めてのことなので、田辺冬子に頼んで、自分の練習を動画に撮ってもらう。

 

撮影に来た青は、そこで雪が大ファンだった間宮武も撮影に参加しているのを知り舞い上がる。そして、間宮と一言二言話をする。やがて撮影が始まるが、ガチガチの青の演技に高橋町子は、一応撮影するがカットを決める。その日、撮影後の打ち上げで、二次会に行く高橋らと離れて帰ろうとする青にスタッフの城定イハが声をかける。そして、控室にも使っていたイハの部屋に行く。そこで、お互いの恋バナに花を咲かせる。イハの二人目の彼氏は関取だったこと、三人目は別れ話をしたが、まだ部屋の鍵を持っていることなどを話す。青は雪のことを話す。

 

青は行きつけのバーにいる。青の友達は酔い潰れている。自分の役が本物の関取に取られたと言っている。

 

雪はまた別れ話をしている。相手は間宮だった。間宮は雪が言っている元彼に会いたいという。雪はその後、青の行きつけのバーに行き、マスターに自分の思いを話す。

 

イハの家、一夜明け青が帰りかけると、玄関にイハの三番目の彼氏が来る。青をイハの彼氏だと思いそのまま出ていく。イハと青が歩いて出てくると、マスターと雪が歩いてくる。青は雪の相手がマスターだと勘違いする。一方雪はイハが青の彼女だと勘違いする。そこへイハの三番目の彼氏が自転車で来て、イハの部屋の鍵を青に渡そうとする。戸惑う青、雪はイハに三番目に彼氏の自転車を取って走り去る。途中警官に止められ、その警官は、映画の前半で青と話をした警官で、青に話したのと同じ、姪っ子が好きだという話をする。それを聞いて、雪は自転車を置いて駆け出す。

 

家に帰った青はかつて作曲した曲をギターで弾いていると、そこへ雪が間宮を連れてやってくる。間宮は納得して走り去る。雪は慌てる青に好きだという。

 

一方、高橋の映画の完成試写がある。終わってからこれを見た田辺が、青が写っていないと高橋に詰め寄るが居合わせたイハが、下手くそだったから切ったと答える。イハは、青の古着屋にやってくる。

 

カットが変わると青の部屋、雪が一人いるが机の上に見慣れないメンソールのタバコを見つける。それは映画の前半で、青がまだ親しくなかった高橋にもらったタバコだった。そこへ青が帰ってくる。冷蔵庫を開けると、冒頭のケーキがまだあった。捨てようという青に雪は食べてみようとつまみ食いし、大丈夫だという。青もチョコをかじってみる。こうして映画は終わっていく。

 

さりげない会話の中にさりげない物語をさりげなく挿入して淡々と描いていく。そこに誰もが身に覚えのある懐かしい物語が見え隠れする。でも全体は一つのフィクションに仕上がっていり。抜群の映像センスと音楽センスで綴られる今泉ワールドがそこにある。良かった。ただ一言良かった。

映画感想「裏アカ」「ドリームランド」

「裏アカ」

もうちょっと斬新で度肝を抜くような映像演出や展開を期待していたのですが、所詮、先の読める脚本とよくある展開、そしてメッセージを訴えかけるだけの力強さのない演出でした。まるでテレビドラマのような古臭いオープニングはさすがにいただけなかった。監督は加藤卓哉。

 

青山のアパレルショップで店長を務める真知子の姿から映画は幕を開ける。何か物足りない毎日、年下の店員からも見下げられたような態度を取られ、何とか彼女を守ろうとする同僚の青年佐伯の言葉にさえなんの感慨も生まない毎日を送っている。そんな時、ふとした後輩の言葉から、裏アカを作る。そして、自分の下着姿をアップしたところ、みるみるフォロワーが増えていく。そんな時、一人のフォロワーからメッセージをもらう。

 

ちょっと興味を惹かれ、何気なく返答し、会うことになった真知子だが、ゆーとと名乗るその青年の屈託のない行動に惹かれ、彼がかつて扱っていた高層マンションの空き部屋でSEXをする。満たされたわけではないものの、何かを掴んだかに思えた真知子だが、ゆーとはそれっきりだと明言して姿を消す。しかし間も無くして、ゆーとが真知子とSEXしている時に撮った動画が送られてくる。顔は写っていなかったが、その動画に何かを触発され、真知子はさまざまな男とSEXを繰り返し始める。しかし、ゆーととの時のようなものはなかった。

 

会社の起死回生を相談された真知子は、かつて自分が提案した企画を取り上げてもらい、取引先に向かうが、そこに勤めている原島という青年と出会う。なんとそれはゆーとだった。何もかもを冷たい視線で見つめるゆーとの言葉にどこか素直に受け入れられない真知子。やがて、真知子の企画の完成パーティーが開かれる。ところがそこでのプロモーションビデオの後、真知子が裏アカで撮られた映像や写真が何者かによって挿入されてしまう。どん底に落ちその場をさる真知子。

 

一方、原島は婚約者と例の高層マンションの部屋にやってくる。そこでSEXを始めるが、真知子が窓ガラスに描いた落書きが浮かび上がり原島は行為をやめてしまう。自宅に引きこもった真知子のところに佐伯もやってくるがドアを開けようとしない。真知子は一人フラフラと外に出る。原島はこの日婚約者とマンションへ荷物を運んでいた。その様子を遠くで見る真知子。夜の街に出た真知子は橋の上から携帯を投げ捨て、そのまま歩き去って映画は終わる。

 

ハイテンポな曲を使って軽快に流れていくかに見えるのですが、どこか澱んでいる。しかも、真知子の裏アカでの行動がバレるという展開もちょっとありきたりで、終盤の映像に何かを伝えようとしているかに見えるのですが、ちょっと弱い。もしかしたらという期待は、ちょっとがっかりという感じで終わりました。まあ、普通の映画という感じです。

 

「ドリームランド」

テキサスで暮らす一人の若者の物語という展開なのですが、あちこちに視点が移って、筋の通らない展開が、結局、もやもやした仕上がりになった感じです。しかも、意味もないスタンダードフィルムを挿入したり、無駄な俯瞰撮影が入ったり、何か意味があるのか派手な砂嵐の場面があったりと一貫性がないあざとい演出が散りばめられて、なんともいえない映画だった。監督はマイルズ・ジョリス=ペイラフィット。

 

主人公ユージンの幼い日々、希望に満ちてやってきたテキサスの地だが、思う夢は見えず、砂嵐を恐れる日々。やがて家庭は崩れ、ユージンの父は出て行ってしまう。そして母はジョージという保安官助手と再婚する。ユージンを慕う妹のフィービーが語り手となって兄の物語を描いていく流れとなる。

 

青年になったユージンは友人と窃盗をしたりして日々を過ごしている。義父のジョージに反抗しながらの毎日だったが、友人はこの村を出ていくことにしたと告げる。そんな頃、銀行強盗をして、幼い少女さえも殺したアリソンが逃亡しているというニュースが入る。彼女を見つけたら懸賞金が入るということで、農場の経営者たちは躍起になる。ところが、ユージンはたまたま農場の使っていない小屋に隠れているアリソンを見つける。半分女性への好奇心もあってユージンは彼女を匿う。

 

アリソンは、銀行強盗で人を殺したのは警察の嘘だという。それが事実かどうかわともかく、ユージンはアリソンを守る決心をする。いつまでもぶらぶらしているユージンにジョージは厳しく当たる。そんなジョージへの反抗もあって、アリソンの言うことを鵜呑みにし、義父のポケットから証拠品庫の鍵を盗み、アリソンの書類を盗んで焼いてしまう。折しも巨大な砂嵐が迫っていた。

 

メキシコに行きたいというアリソンの言葉と、実父がメキシコにいるという噂を信じたユージンは義父の車を盗みアリソンと共にメキシコを目指す。メキシコへ連れて行ってくれたら、ユージンに大金を渡すとアリソンは言うが、ユージンの心はアリソンにどっぷり浸っていた。

 

ユージンらを追うジョージらの車にフィービーも潜り込む。アリソンらは銀行強盗をしようとなって銀行へ押しいるが、ふとしたことでユージンは人を撃ってしまう。自暴自棄になったユージンは車を降りるが、逃げないといけないと言うアリソンはユージンと言い争いになる。そこへジョージらが追いつき銃を向ける。逃げるユージンらだが、ジョージの銃がアリソンを捉える。死んだアリソンを残し、ユージンは車で逃げて行って映画は終わっていく。

 

ジョージは本当はユージンを息子として愛していたし、家族のために必死でやっていたのかもしれない。結局ジョージとユージンの父息子の確執の物語だったのかもしれない。などと、色々憶測すればそれはそれでお話が見えるのかもしれないが、どうも散漫な仕上がりです。フィービーの存在が無理矢理感があるし、そのほか色々なシーンがとってつけたように見える。そんな映画でした。

映画感想「アンモナイトの目覚め」

アンモナイトの目覚め」

地味な作品ですが、いい映画でした。レズビアンシーンを上品に描いているのがいいです。この監督の前作がゲイで、今回はレズ、絵作りは美しいので見応えはありますが、主人公の二人のみに偏った演出なので、折角の脇役がサラッと流したために映画全体はあっさりしたものに仕上がっています。監督はフランシス・リー

 

大英博物館に一つの化石が運び込まれる場面から映画は幕を開ける。採掘した名前を外して寄贈者の名前に変える。時代は1840年代、女性が軽んじられていた時代である。世間とのつながりを絶って海辺の街で化石を売りながら細々生活しているメアリーのシーンに画面が変わる。この日も泥だらけになりながら浜辺で化石を掘り出していた。メアリーは母と二人暮らしだが、母は過去に八人の子供を亡くして感情をなくしていた。

 

そんなある時、突然化石蒐集家の夫とその妻シャーロットが訪ねてくる。そしてその夫は、妻が鬱なのでしばらくここにおいてほしいと言って去ってしまう。メアリーは、わずかなお金をもらいシャーロットの面倒を見ながら化石を掘る。シャーロットは裕福な家庭で、メアリーのやることなすことに役に立たなかったが、持ち前の明るい性格が次第に出てきて、メアリーと化石を掘りにいくようになる。そして、シャーロットが見つけた大きな石をメアリーと一緒に掘り出したりする。ある時、シャーロットが高熱を出し、メアリーが献身的に看病をする。これまで殺伐とした生活をしてきたメアリーは、次第にシャーロットに友情以上のものを感じ始め、シャーロットもまた、自分を蔑む夫にはない暖かさを感じて惹かれ始める。

 

間も無くして、シャーロットの夫から手紙が来る。それは戻っておいでということだった。その日、シャーロットとメアリーは全裸になって体を合わせる。そして、シャーロットが去って少しして、メアリーの母は亡くなってしまう。一人ぼっちになったメアリーにシャーロットから手紙が届く。メアリーはシャーロットの申し出にロンドンを訪れる。しかし、シャーロットはメアリーに部屋をあてがい、衣服を用意して一緒に住もうと提案する。不意の提案に、とまどいながらも、メアリーは、シャーロットの元を離れ、大英博物館へ向かう。そこには、かつて自分が発掘した恐竜の化石が展示されていた。

 

複雑な思いで化石を見つめる目の前にシャーロットがいた。こうして映画は終わる。果たしてメアリーはシャーロットの申し出を受けるのか、この余韻のある終わり方が実にいい。とにかく静かで地味な作品ですが、いい映画でした。メアリーに何かと声をかける近所に老婦人や、シャーロットの夫、メアリーの母の描写がほとんどなく、あえてしていないのかもしれないが、もう少し描写しても良かったのではないかと思いました。

映画感想「BLUE ブルー」「パーム・スプリングス」「レッド・スネイク」

「BLUE ブルー」

特にキレのある演出でもなく、淡々と描いていく空気感が、かえって映画自体をとっても魅力のあるものに変えていく。ボクシング映画なので、それなりの熱さを期待するにだが、この映画はそこを目指すのではなくて、あまりにも普通の日常的な空気感で描いていくために、三人の青年のほんのひとときの青春がくっきりと浮かび上がるのです。傑作とかそういうわけではなく、見ていてとっても良い感じを体験できる一本でした。監督は吉田恵輔

 

一人のボクサー瓜田がこれから試合という場から映画は始まる。友人で、ボクシングの才能がある小川がさりげなく瓜田のテーピングをする。そして物語は少し遡る。瓜田は何度試合をしても負け続きなのだが、彼が誘った小川はみるみる才能を見せて、まもなくタイトルマッチが見える位置にいた。しかし、小川は、脳への衝撃から、脳に障害が出始めていて、時々、物忘れしたり頭痛、平衡感覚の乱れなどがあった。小川の恋人で、かつては瓜田の彼女だった千佳は、瓜田を通じて小川に検査を勧めさせる。そして、ボクシングを続けることは厳しいという診断が出るが小川は辞めることがなかった。

 

そんな時、職場でいい格好をしたいために瓜田らがいるジムに楢崎という青年がやってくる。格好だけできればいいという楢崎に瓜田は真面目に教えていく。やがて、ボクシングの魅力に惹かれ始めた楢崎は、本気で練習を始め、やがてプロテストに合格する。一方、小川はチャンピオンタイトルマッチの試合が決まる。

 

やがて、試合の日、瓜田は、デビュー戦だというロートルのボクサーに負けてしまう。しかしそのボクサーはキックボクシング経験のあるベテランだった。一方小川は、タイトルマッチに勝ち、ついにチャンピオンになる。楢崎もプロデビュー戦に出るが、無様に負けてしまい落ち込んでしまう。

 

祝宴の席でクダを巻く楢崎を癒す瓜田、帰り道、瓜田は小川に、本当はずっと負けて欲しかったとつぶやく。そして瓜田は引退する。楢崎は瓜田の挽回戦で、瓜田を倒したボクサーとの試合を無理やり決めてもらう。そんな楢崎に瓜田は自分の試合経験とアドバイスを書いたノートを渡す。

 

やがて、試合、楢崎は善戦するも結局判定負けしてしまう。一方の小川の試合は、勝利一歩手前で怪我によりレフリーストップがかかる。小川と千佳は結婚し、楢崎は相変わらずジムに通う。

 

引退した小川だが、やはりボクシングへの想いは忘れられず、また朝のランニングをする。そこへ楢崎も加わる。瓜田は市場で働いていた。ふとした時にボクシングを思い出し、シャドウボクシングを始めて映画は終わっていく。これという劇的な物語はないし、小川の病気は結局どうなったのかという脚本も気になる。三人の物語に千佳が絡むという展開は面白いのですが、もう一歩物足りなさというか描ききれない弱さも見えなくもない映画でしたが、見ていて感じいるものが見える映画でした。

 

「パーム・スプリングス」

お話はファンタジックでロマンティックを目指したのでしょうが、どこか物語の整理ができていないのか、納めどころが見えなくなってきて、無理矢理感が終盤が見えてきたのがなんとも残念。面白いの一歩手前という出来栄えのラブコメでした。監督はマックス・バーバコウ。

 

ヤギがいる山に突然地震が起こって地割れがして、そんな夢を見たナイルズがベッドで目を覚まして映画が始まる。傍に恋人のミスティがいるが、なんともいけすかない女である。この日、友人の結婚式にやってきたのだ。パーティの席で新婦の姉サラに惹かれたナイルズは猛烈にアタックし、あわや体を合わせるかというところで突然現れたロイという男にナイルズはボーガンで矢を射られる。なんのことかわからないサラだが、何やら洞窟の方に逃げるナイルズを追っていくと、突然ベッドで目を覚ます。なんと時間が遡り結婚式の朝に戻っていた。

 

サラはナイルズに詰め寄るが、ナイルズはもう何回もこのタイムループを繰り返しているのだという。ナイルズを殺しに来るのがロイなのだ。しかも、サラが洞窟へついてきたので二人でタイムループをする羽目になる。こうして死んでは元の朝に戻るを繰り返しながら、次第にそれを楽しみ始めるが、サラはこのタイムループからぬけだしたいと考えはじめる。そして、車を運転していてついてきた警官の車に乗っていたロイを轢き殺す。

 

ベッドで目を覚ましたナイルズはサラがいないことに気がつく。どこを探してもサラは見つからない。そんな頃、ナイルズとは別に目覚めたサラは、タイムループから抜け出す方法をオンライン授業で勉強し始める。何度も何度も時間を繰り返しながら勉強し、ついにその方法を発見し、ヤギでテストをする。

 

そして、ナイルズの前に現れたサラは、タイムループを抜け出そうと提案する。それは洞窟に入って一定のタイミングで爆死すればいいのだという。今の毎日で構わないというナイルズに、サラは一人洞窟へむかう。しかし、サラを愛していたことを知ったナイルズはサラを追いかけ、二人で洞窟へ入っていき爆死する。

 

冒頭シーンよろしくプールで浮かぶ二人のショットから、結婚式、そしてパーティへとすすむ。その席に現れたロイがナイルズに話しかけるが、ナイルズはロイのことは覚えていなかった。こうして無事タイムループを抜け出して映画は終わっていく。

 

コメディ部分の展開が少し弱い上に、ナイルズとサラが本気で惹かれ合う流れがもう少し見えたら、ラストは感動したところです。ビッチのミスティなど脇役をもう少し面白く描けば主役が引き立ったのに、結局、ロイの描写も、子供ができて平和に暮らす場面のみで後は謎のまま。あえて省略したのかもしれないが、描くべきは描いたらもっと面白くなったように思います。

 

「レッド・スネイク」

これはなかなかクオリティの高い見応えのある映画でした。アラブ諸国の宗教的なことや民族間の諍いは何度見ても理解できませんが、それを差し置いても、ストーリーテリングがしっかりしていて、実話とはいえ、引き込まれる映像作品でした。監督はカロリーヌ・フレスト。

 

真っ赤な花のクローズアップから広がる緑の草原、仲睦まじく遊ぶ少年少女たちの場面から映画が幕を開けます。このオープニングが実に上手い。そして、わずかな兵士に守られたヤジディ教徒の村の場面に移る。平和に暮らすザラらの家族の場面から、やがて村を守っていた兵士が去り、ISの兵士たちが村を襲う。ザラの父は射殺され、ザラらも拉致されていく。そして、弟と引き離されたザラは、ISの指揮官に買われていく。ザラは、外に出るチャンスを使って携帯を手に入れ、助けを求める。そして村はずれまで来た男の車で脱出するが、途中、難民たちを襲うISの車らと遭遇。ところがそこにクルド人を支援する連合軍の中にある女性のみの特殊部隊 蛇の旅団 が現れ、難民を助ける。

 

難民キャンプにきたザラは弟を探すために蛇の旅団に志願する。そして、とある村でISと戦闘をした蛇の旅団は、そこでかつてザラを買ったISの指揮官を拉致することに成功し、ISの指導者の居場所を突き止めるが、ザラの弟は洗脳されて体に爆弾を巻きつけられていた。蛇の旅団は巧みに変装して連合軍とISの本拠地へ突入、蛇の旅団のメンバーも飛翔しながらも指導者を追い詰めていく。しかし、洗脳されたザラの弟が目の前にいた。ザラは必死で弟の心を呼び戻し、無事救出、指導者も倒してしまう。

 

映画は戦勝祝いに歓喜する人々の場面で終わっていくが、ダイナミックなカメラワークと真上から捉えるショットを巧みに組み合わせた娯楽性の高い演出を施しながら、民族の争いや宗教問題をしっかりと描いた演出はなかなか見応えがあります。蛇の旅団の訓練シーンや新兵がやってくるエピソードなど、必要かと疑われる部分もあり、傑作とはいえないかもしれませんが、なかなかの作品だったと思います。

映画感想「21ブリッジ」「ザ・スイッチ」「砕け散るところを見せてあげる」

「21ブリッジ」

これは面白かった。スピーディな展開でぐいぐいと引っ張っていくうちに背後に埋め込まれた真実が次第に見えてくる構成の見事さ、そして一つ一つの動きをきっちり演出したリアリティ、時間と場所を制限した緊迫感あふれる脚本、ひさしぶりに警察アクションの傑作に出会いました。監督はブライアン・カーク。

 

一人の警官の葬儀の場面から映画は幕を開ける。その場に一人の少年アンドレがいた。そして19年の時が流れる。アンドレは警官となったものの、犯人をこれまで八人撃ち殺してきたことで内務委員会の諮問を受けている。そんな頃、マイケルとレイの二人の男がとある店に侵入する。その店にあるコカインを強奪するためだが、情報では30キロほどのはずが、入ってみると300キロものコカインを発見、冷静なマイケルは何かがおかしいと感じるが、今更引き下がれずにとりあえず50キロを奪う。ところが突然、警官数人が普通に訪ねてくる。そしてマイケルらと銃撃戦になる。応援に来た警官とも銃撃戦を交えて警官8人を殺しマイケルらは逃亡。コカインを金に変えるために売人の元締めを訪ねる。そこで手にした百万ドルを資金洗浄するための人物を紹介される。

 

一方ニューヨーク市警85分署では、警官を殺されたことで、総動員で犯人を追い始める。アンドレは麻薬捜査官のフランキーと組んで犯人を追う。犯人がマンハッタン島へ逃げ込んでいることを突き止めたアンドレは21ある橋を全て閉鎖させ、犯人をマンハッタン島へ閉じ込め追い詰めていく。マイケルらは資金洗浄してもらうため、その人物を尋ねるが、突然警官が踏み込んできて、その資金洗浄人を殺す。資金洗浄人は死ぬ間際マイケルにUSBを託す。

 

次々と警官の先走りに憤りながらアンドレたちはマイケルらを追い詰めていく。このスピード感がたまらないほど面白い。しかし、なぜ警官が総動員してくるのかどこか違和感を持っていた。そして、マイケルらを追いつめた時、アンドレは、謎のUSBの存在を知る。しかも、300キロあったコカインも謎だった。アンドレはマイケルらを生きたまま逮捕して、真相を明らかにしようとするが、レイは撃ち殺されてしまう。アンドレは必死でマイケルを追いかけ、地下鉄内で追い詰め、逮捕寸前、フランキーがマイケルを撃ってしまう。アンドレは死ぬ間際のマイケルからUSBを手に入れる。そこには85分署の警官の汚職の資料が入っていた。

 

アンドレは85分署の所長マッケナを追い埋めていくが、他の警官が襲ってくる。85分署では署長以下がコカインをパトカーで運び、その金庫として、マイケルらが襲った店に隠していたのだ。マッケナらはコカインで手にした金で生活を潤わせていた。アンドレは、襲ってきた警官らを倒すが、USBの内容は既に公表していた。フランキーも仲間だったが、アンドレはフランキーを説得し、無事逮捕して映画は終わる。

 

とにかく、中盤までの展開のスピーディさは見事というほかないし、どこか違和感を覚え始める後半から真相へ向かうラストも見事。警官らの仕草や動き一つ一つの動作も実にリアルに演出されている。久しぶりに傑作を見た感じです。

 

「ザ・スイッチ」

普通のB級ホラー、驚くほどの展開や映像もないけれど、退屈せずに面白かった。もうちょっとテンポの緩急がうまくできてればもっと面白かったかもしれないけど、十分なエンタメ映画でした。監督はクリストファー・ランドン。

 

11日の水曜日に夜、ある家の庭で二組のカップルが喋っている。その家の主人はなぜかホラーグッズのコレクターらしく、ラ・ドーラの短剣というのが保管してある。という伏線から映画は始まる。そこへ突然現れた覆面の殺人鬼ブッチャーが4人を惨殺する。ラ・ドーラの短剣が彼を呼び、ブッチャーは探検を持って逃げる。

 

12日の木曜日、殺人鬼が徘徊しているという情報が流れる中、何をやっても鈍臭い女子高生のミリーは、大学進学の内心のためにぬいぐるみを着てチアリーダー部に所属していた。この日も部活を終えたが、迎えにくるはずの母は飲んだくれて来ない。姉で警官のシャーリーンが迎えにいく。待っているミリーの前にブッチャーが現れる。そしてラ・ドーラの短剣でミリーを刺すが、シャーリーンが駆けつけブッチャーは逃げる。

 

ところが13日の金曜日に日付が変わるとなんとブッチャーとミリーの体が入れ替わってしまう。しかも、ミリーの体になった殺人鬼はミリーに近づく奴らを惨殺していく。ブッチャーの体になったミリーはなんとか親友に自分が入れ替わったことを証明して、ラ・ドーラの短剣の秘密を見つける。なんと二十四時間以内にもう一度刺さないと元に戻れない。

 

警察署に保管された短剣を取り戻す作戦とミリーの体になったブッチャーを再度刺すための作戦を実行していくミリーたちのドタバタ劇が後半の見せ場になる。そして、なんとか短剣を手に入れ、ブッチャーを拉致したが、すんでのところでブッチャーが逃亡、なんとかミリーたちが追いついてミリーはブッチャーに短剣を突き刺し入れ替わると同時にシャーリーンの銃弾がブッチャーを捉える。

 

しかしブッチャーは瀕死の重傷の中救急車に乗せられていく。自宅に戻ったミリーだが、なんとブッチャーは生きていて、ミリーたち家族に迫ってくる。シャーリーンや、飲んだくれのミリーの母らとブッチャーが格闘の末、ついにブッチャーを倒して映画は終わっていく。

 

まあ、よくある展開のホラーという感じで、名作「ハロウイン」を模したり、「13日の金曜日」を模したりと、好き放題な作りが楽しい一本。これという秀でたものはないがまあ面白かった。入れ替わりと元に戻るところにもうちょっと工夫があればもっと良かった気もします。

 

「砕け散るところを見せてあげる」

何もかもセリフで語ろうとするだらだらした脚本と、意味のない長回し、くどくどする演技演出で、しかも後半妙にシュールなのだが、結局何を描こうとしたのか全く見えない映画だった。ストーリーの緩急も構成もうまくまとまっていない。せっかく芸達者を揃えたのに宝の持ち腐れ映画だった。監督はSABU

 

一人の少年が自室でヒーローの真似事をしていて母に見つかる場面から映画は始まる。そしてとある高校。一人の男子生徒三年の濱田は、遅刻寸前で学校へ飛び込んでくる。既に校内集会が開かれていて、とりあえず最後尾、一年生の後ろに立つ。ところが一年生の一人の生徒がいじめられている様子を目撃、かねてからヒーローになることを母に教えられていた濱田はその女子生徒を庇おうとするが、逆ギレされてしまう。それでもその女子生徒蔵本のことが気になり、何かにつけ注視するようになる濱田は一年生から噂にされていく。

 

ある時、帰り道で女子トイレが使えなくなっているという噂を、同じクラスの女生徒尾崎の妹から聞き、気になった濱田が女子トイレを見に行くと、用具入れに監禁され、びしょ濡れになっている蔵本を見つける。濱田は彼女を助け出し、服を乾かしてやって家に返してやる。

 

それから濱田は毎朝、蔵本を待って学校へ行くようになる。ある時、学校帰りに濱本の家に寄った蔵本は帰りが遅くなり濱田の母に車で送ってもらう。蔵本の父は蔵本が7時までに帰ってこないと心配するからだという。ところがたまたま前に蔵本の父の車を見つける。濱本も濱本の母も蔵本の父に挨拶をするがどこか奇妙な感じがする。それから蔵本が学校に来なくなる。

 

濱本が蔵本の家に行っても、誰もいない風で、心配していると、濱本の家に夜蔵本がやってくる。そして危険が迫っているから逃げろというが、どうもこの辺りの緊迫感が全然見えない。蔵本は父の暴力であざだらけだった。蔵本の祖母は父に殺されトランクに入れられ沼に沈められたのだという。その話を聞いた濱本は蔵本と沼に行く。て、なんで先に沼に行くの?この展開がよくわからないほどにチグハグである。

 

一方、蔵本の父は濱本の母が勤める病院の前で待ち伏せしていたが戻ってくる。これもまたチグハグ。沼では濱本が引き上げたトランクは蔵本の母のもので、母も殺されたらしいとわかる。ここまで来るともうドタバタ劇である。二人が蔵本の家に行くと、蔵本の父の車が止まっていて、濱本らはその父に襲われ瀕死の重傷を負う。蔵本の父は濱本らもろとも焼き殺そうとするが、蔵本が意識を取り戻し、父を殴り殺す。

 

濱本は病院で目を覚まし、蔵本はどうなったのかわからないまま、シュールな展開へ。やがて濱本は大人になり結婚し、子供ができる。何故か、濱本の父と同じように濁流に飲まれる人を助け出そうとして流されてしまう。冒頭の少年は濱本の息子だった。ヒーローはUFOを撃ち落とさないといけないみたいなセリフが何度も出てきて、ラストはUFOが落下していく映像などもある。で、結局なんなのだというかラストシーンで、映像自体が全然テンポに乗ってこない上に、何もかもがだらだらしている。最悪に映画だった。