くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「MIRRORLIAR FILMS Season1」「THE GUILTY/ギルティ」

「MIRRORLIAR FILMS Season1」

短編映画制作を応援するサービス「ミラーライアー」によるプロジェクトの第一弾。どれもこれも個性に富んだ自主映画調で、期待以上に楽しめました。どれがどういう話という具体的なものもあればシュールな物、風刺の効いた物など様々で全九話楽しめました。

「さくら」(監督安藤政信)

遺骨を収める場面から始まり、何やら肉を食う場面から、シュールな映像が続き終わっていく。

「Petto」(監督枝優花)

憧れの幼馴染の女の子に再会した主人公は、その子に案内されるままにその子が飼っているペットのところに行ってみると、なんとそのペットは、先日国会答弁で苦し紛れに答弁していた総理大臣だった。

「暴れる、女」(監督武正晴)

何かの事情で刑務所にいた一人の女が出所してくる。弟分のような男が迎えに来て、女が行きたいところへ向かう。そこで大暴れする場面で、物語は続くとエンディング。

「INSIDE」(監督花田陵)

危険だからと家の外に出てはいけないと厳しく育てられた一人の女性。しかし、疑問に思った彼女は母の制止も聞かず外に飛び出すと、公園で音楽を奏でるミュージシャン。そこに行って少女と目を合わせてエンディング。

「inside you」(監督三吉彩花)

自分のしたいことがわからない主人公は、河川敷でクラシックバレエをする少女を見つける。

「無事なる三匹プラスワン コロナ死闘編」(監督山下敦弘)

浜辺で屯する今や中年の男三人、そこへ精力十分なもう一人の男が三人の水着美女を連れて戻ってきて、みんなで飲みに行き、結局金をおごらされただけのユーモア満点の一本。

「充電人」(監督西遼太郎)

突然、目覚めたらへそのところにコンセントがついていて電気人間になった青年は、憧れの彼女とデート。ところがふとしたハプニングで素性がバレるが、実は彼女はコンセントプラグ人間だった。めでたしめでたし。

「B級文化遺産」(監督針生悠伺)

スケボーをしている青年がたまたまマンホールの上に止まると、それはB級文化遺産だと警告が流れ三分間攻撃され、最後の最後間一髪で助かる。

「無題」(監督藤原知之)

主人公は、ある日出会ったホームレスの少女を題材に映画を作り成功するが、実は気付かないうちに歪んでいた自分に気付かされる。

 

「THE GUILTY/ギルティ」

デンマーク映画のリメイクですが、個人的にはこちらの方が深みがあって傑作だったように思います。オリジナル版は電話の向こうのサスペンスが中心でしたがこちらは主人公ジョーの人間ドラマにも焦点を当てていたので全体に深みが出たのかもしれません。いずれの作品も傑作であることは変わりはないのですが。監督はアントワン・フークワ。

 

未成年者の被疑者を射殺した事故を起こしたジョーは今は閑職に回され緊急通報のコールセンターにいた。妻とも疎遠となり、娘に会いたくても会えない日々もあり苛立つ毎日である。この夜、山火事が起こり警察署内もコールセンターも錯綜していた。明日はジョーの公判が予定されていて、相棒のリックには口裏を合わせて何とか過失になるようにする手筈だった。

 

そんな時、エミリーという女性からの緊急通報を受信する。どこか普通とは違うと察したジョーはエミリーからの電話を注意深く聞き取る。どうやらエミリーは車に拉致されていて、どこかに連れて行かれる途中らしい。犯人は夫のヘンリーで、ジョーが調べたところでは、前科のある暴力的な男だとわかる。エミリーとの会話が途切れた後、ジョーは緊急連絡先である自宅に電話をしてみると6歳のアビーという少女が出る。赤ん坊の弟オリバーは奥で眠っているが、パパがママを連れ出してしまったと言う。ママに会いたいと叫ぶアビーにジョーは必ずママを返してあげると約束する。

 

交通警察も錯綜してなかなか拉致された車が見つからない。苛立つジョーはアビーのところへ警官を向かわせる。一方別居しているらしいヘンリーの家に元相棒のリックを向かわせた。ところが、アビーのところへ向かった警官から、オリバーがベッドで生き絶えていると言う知らせが届く。どうやら、ヘンリーが赤ん坊を殺害したと判断したジョーは、エミリーに何とか脱出する手立てを教えようとする。

 

ハンドブレーキを引かせて助けようとしたが、エミリーは荷台へ移されただけになったので、ヘンリーが車を止めて連れ出しに来たところでレンガで殴って逃げるようにアドバイスする。しかし、錯乱したエミリーは大騒ぎを始める。ジョーは必死で宥めようと自分の事件やらを丁寧に話すうちにようやくエミリーは落ち着いてくるのだが、その言葉がどこかおかしいことに気がつく。エミリーは、オリバーの中にヘビが住んでいるので泣き止まなかったのだと言う。そして自分がその蛇を取り出してやると泣き止んだのだと話し始める。おかしいと感じたジョーは、エミリーこそが犯人だと判断する。一方ヘンリーの家に行ったリックからは、たくさんの請求書と精神病院の通知があったと連絡が来る。エミリーは精神病だった。一方、エミリーはヘンリーを殴り倒し何処かへ消えてしまった。

 

失敗したことを知ったジョーはヘンリーに連絡して経緯を知るが、前科もあるヘンリーは警察を嫌い、取り乱してしまった。まもなくしてエミリーからジョー宛に電話が入る。どうやら高速の陸橋の上らしく、自分のしたことが理解できてきたようで、オリバーのところへ行くと呟き始める。自殺と判断したジョーは交通警察に緊急連絡しパトカーを向かわせる一方飛び降りないように説得を始める。ところが話半ばで通話が途切れる。次の瞬間、交通警察からエミリーを確保したと連絡が入り、ジョーは安堵する。

 

リックに連絡をし、解決したと伝え、公判では真実を話すようにと説得する。有罪と決まればしばらく娘とも会えないと考えるジョーは待ち受け画面を見て涙する。デスクに戻ったジョーに、センター長から、赤ん坊は助かったと連絡が入る。ジョーはしつこく連絡してきたジャーナリストに電話をして暗転、映画は終わる。

 

オリジナル版も面白かったが、こちらはラストで、胸が熱くなるほど感動してしまいました。役者の演技力や監督の演出スタイルの違いもあるのでしょうが、主人公の人間ドラマにも深く踏み込んだ視点が映画を厚みのあるものにした感じです。いずれにせよ傑作でした。

映画感想「ディナー・イン・アメリカ」

「ディナー・イン・アメリカ

これはなかなか面白かった。一見、よくあるお話のようで、見ているとどんどんオリジナリティが見えてくる。三つのディナーシーンを画面の区切りにして、主人公たちが少しずつ変化していく様が面白い。しかも、しっかり青春映画として仕上がっているのも良い。掘り出し物でした。監督はアダム・レーマイヤー。

 

治験者としてでしょうか、一人のいかにもパンクな男サイモンが、食堂らしいところで食事をして悪態をついている場面から映画は始まる。斜め向かいにいる女性が挑発的な視線を送る。バイトのようなものだったらしく、思うほど金をもらえず文句を言ったサイモンが外にデリとさっきの女性がいる。その女性に誘われるままにその家に行くが、いかにも上流階級的な物言いばかりする家族に悪態をつき、女性の母親に誘惑されて乗ってしまって逆に家族から罵られ、腹いせに家の前の植木に火をつけ、ガラスを割って外に飛び出し逃げる。

 

ここに、うだつの上がらない一人の女性パティがバス停にいると、胡散臭い若者二人がからかってくる。バイト先でもいいように使われ、結局首になる。家に帰るとまた次の仕事を探さないといけないが、大好きなパンクロックグループ「サイオプス」の曲を聴いて自慰をし、それを写真に撮って大ファンのグループのリーダージョンQにファンレターを出す。

 

一方、サイモンは元々警察から賞金をかけられている上に、先日の騒ぎで警察から目をつけられていて逃げ回っていた。たまたま、逃げている途中で、昼休みで路地で座っていたパティと出会う。そしてパティの家に匿ってもらうことになり、ディナーを共にする。

 

サイモンはパティが首になったバイト先に未払いの給料をもらいに行ったり、パティをからかう青年二人を懲らしめたりする。パティは週末に行われるサイオプスのライブに行きたかった。リーダーのジョンQはいつも覆面をしていたので、まさかサイモンが本人とは知らなかった。サイモンとパティは言い争いながらも次第に惹かれている空気が漂い始める。

 

そしてライブが近づいた日、一軒の邸宅に忍び込んだサイモンとパティだが、実はサイモンの実家だった。そこでサイモンは自分がジョンQだとパティに告白する。そして、パティが送ってきたファンレターに書かれた詩に曲をつける。それはサイモンも驚くほど素敵なラブソングだった。そしてサイモンの家族とのディナーを過ごす。

 

そしてライブの日、パティはサイオプスの舞台を見つめている。しかし、プロデューサーは、大赤字だからと悪態をついていた。突然いなくなるリーダーに愛想をつかせていたバンドメンバーはサイモンに警察の懸賞金がかかってることをプロデューサーに教える。サイモンは駆けつけた警官に逮捕されてしまう。突然のことに戸惑うパティ。収監されたサイモンは刑務所内で作曲を続け、今やパティは積極的な少女に変わり、パティが作詞した曲が流れて映画は終わっていく。

 

スラングばかりで悪態をつくサイモンが、次第にミュージシャンの顔をしてくる展開と、内気で取り柄のない少女パティが次第にパンクになって活動的になっていく展開が次第にラストでまとまっていく流れがとっても素敵な一本で、表現は少し違うかもしれないけれど、ピュアな青春ラブストーリーとも言える映画でした。

 

 

 

映画感想「殺人鬼から逃げる夜「クーリエ 最高機密の運び屋」

「殺人鬼から逃げる夜」

駄作の極みに久しぶりに出会った感じ。何度映画館を出ようかと思うほどにひどい映画だった。状況設定、舞台設定が全然できていないし、登場人物が主人公から脇役に至るまでバカでアホやし、こんな脚本、ど素人でも書かないやろやろと思うほどにそのば限りのダラダラの連続だった。こんな映画買い付けてくる映画関係者の低レベルに参る。最後には、主人公さえも殺されてもいいんじゃないかとさえ思えてきた。最低。監督はクォン・オスン。

 

過疎の町らしく人通りのない風景、ある工場から仕事を終えた女が一人出てくる。え?従業員一人?そこへいかにもな若者、これが殺人鬼なのだが、現れて物語は始まる。殺人鬼の車の中には他にも死体があり、この女も殺されるが、警察が来て、実はこの殺人鬼が通報した?まあいいけど、警官もこの青年はただの発見者という扱いでなんの疑いもしない。アホな韓国警察。

 

ここに今から合コンに行こうというソジュンという女の子。兄のジュンソクは元海兵隊で大の妹思い。兄の心配をよそに飛び出していくソジュン。ここに、耳に聞こえない一人のOLギョンミ。顧客との接待のメンバーに立候補して、セクハラ満載の席で手話で悪態をつく。ギョンミの母も耳が聞こえず喋れない。仕事で貯めたお金で娘とチェジュ島へいく計画があり、娘と夜、待ち合わせる。ところが、殺人鬼のドシク、っていつ名前出たか分からんけど解説によると、はソジュンを刺した直後で、ギョンミとその母を見つける。というか、ソジュンに重傷を負わせて放置って、なんとも中途半端な殺人鬼。

 

車を置いて、母と待ち合わせ場所へ向かうギョンミは、路地でうめいているソジュンを発見、ところがドシクに見つかり追われることになる。一方、妹の帰りが遅いジュンソクは妹を探しに出てきた。ギョンミはなんとかドシクをまいて母のところへ行くが、そこにスーツ姿のドシクが現れる。最初殺人鬼と会った時は帽子とマスクで顔が見えなかったので、ギョンミも気が付かない。さらにドシクは妹を探しているのだといい、駆けつけた警官と派出所へ。ドシクが怪しいと感じるギョンミの母は、手話でギョンミに警告する。そこへ、妹を探すジュンソクが現れる。

 

とまあ、工夫しているのはわかるがなんともダラダラとテンポが悪い。警官が外に出ている隙にドシクに挑発されたジュンソクはドシクと揉み合い、駆けつけた警官に電撃銃で倒されてしまう。一方、ドシクが真犯人と分かっているギョンミたちだが警官に伝わらず、ドシクは警官に見送られて消える。その後真相を知るバカ警官たち。もう最低。

 

家に帰ったギョンミと母だが、ドシクはギョンミを追って家に迫ってくる。何せ、放置された事情聴取の紙を普通に派出所で見てるんだから、なんともお粗末な韓国警察。家に入ってきたドシクは、シャイニングよろしく、斧でギョンミに迫る。脱出したギョンミはドシクから逃げ回る。そこへ、妹を探すジュンソクが駆けつけるが、ドシクに、ソジュンが瀕死だからと居場所を言われ、ピンチのギョンミを見捨ててソジュンがいるという場所へ行ってしまう。え〜?という展開に開いた口が塞がらない。しかも、ドシクに言われた場所はギョンミの家で、騙されたと知るが、普通嘘やよね、ギョンミの母に泣きつかれてギョンミのところへ戻ろうとする。ほんまに、アホやねみんな。何度も殺人鬼の事件が起こってるのに警官全然出てこないし、リアリティなさ過ぎやろ。

 

可哀想なギョンミは健気にも自力でひたすらドシクから逃げる。もう笑い話でしかない。そして、ギョンミは、こちらも健気にドシクの車から自力で逃げ出し隠れている瀕死のソジュンと会い、ジュンソクに連絡するように言って、自分は囮になってドシクからまたまた逃げ始める。そして、街中に飛び出すが、誰もギョンミのことがわからず、最後は、ドシクから隠れていたギョンミが通行人に捕まえられドシクの前に放り出される。韓国人はアホばっかしか。

 

危機一髪のギョンミの前に母が駆けつける。ドシクはギョンミの母に迫るが、母は涙ながらに娘の安否を訴える。このお涙シーンはなんやねん。一方、ジュンソクはソジュンを見つけ、救急車を呼び、ギョンミを探しに街へ向かう。ギョンミは手にしていたナイフを持ってドシクに突進、そして刺したかと思われたが実は自分を刺していて、ドシクが犯人だと身を持って証明して、やっと警官が駆けつけて、狼狽したドシクは撃ち殺されてしまう。チェジュ島でくつろぐギョンミ親子のところにジュンソクらも来てハッピーエンド。

 

もう、突っ込んで笑うレベルではなく、その場限りのエピソードをダラダラ繰り返す駄作の極みの一本で、街の設定やら、登場人物の背景など無視して、稚拙な知識を捻った思いつきも物語を展開させる流れは、もう呆れる以上に腹が立ってきた。最低映画に出会った。

 

「クーリエ 最高機密の運び屋」

これは良かった。傑作です。音楽のセンスがまず良い。そして、シーンのテンポ作りが本当に良くできていて、ゆっくりしたカット割から次第に細かく変わっていく終盤への流れが見事。さらに主演のベネディクト・カンバーバッチの恐ろしいほどの演技力もさることながら、CIA捜査官のエミリーを演じたレイチェル・ブロズナハンが脇を引き締める。クライマックスの脱出場面の緊迫感は半端じゃなかった。監督はドミニク・クック

 

1960年、ソ連の集会でフルシチョフの姿をじっと見つめる一人の男がいた。彼は政府要人の一人でもあるペンコフスキー大佐である。彼は感情的に行動するフルシチョフの姿に危険を感じていた。そんな頃西側が情報を得ていたポポフ大佐が見つかりKGBに処刑される事件が起こる。ペンコフスキーはイギリス大使館職員に一通の封書を託す。そこにはソ連の情報を西側に流すことを匂わせる内容のことがあった。

 

それから四ヶ月が経ち、イギリスでMI6の捜査官ジェームズとCIA捜査官エミリーが密談していた。ペンコフスキーとの接触をするため、新たな捜査官を送るのが難しいというジェームズにエミリーはある提案をする。民間人の素人を連絡係として送り込むというものだった。そして候補になったのが平凡な商社マンだがヨーロッパ各地を飛び回っているグレヴィルという男だった。この辺りの選定の具体的な描写がないのは唯一のこの映画の欠点。商務庁からきたというジェームズとエミリーに会ったグレヴィルは、本当の要件を知り、はっきりと断る。しかし、冷戦の情勢はますます危険な姿を帯びてきていた。

 

一旦は断ったグレヴィルの家を訪ねたエミリーは、核ミサイルの警報が鳴る4分前にシェルターに逃げることは不可能だと告げ、現実を見るように説得する。グレヴィルは家族を守るためにエミリーらの依頼を受けることにする。ソ連の経済情報を手に入れるためと偽ってペンコフスキーに会ったグレヴィルは、ペンコフスキーが手に入れた様々なソ連情報を持ち帰るようになるが、その緊張感から次第に苛立つようになる。

 

そんな頃、キューバに核ミサイルを配置するらしいという情報を手にしたペンコフスキーは、その配備資料を手に入れグレヴィルに手渡す。具体的な配置場所などが記された図面から、各配備の証拠を手にしたアメリカはソ連と交渉を始める。いわゆるキューバ危機である。ところが、ソ連からの情報が極端に増えてきたと不審に思ったアメリカ側に潜入したスパイからの報告で、ソ連の高官はペンコフスキーを疑い始める。そして、仕掛けられたタバコを吸ったペンコフスキーは病院へ入院することになる。さらに、退院後、イギリスの見本市参加に行く予定が却下されるに及んで身の危険を感じたペンコフスキーは亡命を決意する。

 

一方、キューバの図面を持ち帰る仕事を最後にスパイの仕事を辞めたグレヴィルだったが、エミリーらがペンコフスキー亡命のための作戦を知らせる手段を模索しているのを知る。グレヴィルは危険を覚悟でエミリーと再度ソ連に渡り、ペンコフスキーと接触し、脱出の手筈を伝える。そして二人で、ソ連最後の思い出にと白鳥の湖を見に行くが、この時のカンバーバッチの感動する演技が素晴らしい。

 

グレヴィルを空港へ送り出したペンコフスキーは、妻と娘を迎えに自宅に戻るが、すでにKGBが妻子を確保していた。そして、ペンコフスキーもその場で逮捕される。一方飛行機内で待っていたグレヴィルもKGBに逮捕され収監されてしまう。

 

執拗なソ連の取り調べに疲弊していくグレヴィルだが、家族に会うことだけを希望に生き続ける。一方、CIAのエミリーらもグレヴィルを取り戻すべく力を注いでいたが、キューバ危機で譲歩したソ連の反応は厳しかった。一年が過ぎ、KGB側もグレヴィルの前にペンコフスキーを連れてくる。彼は家族を守るために全てを話したが、グレヴィルが持ち帰った物の中身はグレヴィルは知らなかったとはっきり申し立ててくれた。

 

やがて、CIAはソ連のスパイと引き換えにグレヴィルを釈放させることに成功する。ペンコフスキーはソ連で処刑されるが妻子は助かった。グレヴィルは家族の元に戻って映画は終わる。

 

実話とはいえ、映画として、映像表現として見事に仕上がった一本で、音楽も素晴らしいが、カット割が実に上手い。人間ドラマであり、社会ドラマであり、一級品のサスペンスである。傑作でした。

映画感想「総理の夫」

「総理の夫」

久しぶりにテレビドラマレベル以下の凡作を見ました。原作が弱いのか脚本が弱いのか演出にキレがないのか、なんともし難い映画だった。物語の流れも読めるし、登場人物も平凡だし、主人公も際立たない。中谷美紀が出れば相当な映画もそれなりに引っ張り上げるのですが今回は力及ばず、さらに小物の田中圭も何のための登場かと思えるほど残念だった。監督は河合勇人

 

ソウマグループの御曹司で、都内の閑静な邸宅に住む相馬日和が、仕事の一環でもある野鳥観察を家のベランダからしている場面から映画は始まる。北海道へ出張の予定でその準備に嬉々としている日和は出かけに妻の凛子に「私が総理になったら何か不都合がある?」と聞かれその言葉を聞き流して北海道へ旅立つ。

 

携帯も繋がらない先で10日が経ち戻ってみるとなんと妻の凛子は初の女性総理大臣になっていた。内閣広報官の富士宮が日和につき、総理の夫として突然時の人になった日和は戸惑うばかり。凛子は精力的に活動するが、日和は凛子の政敵原の策略でスキャンダルの種を抱えてしまう。しかし、鮮やかに切り抜ける凛子。この辺りの展開は流石に中谷美紀のうまさが光る。

 

しかし、ここから後がいけない。原に敵対した凛子は衆議院解散をし一気に総選挙へ持ち込むが、折しも凛子は妊娠してしまう。選挙は大勝し、第二次内閣として総理大臣になるが、無理が祟り、病院へ担ぎ込まれ絶対安静を言い渡される。焦る凛子だが、日和の言葉もあり一歩下がって冷静になり総理大臣を辞する決意をする。

 

記者会見で発表する凛子の前に日和が駆けつけ、これからも前に進もうという意味の言葉を投げかけて記者団の賛辞を浴びる。そして時が過ぎ、子供も生まれ、凛子が目指した法案も後任者が成立させ、敵対していた原さえも味方になっていた。この弱さ、ゆるゆる感はなんだというクライマックスである。そしてこの日も出張に行く日和を送り出す凛子は「もし総理大臣になったら」という言葉を投げかけて映画は終わる。

 

なんともお粗末な映画だった。中谷美紀どうしたというのもあるが、根本的に原作が弱い上に脚本が荒い。演出も適当な上に面白みがないし、脇役もその場限りの演技で小手先で済ませている感満載。しかも悪人である岸部一徳も凡人だし、凛子や日和を取り巻くファンもしょぼくて見てられない。お金取るなといい言いたくなるような一本だった。

映画感想「MINAMATA ミナマタ」「空白」

「MINAMATA ミナマタ」

なぜ今水俣病の映画?なぜ今ジョニー・デップ?という感じの作品ですが、とにかく映像が抜群に美しいのが妙に心に残ってしまう。ライティングの工夫や構図が下手な芸術映画より美しい。しかも扱うのは水俣病を世界に知らしめた写真家の物語なのだから、悪く言えば妙にチグハグではある。実話という重みよりも映像作りへの力配分が大きい作品でした。監督はアンドリュー・レビタス。

 

かつて名カメラマンとして名を馳せ、ライフ誌を支えてきた写真家ユージン・スミスは、今や酒に溺れる毎日を送っている。ライフ誌の編集者ボブのところに乗り込んでは愚痴を言う場面から映画は幕を開ける。スミスの部屋の背後にブルーの灯が常に配置されていたり、どれもこれも画面が美しい。

 

そんな彼のところに、アイリーンという女性がやってくる。富士フィルムの宣伝に出てほしいということだったが、実の所は日本の熊本県水俣で広がる水銀汚染のついての写真を撮ってほしいというものだった。

 

日本にやってきたスミスはそこで、水俣病に苦しむ人々を目の当たりにしてカメラを向けていくが、チッソ工場の経営陣の妨害が入ってくる。一時はその妨害に耐え切れず弱音を見せるスミスだが、ある家族の水俣病の娘を写真に撮ることで、ライフ誌が大々的に取り上げ、ついにチッソ工場側は賠償金その他を全て受け入れることになる。

 

実話を元にした作品で、そのテーマをしっかりと見せていくべきものだと思うが、必要以上に映像が美しいのが最後まで気になって仕方なかった。さらに登場人物に背景にはあまり力点が置かれていない脚本も微妙に弱い。確かに商業映画なのだから、映像作品としてのクオリティを高めるのも必要だと思うが、一方で、内容によってはそのメッセージ性に演出の力が注がれる必要もあると思う。最後までその疑問が離れられない一本でした。

 

「空白」

人生っていうのはそんな単純なものじゃない、人間というのはそんなシンプルなものじゃない。そんな中で自分たちは生きてるということを実感させられる映画だった。オリジナルでもここまで書ける人がいるんやと頭が下がります。舞台で鍛えた古田新太の極端な演技力がなければ成り立たなかった作品でもあると思います。監督は吉田恵輔

 

漁師の添田充と使用人の青年野木が船に乗っている場面から映画は幕を開ける。気性の荒い添田は野木をボロクソに使い、野木も若干辟易としている。一人娘で中学生の花音と暮らす充だが、父の荒っぽさに花音もやや引っ込み思案で、学校でも目立たない存在だった。ある時、花音はマニキュアを万引きしようとして店長の青柳に止められ事務所に引っ張っていかれる。しかし、花音は逃げ出し、青柳は必死で追いかけるが、道路を飛び出した花音は車に跳ね飛ばされ、さらに反対側を来たトラックに轢き殺されてしまう。

 

無惨な姿になった娘を見て父充は号泣し、一方青柳も目の前で花音が死んだことに複雑な気持ちになる。そんな事件をマスコミは面白おかしく騒ぎ出し、青柳も罪の意識を感じ始めてしまう。そんな青柳にスーパーでパートをする草加部が励ます。一方、仕事が手につかなくなる充は野木を解雇してしまう。そして、充は万引きも信じられない上に、前日相談事があるかの素振りをした娘のことが気になり学校へ乗り込んでいく。さらに充は青柳に付き纏うようになる。次第にエスカレートしていく充の姿にマスコミはさらに騒ぎ立てる。また、花音を最初に跳ねた女性もショックから充のところに謝罪に通うようになる。

 

物語の前半は、モンスターと化していく充の姿と、罪悪感と自信喪失の中沈んでいく青柳の姿を描き、やがて、花音の素顔が充の元妻翔子から聞かされ、さらに花音の私物を見る中で充は何かしら心がほぐされていくようになる。さらに、別の船に乗っていた野木も戻って来る。

 

充は花音の持っていた絵の具で絵を描き始める。そんな頃、とうとう、車を運転していた女性が自殺してしまう。葬儀の場に行った充の前で、女の母が、さらに謝罪をし、充は言葉が出なかった。憔悴していく青柳は自殺未遂を起こし、まもなくしてスーパーは閉店することになる。ゆっくりながら時間が過ぎていた。翔子は、新しい夫との間で新しい命を身籠っていた。そんな彼女に、悪かったと謝罪する充の姿があった。

 

いつものように軽トラで走る充と野木、目の前に道路工事があり、道路整理していたのは青柳だった。充は青柳としばらく二人で話す。充は、どこかに残るもやもやしたものは消えることはないと素直に話す。実は、花音の私物を整理していて、ぬいぐるみに隠した化粧品を見つけたのだ。おそらく万引きしたものだと思った充は黙ってゴミ箱に捨てていた。青柳は充のカバンにつけていた花音のアクセサリーを見て思わず土下座してしまう。

 

青柳が一人で弁当を食べていると一人の若者が近づいてきて、あのスーパーの弁当は美味かったと言って去っていく。どこか救われた気持ちになる青柳。一方、充の元に学校にあった花音の絵が届けられる。開いてみると、充が見よう見まねで描いた絵と似た絵が入っていた。こうして映画は終わっていく。

 

この物語に解決などはなく、これからも青柳も充も生きていく。特に未来が明るいわけでも、希望があるわけでもなく、遭遇した出来事を受け入れたまま生きていく。そんなリアルな世界が見え隠れするものを感じると、本当に、生きていくことはそんなシンプルなものじゃないなとなんとも言えない感慨に耽ってしまいました。不思議にいい映画だった。

映画感想「赤ひげ」「サスペリアPART2」(4Kレストア完全版)

「赤ひげ」

スクリーンで見直すのは何年振りか、しかし恐ろしいほどの傑作ですね。あれだけのエピソードが見事にオーバーラップして一つの物語に終結する脚本の素晴らしさ、庶民の甘ったるいヒューマンドラマではなく、辛辣な視点もあちこちに散りばめられた奥の深さ、感情に素直に訴えてくる感動、そして、演出に余裕を感じさせるユーモア、これが傑作でなくてなんだろう。しかも、村木与四郎の見事な美術セットとそれを有効に活かす画面演出の見事さに、一瞬も画面から気を抜けませんでした。言わずもがな監督黒澤明の代表作の一本です。

 

オランダ医学を身につけて颯爽と江戸に戻ってきた保本が何故か小石川養生所の門を潜る場面から映画は幕を開ける。江戸に戻れば御殿医となり出世街道まっしぐらと思っていた保本が、貧乏人のお抱え医者のようなところに押し込められ拗ねてしまう。ところが敷地内にいる狂女が逃げ出し、ふてくされて寝ている保本の部屋にやってくる。保本を出口に向かって捉えていたカメラが、入り口から入ってきた狂女と対峙して一気に左右に広がる構図にまず度肝を抜かれます。広角レンズの特性、カメラアングルの表現を知り尽くした上での演出がまず素晴らしい。

 

続く、六助の今際の床に立ち合わせられる保本の姿から、佐八を長屋へ連れていくことになり、佐八が語るおとくとの物語で見せる風鈴の使い方、次第に人間として成長していく保本を描きながら、遊郭でいじめられていたおとよの看病から、立ち直らせていくくだり、さらに長次の登場からクライマックスの大団円へ、息をつく暇も与えずにぐいぐいと引き込む展開の凄さ、まさに凄さという言葉がぴったりの迫力に圧倒されていきます。しかも、所々に赤ひげがはにかむような行動でユーモアを盛り込み、映画全体に心地よくテンポを生み出していく。

 

保本が晴れて祝言となり、その席で、御殿医にならず養生所勤めを続けると宣言し、半ば嬉しさを隠せない赤ひげと一緒に小石川養生所の門を潜るエンディングまで、全く隙がないというほかありません。これが黒澤明の力、これが日本映画の底力、そしてこれは映画史に残る名作の迫力なのです。素晴らしかった。

 

サスペリアPART2

40年振りにこの映画を見直すとは思わなかった。犯人はすっかり忘れていたが、断片的にシーンを思い出し、やはりB級サスペンスホラーだったことを思い出すとともに「サイコ」の亜流的な部分もあったなと感心してしまいました。でも、ゴブリンの曲が流れるとやはり懐かしい思いでした。監督はダリオ・アルジェント

 

どこかの部屋、子供の靴、血のついたナイフが床に転がってテーマ曲が始まる。そして主人公でピアニストのマークがピアノを弾いている場面、カットが変わると、透視能力か何かの講演会場、超能力者ヘルガが会場に異常な殺意を感じて怯える。傍に心理学者で研究者のジョルダーニ教授がいる。手洗いで徐にゴミ手袋をする何者かのカット。

 

自宅に帰ったヘルガは、何やら物音に怯え、玄関から入ってきたコートを着た何者かに斧で襲われる。広場に出てきたマークはアル中の友人カルロに出会い、酒をやめるように諭す。次の瞬間悲鳴、そして見上げるとマークの部屋の下の階の窓ガラスに襲われた女ヘルガの姿、そして窓ガラスが割れ、ガラスに喉をつかれて倒れる。慌ててマークがその部屋に向かう。入り口から廊下に入り、不気味な絵がかかる廊下を奥に進みヘルガの死体を発見、窓から見下ろすと酔っ払ったカルロの脇をコートを着た人物が去っていく。

 

絵の中に違和感を覚えたマークは、その謎を解くため記者のジャンナと犯人探しを始める。ところが、マークの行く先々で殺人が続く。ヘルガの言葉をヒントに古い屋敷を探そうとしてアマンダという女性が殺され、その女性が残した浴室のヒントを見つけたジョルダーニ教授も殺される。しかし、マークは見つけた古い屋敷の中で壁に塗り込められた絵を発見、さらに身の危険を感じたマークはジャンナとローマを脱出しようとするが、持っていた屋敷の写真と実際の建物の相違を発見し、もう一度戻る。そして塗りこめられ隠された部屋を発見、中に死体を見つけるが、何者かに襲われ気を失う。気がつくとジャンナがそばにいて、屋敷には火が放たれていた。

 

建物を管理する男の家に行ったマークはそこの娘が描いた絵を見つける。それは屋敷でマークが見つけた絵と同じで、その絵は学校の資料室で見たという。マークとジャンナはその学校へ忍び込み絵を発見、そしてその絵はカルロが書いたものだとわかるが、ジャンナは襲われ瀕死の重傷を負う。さらにカルロに銃を向けられるが駆けつけた刑事に助けられる。逃げたカルロはゴミ収集車に引っ掛けられ無惨な死を迎える。

 

解決したかに思われたが何かおかしい。カルロにヘルガは殺せないと思ったマークは。絵の謎を確かめるために再度ヘルガに家に行く。そこに待っていたのは真犯人のコートの人物、それはカルロの母親だった。彼女は精神的に異常者で、病院に入れようとする夫でカルロの父を殺したのだ。それが冒頭の場面だった。マークはカルロの母と取っ組み合う中、母のネックレスがエレベーターに挟まり、マークがエレベーターのスイッチを入れ、首が締まり引きちぎれた犯人の血溜まりを見つめるマークのカットで映画は終わる。まさに血の惨劇である。

 

建物に平気で侵入したり、学校に不法侵入したりやりたい放題のマークや、警察が最初のあたりだけで後は全然表立って来ない展開、しかもジョルダーノ教授殺害シーンで意味不明な人形が現れたり、アマンダ殺害シーンで人形が吊りされていたりと、これ見よがしの場面を用意するが、これという意味がない無理矢理恐怖を煽る演出はいかにもB級ホラータッチで楽しめる。「サスペリア」のヒットがなければ公開されなかった作品なのですが、見た人は私も含め「サスペリア」より傑作だと考える作品です。楽しめました。

「科捜研の女 劇場版」「ベイビーわるきゅーれ」

科捜研の女 劇場版」

期待もしてないけど、後輩沢口靖子のために見にきた感じですが、これがまた面白かった。20年を超える長寿テレビ番組が初めて映画化という流れの理由がわからないほど面白かった。完璧な勧善懲悪で、味方側に悪者は一人も出ないこと、敵側が悪者であって、どぎつくないこと、何処までがフィクションか分からないほどスピーディな科学捜査映像の畳み掛け、娯楽の王道としての作り方が徹底されている。これが人気の秘密なのでしょうね。今の映画スタッフは勉強しないといけないと思います。監督は兼崎涼介。

 

科捜研のキャストの紹介を手際よく流し、カットが変わって、風丘教授の研究室の窓の外に一人の女性研究員が転落する場面から映画は幕を開ける。そして、その転落が事故か自殺かあるいは殺人かという流れから次の犠牲者が出る。次々と繰り出される科捜研の調査の流れがものすごいハイスピードで展開、間も無くして海外でも同様に転落事故が続く。

 

捜査線上に上がったのは、ダイエット菌と言われる画期的なダイエット法を研究する加賀野教授らのチームの存在だった。しかし、ダイエット菌が自殺する原因となるかどうかの決定的証拠が見つからないまま、主人公マリコたちは、更に次の段階へ分析を進める。この間断のないテンポが実に小気味良い。そして息をもつかせぬ流れと、軽いボケツッコミを繰り返しながら、その真相に迫る中、マリコも殺人のターゲットとなる。

 

マリコのあっけに取られるラストの大芝居を笑う暇もなく、一気に真犯人が暴かれ、加賀野教授の被験者となっていた大学院生が逮捕される。途中のフェイクで出てくる湊准教授もどこ吹く風で、映画は終盤へ進む。そしてエピローグも決して悪人は出て来ない。これで良い。これが娯楽映画の醍醐味です。見終わって気持ち良く劇場を出るのが一番です。楽しかった。

 

「ベイビーわるきゅーれ」

面白いという評判で見にきました。非常にチープな空気感の漂う映画ですが、散りばめられた小ネタがしっかりしてるし、締めるところはちゃんと引き締めている演出が上手い。こういう才能は、キャストもスタッフも育てていかなければいけないと思える一本でした。監督は阪本裕吾。

 

茶髪の女子高生まひろがバイトの面接を受けている。突然切れて、店長を撃ち殺し、店に出てきて向かってくる店員を倒して気がつくと、それは幻想で、店長に採用見送られて帰ってくる。帰ってくると同居人のちさとが待っていて、うだうだの会話。時は数ヶ月前に戻る。実は彼女らは女子高生でプロの殺し屋で、この夜も一人の中年男性を殺して巧みにゴミ箱に隠して何事もなく夜の街へ。しかし、殺された男はヤクザの組員で、組長の娘浜岡ひまりが、殺し屋を探し始める。二人目のターゲットに向かったちひろが捕まり、ひまりらにはめられる。ここのシーンだけ意味がわからない。

 

殺し屋の上司から、卒業後はルームシェアして殺し以外に普通の仕事のつくように指示される。どこか馬の合うような合わないような二人が同居生活を始める。人当たりのいいちさとはすぐにバイトを決めるが、コミ障のまひろはなかなか決まらない。ちさとと一緒にメイドカフェのバイトの面接に行くが、ちさとは決まるがまひろは帰ってくる。

 

ある日、ちさとのバイト先に浜岡の組長らが今時ビジネスを見ると言い出してやってくる。しかしすぐに切れてしまってメイドたちに乱暴しようとしたところでちさとが反撃し撃ち殺してしまう。死体処理を任せて家に帰ると、色々迷惑をかけてとまひろがちさとに謝る。そこへひまりから連絡が入る。ちさとはまひろに助っ人を頼み、ひまりら浜岡組の待つところへ向かう。そして派手にバトルした後ひまりらは全員ちさとらに殺される。殺しの上司が、二人のこれからの話をし、二人は変わりなく部屋のソファでうだうだして映画は終わる。

 

スターも出ていないいかにもチープな空気感が漂うが、ちさとたちがあくまでプロであると言うところを見せる細かい演出が行き届いているし、浜岡の組長の奇妙にクソ真面目な一方で世間知らずのキャラクターも笑える。そのほか小さな小ネタを無駄にせずに散りばめられている脚本も面白い。決して傑作とは言わないけれど、才能がうかがえる一本だと思います。