くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「呪いの家」「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」

「呪いの家」

この時代のホラーのしては、話も入り組んでいてなかなかしっかり作られて面白かった。悪霊があっさりと退散するラストは物足りないけれど、もやのように現れる亡霊シーンやいかにもな叫び声、臭気による恐怖演出など、この作品が最初らしいが、楽しめました。監督はルイス・アレン。

 

崖の上に立つウイングロードの屋敷に主人公のリックと妹のパメラがたどり着くところから映画は始まる。愛犬のボビーが勝手に屋敷に入り、ボビーを追って二人が屋敷に入りその雰囲気が気に入る。窓からは崖を臨む海が広がる景色の描写が実に大きくて美しい。

 

持ち主はビーチ中佐という男性であることを知り、その家に行くと孫だというステラという女性に出迎えられる。彼女は家を売ことに反対するが中佐はさっさと同意してしまう。

 

リックとパメラは早速移り住んでくるが、深夜になると叫び声が聞こえてきたり、二階のアトリエの部屋には、ステラの母メアリがつけてミモザの香水の香りがするようになる。ステラは、リックと親しくなっていくが、ウイングロードの邸宅に来た時に、錯乱して崖から飛び降りかける。リックらは、この邸宅の過去を調べ始める。ステラの主治医でもあるスコットらから、かつてメアリが崖から落ちて亡くなったことを知る。

 

そんな頃、中佐はハロウェイという女性に連絡を取っていた。ハロウェイというのは、かつてウイングロードにいた看護師で今は精神科の療養施設を経営していた。ウイングロードの邸宅で降霊会をしようということで儀式を行うが、成果は十分えられない。そんなことをしたことに、やってきたメイドのリジーは反感を持つ。このリジーの存在は果たして必要なのかと思う。

 

中佐は、ステラをハロウェイの療養所へ送り込む。ステラを助けるべくリックたちはハロウェイの元を訪れるが、ハロウェイはすでにステラを送り返していた。それはステラが美しいことへの嫉妬でもあった。慌ててウイングロードに戻ったリックたちだが、ウイングロードの亡霊に操られステラは崖へと走り出していた。

 

すんでのところで彼女を助けたリックたちだが、病身の中佐がステラを助けるためにウイングロードにきていた。いきなり中佐が病気になる唐突さ。そんな彼らの前にメアリの亡霊が現れる。その中で、実はステラはメアリの娘ではなく、一緒に住んでいたジプシー女の娘であることが判明する。それを知ったメアリが幼いステラを崖から落として亡き者にしようとして自分が落ちたのだ。リックは、これ以上苦しめるのをやめるようにメアリの亡霊に迫り、亡霊は消えていく。

 

というお話だった気がするが、唐突な展開が所々に出てくる上に、必要以上に登場人物が多くて話が混乱しる部分もある。リックは作曲家という設定だが、ほとんど意味をなさないし、ヨットでステラをデートに誘う場面もそこまで必要かという展開。とはいえ、面白い作品にしようという生真面目さが見え隠れする映画で、退屈はしなかった。

 

「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」

これはめちゃくちゃ良かった。まず、絵がとっても美しいし、カメラワークが絶品、しかも、散りばめられた小さなセリフやシーンの数々が実に奥が深くてそれでいてサスペンスフルな展開で物語も面白い。相当にクオリティの高い秀作でした。ラストシーン、一気に胸が熱くなり、しばらく動けませんでした。いい映画を見ました。監督はフィリッポ・メネゲッティ。

 

夜の明かりのカットから暗転して、かくれんぼのカウントする声、森の中、そばに沼らしいものがあり、美しい画面、白い服と黒い服の少女がかくれんぼをしている。白い服の少女を探す黒服の少女だが、見つからず、カラスの鳴き声のようなものを発して探し回る黒服の少女のカットから暗転、タイトル、シーンが変わるとベッドで愛し合う二人の老婦人、おそらく六十歳は超えている雰囲気のレズカップルである。マドレーヌとニナはアパートメントの向かい合わせの部屋にすみ、二十年来愛し合っていた。マドレーヌはアパートを売って、ニナと思い出の地ローマに行こうとしていた。

 

マドレーヌには娘のアンヌと息子のフレッド、孫のテオがいて、この日誕生日のお祝いをする。マドレーヌは娘たちにアパートメントをうることを話すと言っていたが、この日も結局話せなかった。一方、一緒にローマに行くことを決めていたニナは手持ちの貴金属を売ってお金を用意していた。マドレーヌとニナが思い出の曲アイ・ウィル・フォロー・ヒムを流してダンスをする場面が終盤キーとなる。

 

しかし、ニナはマドレーヌが子供たちに売ることを言えなかったことを知り激怒する。その日、焦げついた匂いに気がついてマドレーヌの部屋にやってきたニナはマドレーヌが倒れているのを知り、アンヌに連絡をする。ニナはマドレーヌの容態が気に掛かっていたが、ただの隣人だと思っているアンヌらは詳細を話そうとしなかった。まもなくして退院したマドレーヌだが、脳卒中で喋れなくなり、歩くこともままならなかった。アンヌはミュリエルという介護士を雇って泊まり込んでもらうが、ニナは心配で気が気でなく、持っている合鍵で中に入っては様子を伺う。そして、ミュリエルが首にされるように色々画策を始める。

 

ある時、ミュリエルが留守だと思ってマドレーヌのそばにいたニナは、戻ってきたミュリエルに見つかってしまう。ニナはミュリエルに取引を持ちかけ、追加で金を払うから自分も介護に加わらせようとする。ところが、ミュリエルがシャワーを浴びていた隙にマドレーヌは一人家を出て行方不明になる。ニナやアンヌがなんとか見つけるが、ミュリエルは首になってしまう。

 

アンヌは泊まり込みでマドレーヌの世話を始めるが、ニナはある夜マドレーヌのベッドで朝を迎えてしまいアンヌに追い出される。しかも、ニナは三年程前にこのアパートに来てマドレーヌと知り合ったと言っていたが、二十年前のローマでのマドレーヌの記念写真にニナが写っているのをテオが見つけ、アンヌは二人の関係を知ってしまう。マドレーヌの夫は常に暴力を振るっていたがそんな夫を最後まで愛していた母をアンヌは尊敬していたのだ。しかし、本当は、母はニナを愛していたのだ。

 

アンヌはマドレーヌを老人ホームに移し、ニナから遠ざけてしまう。連絡がつかなくなったニナは必死で探すが見つからず、一方、ミュリエルとその息子が、ニナのせいで首になったから金を払えと脅しにくるが、ニナは追い返す。ニナはアンヌたちの家まで行き、自分達が二十年近く愛し合ってきたことを訴えるが、アンヌに追い返されてしまう。

 

アンヌは老人ホームへマドレーヌを見舞いに行ったが、薬漬けにして治療している老人ホームのやり方に不信感を持ち始めていた。そんな時、マドレーヌは、ホームの電話からニナに電話をする。ニナはその電話から老人ホームの場所を知り、車でホームへ行きマドレーヌに会い抱き合う。

 

アンヌは施設長と治療について話をしていたが、ニナはマドレーヌを散歩に連れ出した時に表の門がたまたま開いているのを見つけ、マドレーヌを連れ出し、二人でローマに行くべく着替えのためにアパートに戻る。ところがニナの部屋はミュリエルの息子によって荒らされていてお金も無くなっていた。呆然とするニナ、マドレーヌはゆっくりとドアを閉める。そこへアンヌが駆けつけ必死でノックをする。カメラは荒らされたニナの部屋をゆっくりと縫うように捉え、やがて二人が、アイ・ウィル・フォロー・ヒムで踊っている場面で映画は終わる。

 

たまらなくよくできた作品で、決して冷たいわけではないものの、最善と思って必死に介抱しているアンヌたちの思い、仕事を見つけて必死で生きているミュリエルの姿、そして、老年となって、レズビアンであることへの後ろめたさと、贖えない恋の思いを貫抜いてくるマドレーヌの姿、そして、過去の何か辛い出来事の中、最愛の恋人を見つけたニナの想い、何もかもがとにかく胸に染み渡るように伝わってきます。絵作りもカメラワークも素晴らしく、音楽の使い方も見事。とってもいい映画に出会いました。

映画感想「マルチプル・マニアックス」「恐怖の足跡」

「マルチプル・マニアックス」

悪趣味の極みという解説で覚悟してみたが、今時のホラー映画の方がよっぽど悪趣味に見える。決して面白いわけでもないものの、やりたい放題のバイタリティは見ていて心地良くなるところもあるから不思議です。監督はジョン・ウォーターズ

 

変態一座という奇妙なテントの中での出し物を口上しているデヴィッドのシーンから映画は始まる。一座の座長はディヴァインという太った女で、デヴィッドはその愛人である。訳のわからない出し物に客を誘い金を奪って家に帰ってきたディヴァインらは、家でいちゃついている娘らと言いたい放題に悪態をつく。

 

一方デヴィッドには金髪の女が誘惑してきて、デヴィッドはその女と浮気をする。それを知ったディヴァインはデヴィッドらを殺しに出かけるが、途中教会で、ロザリオで犯されたり、二人の若者にレイプされたりとめちゃくちゃ。

 

自宅に戻ったデヴィッドらは、ディヴァインの娘を殺してしまい、そこへディヴァインも帰ってきて、デヴィッドの浮気相手を殺し、デヴィッドも殺し、一人になったディヴァインに巨大なロブスターが襲いかかる、一体なんやねんという展開から、ロブスターに犯されたディヴァインは車を奪って街へ行き、街の人を襲って、最後は軍人?らしいのに撃ち殺されて、アメリカを讃歌するような歌が流れ、映画は終わる。

 

なんとも呆れるひどさだが、今時の何かにつけ規制規制で縛られ、いい子ぶって映画を撮っている作品に比べればよっぽど力のある作品になっていると思う。まあ悪趣味なのは分かりすぎるほどわかるもののモノクロなので許せるとしよう。

 

「恐怖の足跡」

不思議な映画でしたが、なかなか面白かった。シュールなようでサスペンスのようで、中編くらいの長さに詰め込まれたミステリアスなお話を楽しみました。監督はハーク・ハーヴェイ。

 

女性らが乗った車を男どもが揶揄うところから映画は始まる。競争するということになり二台の車が疾走を始める。修理中の橋に差し掛かってもスピードを緩めず突入するが、女性三人の乗った車は橋の下に落ちてしまう。しばらくして一人の女性メアリーだけが泥だらけで川から出てくる。そして彼女は街を出てユタ州へ行くことにする。

 

彼女はパイプオルガンの奏者で、ユタ州にある教会でパイプオルガンのを弾くことになった。しかし、車を運転する途中、窓の外に不気味な男が現れたりする。教会の近くの下宿を見つけたが、向かいの部屋の青年がやたらしつこくメアリーを誘ってきたりするのが実に不気味。しかも、時折、不気味な男の影が見え隠れする。

 

街のそばに、今はさびれてしまったダンスホールの施設があり、興味をそそられるメアリー。服を買っていて突然音が消えて、誰も彼女に気が付かなくなり、公園で戸惑っていると、医師だという男が通りかかって、診察をしたりする。

 

教会で無意識に反キリストの音楽を弾いていて牧師に怒られクビになる。自暴自棄になり、彼女にアプローチしてくる向かいの青年と食事に行ったりするが、興が乗らない。青年にも嫌われ、メアリーは寂れたダンス施設に行くが、そこには黒服の男女が踊っていて、それに巻き込まれ、カットが変わると車の中で死んでいる場面となる。

 

死を彷徨った主人公のシュールな世界を描いたという解説になっていますが、彼女を認める周辺の人たちの存在もあり、どこか矛盾もしているのですが、それでも、なかなか面白い作品でした。

映画感想「少林寺」(4Kリマスター版)「ニワトリ⭐︎フェニックス」

少林寺

40年ぶりの再見。ストーリーは単調だし、拳法シーンが好きではなければ、正直退屈な映画かもしれません。でも、本物の格闘技シーンは圧巻というのは今見直しても絶品でした。監督はチャン・シン・イェン。

 

ワン将軍の圧政のもとで労役をこなす主人公ショウホの父が、ワン将軍に殺される。なんとか逃げたショウホは、少林寺の門前で気を失って倒れてしまう。タン師父に助けられ、少林寺で働く事になったが、僧たちが拳法の修練をしているのを見て自分も拳法を習いたいと申し出る。しかし、拳法を身につけるためには僧にならなければならず、ショウホは、僧となる決心をする。

 

しかし、ショウホの目的はワン将軍への復讐だけだった。修練をする中で、師父の娘パイとの間に恋心も芽生え、また、ワン将軍の圧政の調査に侵入していたリーとも知り合う。物語は、ショウホとワン将軍、リーの三つ巴の話にパイとの恋、師父との師弟関係を絡ませながら、ショウホの成長を描いていくが、頻繁に出てくる格闘シーンは、次第にワンパターンになってくるのがちょっとしんどい。それでも、本物の技を次々と見せられる迫力は十分です。

 

リーを追うワン将軍が、ついに少林寺を追い詰め、軍隊を率いてワン将軍を襲ってくるリーやショウホを交えての最後の決戦となる。その中で師父は亡くなる。そして、ショウホはワン将軍を倒して復讐を果たし、晴れて、僧侶として生涯を送る決心をして映画は終わる。

 

同じような展開を繰り返すストーリーは、次第に飽きてくるのですが、格闘シーンが好きならたまらないほど見せ場の連続です。だからこそ、語り継がれるのでしょうね。面白かった。

 

「ニワトリ⭐︎フェニックス」

「ニワトリ⭐︎スター」の続編。PVのような映像展開なのですが、全体に流れる空気感が次第に見えてくる終盤に向かって、何かを感じさせる感動を呼び起こしてくる作品。一見、悪ノリしていく前半部分に嫌気が刺してくるかと思いきや、正当なロードムービーのような面白さが見えてくる中盤からの、どこか人生のうんちくを漂わせる終盤、そして、あらゆるこだわりで縛られている馬鹿馬鹿しさを振り返らされるラストに胸が熱くなっている自分を見てしまう。そんな不思議な映画だった。監督はかなた狼。

 

楽人に誘われて、適当な旅に出てきた草太、彼はどうやら癌らしく、一方楽人は、いかにもヤバそうなヤクザものからせっつかれる電話に逃げてきた感じである。これから結婚式のような一人の女性が、大事なものを忘れてきたと言って、慌てて家に向かう場面を時折挿入しながら、草太と楽人の車での当てのない物語が展開する。アニメを交えた遊びのような映像が前半続く。

 

途中、農業ラッパーに出会ったり、妖怪のような人たちがいるバーに入ってしまったり、自転車旅行をする青年に出会ったり、落ち着いた僧侶と出会ったり、誰もいない映画館の館主と出会ったりしながら、火の鳥を目指してただただ車を走らせる。そしてたどり着いた神社で、火の鳥のオブジェを発見、旅の終盤が見えてくる。

 

一方、結婚式に大事なぬいぐるみを取りに戻った女性は、実は草太の娘?なのか、子供の頃から大事にしていた人形を抱いて、父に感謝のスピーチをする。母は事故で死んでいるらしく、一人で育ててくれた父への感謝の言葉に涙し、これまでのロードムービーは父の思い出の一品らしい。草太は、フェニックスを見つけた後、後ろで眠る楽人のそばでビデオレターを撮っている。

 

戻ってきた楽人はヤクザに電話をするが、そのヤクザは、もう俺たちに関わるなと電話を切り、自分達も田舎で農業をしようと組を解散すると周りに豪語する。こうして、なにかしら胸に残るエンディングを迎える。

 

たわいのない映画ですが、どこか心に残る映画でした。

映画感想「ハッチング 孵化」「バーニング・ダウン 爆発都市」

「ハッチング 孵化」

映画としての出来栄えもそこそこですが、ホラー映画としては傑作。いかにも幸福な家族こそが真の恐怖の裏返しであるという風刺を巧みに使った人間の恐怖を具現化した映画でした。少々グロいシーンもあるものの、これが北欧ホラーの醍醐味。しかも主演の女の子が実にキュート。二度見たいとは思いませんが、色んな意味で怖かった。監督はハンナ・べルイホルム。

 

いかにも幸せそうな家族の動画を、これまたどこか異常なくらいにニコニコ撮る母の姿。わざとらしいほどの笑顔を見せる父、そして一人娘ティンヤ、弟のマティアスの画面から映画は始まる。冒頭タイトルバックに流れる、口ずさむ歌が妙に不気味なオープニングです。ソファに座って家族全員がカメラに微笑んだところで窓に何かが当たる音がする。ティンヤが窓を開けると一羽のカラスが飛び込んできて、部屋を飛び回り、食器やガラス、末はシャンデリアまで落として大暴れ。ティンヤが布をかぶせて捕まえるが、母は布ごとカラスをひねり殺し、ティンヤに生ゴミにしてるように指示する。ぞくっとするシーンです。

 

ティンヤは、クラシックバレエをしていて、実は、母親は、太ももに無残な手術痕があり、どうやら母の夢を叶えるためにティンヤを指導しているようである。コンテストが間近に迫り練習を見つめる母は、失敗するティンヤを異常なくらいの圧力で練習させる。深夜、昼に殺した鳥の声を聞いたように思って森に行ったティンヤは、横たわるカラスを見つける。しかし、苦しむカラスを石で叩き潰して殺してしまう。ところがそばに卵が残されていた。ティンヤは、その卵を持ち帰り、育て始める。

 

そんなティンヤの隣にレーテという少女が引っ越してくる。彼女もバレエをしていて、なかなか上手い。ティンヤが育てた卵は日に日に大きくなってくる。ある日、ティンヤが帰ると、母親がテロという男性といちゃついているのを目撃する。母親はティンヤに口止めするが、母はテロと恋に落ちたと平然と告白する。しかも、テロの別荘にティンヤも連れていくと言い、それをにこやかに受け入れる父親。明らかに何かがおかしい。ティンヤは、母の姿に悲しくなり涙を流すが、その頃には卵は相当大きくなっていた。そしてティンヤの涙を受けてついに孵化し、鳥の化け物のような物が現れる。

 

夜、レーテの飼っている犬がうるさく泣く。しばらくすると、化け物はティンヤのベッドに惨殺した犬の死骸を置いていた。思わず嘔吐するティンヤだが、化け物はその汚物を食べる。この場面がかなりエグい。化け物はティンヤが悪意を持ったり、ティンヤに危害を加えようとするものを襲うようになる。コンテストの選考か近づいた頃、一人帰ったレーテは、何者かに襲われるが、それはティンヤの化け物によるものだった。しかも、次第に化け物はティンヤの姿に瓜二つになっていく。

 

テロの別荘に着いたティンヤと母だが、テロには前妻との間に生まれた赤ん坊もいた。母が不在の時、異様な叫び声を聞いたテロがティンヤの部屋に入ると、なんと、ティンヤの汚物を食べる化物を目撃してしまう。しかも、ティンヤが、コンテストのストレスでそうなったと勘違いするが、部屋に入るのを阻止しようとして、テロは手に怪我をする。

 

コンテストの日、テロの赤ん坊を可愛がる母を見たティンヤは母に嫌悪感を持つが、化け物は、その赤ん坊を狙いはじめる。ティンヤがコンテスト会場で演技をし始めた頃、化け物は赤ん坊を襲おうと迫っていた。しかし、ティンヤがわざと鉄棒から落ちて手首を痛める事で、赤ん坊を救う。ティンヤと化け物の体は一心同体だった。

 

テロは、化け物をティンヤだと勘違いしてティンヤと母を追い出す。わけもわからず狂ったようになる母だが、家に帰ると、化け物がティンヤを待っていた。ティンヤが責めるが、化け物の姿はほとんどティンヤと同じになっていた。母の前に現れた化け物を母はティンヤだと思って髪をすいてやるが、そこへティンヤが現れる。化け物は母に襲いかかるが、ティンヤに引き剥がされ、ティンヤに責められると化物の口が避けて悍ましい姿になり逃げる。化け物の存在を知った母はティンヤと化け物を殺そうと家の中を探し始める。

 

そして、ついに二人は化け物を追い詰め、母がナイフを突き刺そうとするが、ティンヤが庇うようなかたちで、胸を刺されてしまう。そして、ティンヤの血が化け物に注がれると、化け物はティンヤの姿に再度変貌していき、「ママ」と言葉を発する。こうして映画は終わる。

 

人間の奥底に潜む残虐性をホラー映像として具現化した感じの作品で、化け物の視線とティンヤの視線が同一になる映像演出や、決して100%いい子ではないティンヤの姿、異常なくらいにいい人に見える父親や、どこか感情的に不安定な弟の存在など、何もかもが怖い。この後、家族はどうなるのかという余韻にも寒気がします。なかなかの傑作でした。

 

「バーニング・ダウン爆発都市」

さすがに香港映画、なんの中身もないけれど、見せ場の連続と、ストーリーテリングのシンプルな面白さで見せてくれます。単純に面白かった。監督はハーマン・ヤウ

 

旅客機が香港空港へ向かっている場面から映画が始まり、同時に空港にテロが行われるという連絡から、核弾頭を積んだ列車が空港に突入、大爆発を起こしキノコ雲が起こって映画は始まる。時間が遡り、爆破処理班のフォンが、自分の防御服を使ってまで爆弾を見事の処理する場面に移る。相棒のドンと次の任務につき、二人の市民に仕掛けられた爆弾を見事に処理、退出しようとするが、フォンがレンジの中に閉じ込められていた猫を逃してやるとそこにも爆弾が仕掛けられていて爆発が起こり、フォンは片足を失ってしまう。

 

必死でリハビリをしたフォンは現場復帰できるものと思っていたが上層部は彼に内勤を命じる。フォンは警察をやめ、行方不明となる。時は経ちテロ組織復生会がホテルでテロを実行する。その現場にいたのが、復生会でテロ行為をしていたフォンだった。しかし、テロ実行の際、フォンは逃げる際に爆発に巻き込まれ記憶を失って発見される。彼の元恋人が彼の記憶を取り戻す手助けをする。そして、フォンは復生会に潜入操作していて、マーと呼ばれるリーダーが計画している次のテロを阻止しようとしていたことを思い出させる。

 

マーは、フォンを助けて呼び寄せ、次のテロ計画である香港空港爆破と金融センターおよび九龍駅爆破の計画を進めていく。マーはフォンに、かつて二人は幼馴染で、マーはテロ組織のリーダーに、フォンは警官になって行ったのだ。マーは、フォンが警察をやめたことを知り、さらに闇サイトにアクセスして来たのがフォンだと確信して連絡を取り再会、空港爆破の計画を立てたのだと教える。

 

フォンの元恋人は、発見されたフォンをテロ組織の一因だとしたくないために潜入捜査官という偽の記憶を埋め込んでいたのだ。これもまた無茶な展開。フォンは、元恋人と相棒のドンの力になるべく、復生会のテロ行為を阻止すべく行動を開始する。マーはフォンを裏切り者と知り、拉致して計画を先に進める。

 

金融センターと九龍駅の爆破は阻止したが、マーが運転する核弾頭を積んだ列車は香港国際空港へ向かっている。空港への橋の途中に爆薬を仕掛け、核弾頭ごと海に落とすことで阻止しようと警察側は考え、ドンとフォンが橋で準備するが、列車の操作室での操作がうまくいかず、間に合わない。フォンは、今更戻っても普通の人間に戻れないからとドンを脱出させ、自ら犠牲になり爆破を実行、列車は海へ落下して大爆発をする。元恋人は、フォンとの最初の出会いの記憶を消せないものかと相談をしている場面でエンディング。

 

ものすごい展開と設定で、ラストはもう爆弾処理の話ではなくなってる感がありますが、派手なシーンが実に面白くてスピーディ。これこそ香港エンタメ映画の醍醐味でした。

映画感想「傷だらけの勲章」「潜水艦クルスクの生存者たち」

「傷だらけの勲章」

たわいのない、テレビのサスペンス劇場のような映画なのですが、途中までは、なかなか面白いサスペンスになっています。エジプトやシンガポールなどに海外ロケもわざとらしくないようにも見える。西城秀樹のスター映画のようなのですが、中村嘉葎雄の方が主人公に見えてしまいました。監督は斉藤光正。

 

エジプトのカイロで大企業の社長倉田栄作がスナイパーによって殺される場面から映画は幕を開ける。その遺言書をめぐって、保管している山本弁護士が襲われ、張り込んでいた都築と大貫が犯人を追う。未亡人となった喜枝の捜査にやってきた都築と大貫は遺言書の保管場所を探すが見つからず、一方、なぜか娘が誘拐されたりという意味のわからないエピソードも展開。どこか影のある大貫に都築は不審感を持ちながらも捜査を続けるが、大貫が喜枝と一夜を共にし、遺言状も見つかった事が暗に分かったことから物語は変にメチャクチャになってくる。

 

独自の捜査でカイロに飛んだ都築だが、日本では大貫が事故で殉死してしまう。日本に戻った都築だが、大貫の影がちらつく。捜査を進めるうちに、背後に喜枝とカイロ支社の愛人との関係も表に出てきて、再度カイロへ行った都築は大貫に再会する。大貫は遺言書に、全ての財産は娘に譲るとかかれていて、喜枝に頼まれて、遺言書を隠したのだ。なんともしょぼい動機だが、都築らを亡き者にするために、喜枝らが狙ってくるが、返り討ちにして映画は終わっていく。

 

適当な映画ですが、今では撮影できないアングルのスフィンクスやピラミッド、ラメシスの神殿などを映像で見られただけでも楽しめる一本でした。

 

「潜水艦クルスクの生存者たち」

実話であるし、商業映画なのだからこう追う描き方でいいと思う。生存者がいない中では、クルスクの乗組員のドラマをあれ以上掘り下げられなかったと思う。映画としては普通の作品でした。ロシア側、イギリス側のドラマをもっとリアルに描けていたら傑作になったかもしれませんが、そこは明らかに控えめになっていたのは残念です。監督はトマス・ビンターベア。

 

ロシアの潜水艦クルスクの乗務員であるミハエルが、息子のミーシャと風呂場で潜り合いをしている。そして妻ターニャと朝を迎える場面から映画は始まる。ミハエルは親友の結婚式でその準備をする中で、立て替える金が足らず、自分の海軍の時計を売ってしまう。一方、ターニャのお腹には二人目がいる。乗組員の給料はいまだに支払われていないのだが、クルスクは訓練のため出航する。北方艦隊司令官グルシンスキーが赴任してくる。

 

クルスクに搭載している魚雷が、内部の不具合で熱が上がってきていたが、発射の命令が出なかった。ところがまもなくして魚雷が爆発し、潜水艦内は大惨事となる。急遽隔壁が閉じられるが、100名以上いた乗組員は20名余りになっていた。ロシア海軍は早速調査艇を出し、中からのハンマーの音で生存を確認し、救助艇を派遣する。ところが、機体が古くうまくドッキングできない。

 

一方、イギリス海軍のディビッドはグルシンスキーと旧知だったため、異常事態になっている情報を共有、救援を申し出るが、ロシア上層部は機密情報が漏れることを懸念して、応じなかった。ターニャらとの会見でも明確な回答をせず、ターニャらは苛立ち始める。何度も失敗する救助艇に壕を煮やし、個人的にディビッドに救援を要請、イギリス側の救命艇が現場に到着するが、ロシア側はグルシンスキーを解任してしまう。

 

ディビッドらは、ロシアの将軍と直接面談をするも、頑としてロシアは譲らず、自国の救助艇で救出を試みるが、うまくいかず、とうとうディビッドらの救助艇が出動する。一方、クルスクの艦内では、酸素が減り始め、酸素製造機で一時凌ぎをしていたが、ふとした弾みで、その装置を水中に落としてしまい、一気に火災が発生、酸素もなくなり、排水ポンプも止まってしまう。

 

死を覚悟したミハエル達は最後に言葉を交わす。イギリスの救命艇がクルスクに到着した時には、すでに館内は完全に浸水していて、生存者がいない事が確認される。葬儀の場で、ミーシャはロシア将軍からの握手を拒否、帰り道、ロシアの軍人から、ミハエルの時計を貰って映画は終わっていく。

 

ミハエル側のドラマも、ロシア側のドラマも普通の描写であり、まるでロシア上層部が機密事項漏洩を危惧して人命を無視したかのような勧善懲悪な描き方になっているが、将軍とディビッドらが交渉している席で、サラッと、ディビッド達が情報を要求しているセリフがある。果たして、ロシア将軍の判断は非道なものだったのかは、結局定かではない。その辺りをもっとリアルに脚本に書き込まれていれば傑作だったろうが、その辺りが実に平凡なドラマで終始した。凡作とは言わないけれど普通の作品でした。

 

 

映画感想「とんび」「ヒットマンズ・ワイフズ・ボディガード」

「とんび」

原作の良さでラストまで引き込んで、見せ場見せ場で涙ぐませてくれるのですが、いかんせん、手抜きの美術と衣装、さらに役者任せでほとんど演出が入っていないドラマはちょっといかがなものかと思う。ピカピカの車、街並み、隅々に至るまで、リアリティを全く感じない適当さ、何十年も変わらない衣装などなど、気にしないでいいのかもしれないが、気になりだすと、あまりに雑すぎたのは残念。監督は瀬々敬久ですが、やっつけ仕事で安直に仕上げた商業映画という感じでした。

 

昭和63年、遠距離運送のトラックの助手席だろうか、主人公安男が眠っている場面から映画は始まる。時は昭和37年み遡り場所は瀬戸内の備後市、運送業を営む安男は酒と喧嘩ばかりしながらも愛妻美佐子と幸せな毎日だった。まもなくして一人息子旭が生まれる。ところが、雨でどこへも遊びに連れて行かれない日、父の仕事場を見に行きたいという美佐子と旭は、たまたま積み上げていた荷物が崩れて、旭を庇って美佐子は死んでしまう。

 

それから旭は、安男の姉貴分のような小料理屋のたえ子や、幼馴染の寺の息子の照雲らに実子のように可愛がられて育つ。物語は、安男と旭の親子のドラマを周囲の人たちの温かく見守る姿を交えながら描いていく。安男は旭に、母の亡くなった本当の理由を告げず、あくまで自分の身代わりに美佐子が死んだと旭に嘘をつく。

 

小学校、中学校、そして高校へ成長していく旭を男手で育てていく安男だが、不器用なところは周囲の人たちの力添えで旭はやがて東京の大学へ進む。そして雑誌に記事が載るまでに独り立ちした旭は、ある時、東京にきた父安男に、結婚したいという一人の女性由美を紹介する。バツイチな上に七歳歳上、さらに子供までいる由美を見た安男は、戸惑って返事に困るが、備後市まで挨拶に来た旭と由美に、照雲らの計らいもあって、祝福の言葉を投げてしまう。時は流れ令和元年、安男の葬儀の準備をする旭夫婦と二人の子供の姿があった。こうして映画は終わる。

 

昭和、平成、令和までの親子のドラマですが、器用な役者を配置して、役者任せのドラマになっているのは実に残念だし、安男の着ている服が、二、三十年ほとんど同じだし、全体の絵がまるで磨き上げられたようにピッカピカで汚れひとつない。これらがわざとなのかと最初は思ったが、結局手抜きにしか見えなくなってくる。それでも、要所要所の涙を誘うシーン、特に最大の見せ場の、美佐子が亡くなった本当の理由を旭が知ることになる照雲の父の臨終の遺書に手紙、それを元にした旭の作文を安男が読む場面などは、器用な役者陣の実力でなんとか泣かせてくるからラストまで退屈こそしなかったが、テレビのスペシャルドラマ以下の仕上がりだった気がしました。

 

ヒットマンズ・ワイフズ・ボディガード」

ドタバタと展開するB級アクション映画なのですが、なんとも演出テンポのセンスのなさと、悪趣味なシーンの連続に辟易とする上に、下ネタ満載はいいのだが、笑いより下品にしか聞こえない脚本、さらに、同じようなシーンの繰り返しだけの引き伸ばしアクションシーンの連続の上に、ラストシーンへ流れ込む作りになっていないためにやたら長く感じる展開の映画だった。こういう映画を作らせると香港映画は絶品なくらいにうまいが、ほんまに下手くそな映画だった。監督はパトリック・ヒューズ。

 

ボディガードの資格を喪失したが、見事挽回して、コンクールで優勝するという悪夢から主人公マイケルが目覚めて映画は幕を開ける。セラピーを受けているのだが、毎回しつこいのでセラピストも早く追い出したく、マイケルは完治したからと送り出す。そんな彼に、ソニアという女が夫ダリウスがマフィアに捕まった、マイケルを呼べと言っているので助けてほしいと連絡が入る。マイケルは、ボディガードの資格剥奪で銃が使えないが、ダリウス救出に向かう。そしてなんとか救出したものの、サイバーテロを計画しているアリストテレスの陰謀を阻止する騒ぎに巻き込まれていく。

 

まあ、無茶苦茶な展開は構わないのだが、そのきっかけになるインターポールの存在がほとんど蚊帳の外で、全くストーリーに寄与してこないし、なぜか、マイケル達が二転三転する展開がなんとも趣味が悪い上に工夫もない。途中、マイケルの父親で伝説のボディガードまで無理矢理出してきてお話を引き伸ばすし、ソニアはアリストテレスのかつての女だったというヤケクソなクライマックスで、ダリウスとマイケルらがアリストテレスらの大バトルを繰り広げ、なぜかサイバーテロを阻止して大団円。いきなり登場のインターポールがマイケルのボディガードの資格を戻してやるかと思えば、二人がソニアの養子になるという面白くもないオチで観客を喜ばそうとするセンスのないエンディング。

 

90分で十分な映画で、こういうのを作って金を払わせようというアメリカ映画のレベルの落ち込みとこういう映画に歓喜しているアメリカの観客の低レベルを実感させられる映画でした。

映画感想「親愛なる同志たちへ」「王女メディア」

「親愛なる同志たちへ」

1962年のノボチェルカッスク機関車工場での民衆弾圧事件を扱った作品で、モノクロスタンダードの画面が異様な緊張感を生み出している作品でした。物語はいたって単純なのですが、ソ連共産主義の強烈な権力の圧力がじわじわと伝わってくる恐怖が見事でした。監督はアンドレイ・コンチャロフスキー

 

市政委員会の課長であるリューダは、朝早くに起きて近所の店へ食料品などを買い出しに出かけるところから映画は始まる。品物が不足しがちで並んでいる人たち、また価格の高騰で手に入りにくくなっている状況の中、親しい知人の店の裏口から入って、品物を手に入れて帰宅する。学生で、最近生意気になり、政府の方針に何かにつけ反抗的な娘のスヴェッカは、リューダの言うことを聞かず、穴の空いた靴下を履いて工場の仕事に飛び出していく。ソ連設立以来軍人だった父は古いコサック時代の服を出しては懐かしんでいた。

 

この日も、市政委員会で、現状の検討を進めていたが、突然国営工場の方でサイレンが聞こえる。まもなくして、電気機関車工場でストライキが起こり、工場が止まったと言う連絡が入る。リューダたちは地方委員会の書記を伴って工場へ行くが、労働者たちに建物を封鎖されて、出られなくなってしまう。なんとか脱出したものの、軍隊が導入され、中央政府から高官がやってくるにつけ、どんどん事態は大きくなってくる。

 

市民に倒して発砲することを拒む軍隊と違って、中央政府の役人たちは銃の携行を命令する。リューダは、スヴェッカも騒動に関わっているにではないかと心配だったが、建物から逃げる途上で、一人のスナイパーが屋上に上がるのを目撃してしまう。まもなくして群衆は次々と銃で撃たれて倒れていき、騒然とした様相を帯びてくる。路面で死んでいる以上に死人が出ている現状を目の当たりにする中、スヴェッカを必死で探すリューダだが、死体安置所にも病院にもいなかった。

 

リューダの家にもKGBのヴィクトルが調査にやってくるが、リューダと一緒に、村の外に埋められたらしい死体を調べに行くことに協力してくれる。中央政府は、今回の銃撃事件を無かったものにするため厳格に統制と口止めを強行していく。スナイパーはKGBのメンバーだと分かり、ますます軍隊とKGBとの確執も表になってきて、緊張感が高まっていく。

 

ようやくたどり着いた村で、死体を埋めたと言う巡査から、穴の空いた靴下を履いた少女を埋めたといわれ、リューダは絶望する。そして、自宅に戻るが、ヴィクトルは、また力になるからと送り出す。しかし、自宅に戻ったリューダは、スヴェッカが帰っていることを知り歓喜する。そして、屋根の上にいるスヴェッカのところへ行ったリューダは、これから良くなると抱き締めて映画は終わる。

 

本当にシンプルなストーリーですが、締め付けられるような緊迫感が全編に漂っていて、見ていてどんどん重苦しくなる作品でした。

 

「王女メディア」

さすがに、前半はひたすら眠い。オープニングのケンタウルスが子供に語る場面で機関銃のようにセリフが出たかと思うと、儀式のような場面になってからはほとんどセリフがなく映像だけで展開、終盤、ようやくセリフが出てくると一気にエンディングを迎える。これがパゾリーニだと言われればそれまでだが、しんどい映画だった。ただ、独特の映像詩のような空気感はさすがと思える作品でした。監督はピエル・パオロ・パゾリーニ

 

ケンタウルスが、幼い少年に、お前は私の子供ではないと延々と話す場面から映画は幕を開ける。カットが変わり、メディアの前で壁に繋がれている青年。その青年が、何やら儀式だろうか外に引き出されて殺されて、斧で体をバラバラにされ、その血を人々が手にする。

 

イオルコス国王の寵児イアソンは、叔父のペリアスに王位を譲るように迫る。ペリアスは、未開の国コルキスにある金の羊皮を手に入れてくるように条件をつける。イアソンは、コルキスで王女メディアと知り合い愛し合うようになり、金の羊皮を手に入れて戻る。しかし、王位返還を反故にされたため、隣国のコリントスへ向かう。そこでイアソンは、その国の王として見込まれ、その国の国王の娘と結婚することになりメディアを捨てる。

 

コリントスの王はメディアに国外追放を言い渡し、メディアも受け入れる。メディアは、もともと魔術を使うことができるので、自らの衣服に呪いをかけて、イアソンが結婚する王妃に祝いの品として渡すが、それを身につけた王妃は城の上から飛び降りる。それを見たコリントス王も後を追って飛び降りる。その後、メディアはイアソンとの間に生まれた三人の子供をナイフで殺し、城に火をつける。燃え上がる城を見ながら映画は終わる。

 

唐突なエンディングですが、全編が映像詩のように展開していく様は、体調に余裕がないと流石にしんどい。芸術映画という匂いがする逸品でした。